『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために 『日本国語大辞典 第二版』をめぐる往復書簡 来るべき辞書のために

写真:五十嵐美弥
50万項目、100万用例、全13巻の『日本国語大辞典 第二版』を、2年かけて読んだという清泉女子大学の今野真二教授。初版企画以来40年ぶりに改訂に挑んだ第二版編集長、佐藤宏氏。来たるべき続編に向けて、最強の読者と最強の編集者による『日国 第二版』をめぐるクロストーク。今野3回×佐藤1回の1テーマ4回シリーズでお送りします。

シリーズ 5 「難波の葦は伊勢の浜荻 」目次

  1. 1. 今野真二:「同定」について 2019年11月06日
  2. 2. 今野真二:「ありかた」と「いきかた」 2019年11月20日
  3. 3. 今野真二:『重訂本草綱目啓蒙』をめぐって 2019年12月04日
  4. 4. 佐藤宏:「記録」を旨とする辞書でありつづけるために 2019年12月18日

難波の葦は伊勢の浜荻
Series5-2

「ありかた」と「いきかた」

今野真二より

 前回は『日本国語大辞典』の見出し「あいばそう」を入口にして、使用例として示されている『重訂本草綱目啓蒙』に「黄茅は あぶらがや あぶらしば めがや あいばさう 勢州」とあることからさらに展開して、「名称と実体」という「同定」にかかわることについても述べた。今回はこうしたことにかかわる「難しさ」について述べてみたい。

 「難しさ」は「国語辞典」と「百科事典」ということにかかわってくる。例えば『広辞苑』第7版(2018年、岩波書店)は「凡例」冒頭の「編集方針」の一において「この辞典は、国語辞典であるとともに、学術専門語ならびに百科万般にわたる事項・用語を含む中辞典として編修したものである」と述べ、その六において「百科的事項の収載範囲」として「自然科学」をあげている。しかし、その『広辞苑』であっても、「アブラシバ」「アイバソウ」は見出しにしていない。『広辞苑』と同じように中辞典といえる『大辞泉』第1版〈増補・新装版〉(1998年、小学館)もこれらを見出しにしていない。これは、百科的事項をどの程度見出しにするか、という「編集方針」にかかわることといえよう。

 ここで「難しさ」としてとらえているのは、そういうことではなく、「国語」と「百科的事項」とをともに見出しにする辞書を編纂する場合の「難しさ」である。ちなみにいえば「国語辞典」という呼称を使う場合、「国語」とは何かということを考えておく必要があるが、今ここではそこには踏み込まないことにする。

 前回述べたことを踏まえながら説明すれば、過去の文献に「アブラガヤ」という語が使われていて、それを見出しにした場合、過去の文献にどのように載せられているかという側に立って語釈を記すということもできなくはない。『重訂本草綱目啓蒙』に「黄茅は あぶらがや あぶらしば めがや あいばさう 勢州」と記されているのだから、それを使って、見出し「あぶらがや」の語釈を「江戸期に出版された『重訂本草綱目啓蒙』では伊勢あたりでは「あぶらしば」「めがや」「あいばそう」と同じ植物とみなされていたことが記されている」と記すことはできるだろう。この場合は、その植物が現在どう呼ばれているかというようなことにはふれない、ということだ。これはこれで「国語辞典」としての「ありかた」であろう。

 しかし、それでは「いかにも不親切、そっけない」ということになるかもしれない。現在「アブラガヤ」と呼ばれている植物があれば、それがどういう植物かということを(現在わかっている範囲で)記すということはまず考えることであろう。「まず考える」という意味合いにおいて、それは自然な「いきかた」といえる。

 しかし、それはあくまでも、「過去の文献にアブラガヤという植物呼称が確認できる」「現在もアブラガヤと呼ばれている植物があり、それはこういう植物である」という二つの「情報」を組み合わせたもの、ということになる。過去に「アブラガヤ」と呼ばれていた植物が現在「アブラガヤ」と呼ばれている植物と(ほぼ、にしても)同じであれば、「情報」の組み合わせには問題がない。しかし、必ずしもそううまくいくとは限らない。

 そもそも過去の文献にみられる植物呼称から、その植物をきちんと「同定」することだって難しい場合があるだろう。そしてまた、「所によりてかはるなり」ということを加味すれば、異なる植物がA地域とB地域とで同じ呼び名になっている可能性もある。筆者は、「言語は時間軸と空間軸の交点において具体的に特定できる」という話を毎年、2年生の必修科目「日本語学概論」でする。「平安時代の京都近辺で使われていた日本語」というように「いつ・どこで」を特定すれば、その「日本語」は具体性を帯びる。それと同じことだ。

 「過去にアブラガヤと呼ばれていた植物があった」「現在アブラガヤと呼ばれている植物はこういう植物だ」という二つの「情報」が提示されているのだと読者が「冷静」に受け止めることができれば問題ない。しかし「過去にアブラガヤと呼ばれていた植物は、現在こういう植物だとみなされている」とまではいえない場合があることが推測される。それが「国語辞典」と「百科事典」をかねている「ハイブリッド辞書」の「難しさ」だ。

 筆者は鎌倉育ちである。鎌倉付近は山にウラシマソウが生育している。そのウラシマソウを地元ではマムシグサと呼ぶことがあった。しかし、現在の植物学では「ウラシマソウ」と「マムシグサ」とは別の植物とされているというのも同じことで、「かつて鎌倉近辺ではウラシマソウをマムシグサと呼んでいた」ということが事実としてあるのであれば、そのことについて、現在の植物学と照らして、「植物学的には誤りだ」といってもしかたがないだろう。

▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回(12/4)も今野真二さんの担当です。

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日本国語大辞典

“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった

筆者プロフィール

今野真二こんの・しんじ

1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。

佐藤 宏さとう・ひろし

1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。

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三省堂書店
2800円(税別)