毎年9月の第三日曜日にあたるころの数日間、京都御所東隣の梨木(なしのき)神社で、萩祭と呼ばれるお祭りがある。祭典では、とても太い青竹を花器に、赤と白の色鮮やかな萩の花が生けられ、神饌(しんせん)と鈴虫の入った竹篭などとともに神前へと奉納される。この神事に続き、拝殿では弓術や狂言、舞、尺八などの数々の技芸が、古式ゆかしく奉納される。

 萩は、草冠(くさかんむり)に秋と書き、日本独特に当てられた字を持つマメ科の植物である。秋の七草の一つとして「秋萩」とよばれ、文学との関わりが深い。『万葉集』で萩を景物とした歌は141首にものぼり、それらは萩に心ひかれ、美しさを讃える歌ばかりである。また、昔から人の暮らしに役立てられてきたという面もある。枝葉は家畜の飼料や屋根葺きに使われており、枝は箒の材料に使われた。根は煎じられ、目眩(めま)いの薬として服用されてきた薬草であり、そのすべての部分が人と寄り添うように存在してきた植物なのだ。

 京都では古い歌に詠まれた花の様子から、ツクシハギやニシキハギが多いといわれるが、現代に見られる萩は、ヤマハギが大半を占める。調べてみると、名称にハギと名のつく植物は非常に多く、種別というより似たような植物に「ハギ」の名をいただいてきたようだ。これもまた、日本人の萩好きを表しているのだろう。

 2015(平成27)年の秋の十五夜は、9月27日。ススキと団子のお飾りに彩りとして萩を飾り、月を眺めながら杯をさすのも、日本人らしい夜長の過ごし方といえそうだ。


梨木神社にて。9月中旬になると、清廉な萩の花が参道を埋めるように咲く。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 元少年Aが書いた『絶歌』(太田出版)は25万部を超えるベストセラーになったが、評判は芳しいものではなかった。私も以前ここ(「酒鬼薔薇聖斗」)に書いたが、自分が犯した罪への十分な反省もなく、自己弁護と自己愛を書き連ねた出すに値しない駄本である。

 世間の評価があまりにも低いことに腹を立てたのだろうか、Aが出版社や新聞社に2万3000字にもおよぶ長文の手紙を送りつけてきたというのである。

 その内容は「少年A『手記』出版 禁断の全真相“裏の裏”」。この男、週刊誌の読みすぎではないのか。しかもその手紙の大半は、本を出すきっかけとなり、一時は大尊敬していた幻冬舎・見城徹(けんじょう・とおる)社長への「恨み」節だというのだ。

 ほぼ全文を掲載した『週刊文春』(9/17号、以下『文春』)によると、『絶歌』が出版されたとき、『文春』に語った見城氏のコメントに対して反発したというのである。

 たとえば「それ以降(太田出版社長に本を出すことを依頼した後=筆者注)、Aとは連絡を取っていない」、本を「僕は読んでいない」といったことにAは、見本ができあがったところで見城氏にお礼の手紙を添えて本を渡した。その後「装丁も本文の構成も申し分ない。完璧だ」というメッセージをもらっていると反駁してこう続ける。

 「出版後、世間からの批難が殺到すると、見城氏は態度を豹変させ、靴に付いた泥を拭うように、僕との接点を“汚点”と見做して否定(注・し)ました」

 Aが手紙を送ったことをきっかけに熱心に出版を勧めた見城氏が、出版後に批判が殺到したことで、この本の出版に自分は関係ないかのような態度を取ったことに「裏切られた」という思いが強いようだ。

 「見城氏はいろいろな場所でG(義理)N(人情)O(恩返し)こそが自分の信念であるとのたまっていますが、彼が“GNO”を貫くのはどうやら政治家、企業家、芸能人限定のようです。相手が物を言えない元犯罪者であれば、尻を拭って便所に流してしまえば一件落着というわけです」(Aの手紙)

 この件はなかなか辛辣な見城批判になっている。『週刊新潮』(9/17号)は、手紙を読み通してみても「それほどまでに見城社長に憤慨する理由がいま一つハッキリしない」としているが、私は、見城氏が「忠誠を誓った僕を生贄に捧げ、“異物排除”を連呼する共同体の靴に接吻するという、切腹ものの生き恥を晒した」というところにそれを解くカギがあるように思う。

 一文字一文字刻むようにして書いた本が、評価どころか批判の嵐に晒され、頼みにしていた見城氏も彼を守ってくれず、自分を“異物”と見做す共同体の側に逃げ込んでしまったことへの「恨み・辛(つら)み・怒り」であろう。

 Aは「存在の耐えられない透明さ」というホームページを立ち上げた。そこには自撮りした裸の写真とAが愛してやまないナメクジをモチーフにした気味の悪い作品が掲載されている。

 罪の重さを意識せず、強烈な自己顕示欲で世間を逆恨みするAの「刃」がこれからどこへ向かうのか。予測できるだけに心底恐い。

 『週刊ポスト』(9/25・10/2号、以下『ポスト』)は少年Aの写真と実名を出した。

 写真はほかの週刊誌にも出ているかなり古い写真だが、実名を出したのは『ポスト』が初めてである。

 掲載理由について『ポスト』は「男性は現在起こっている重大な社会的関心事の当事者。氏名を含めたあらゆる言動は公衆の正当な関心の対象である」と新聞の取材に答え、記事中では紀藤正樹弁護士にこう語らせている。

 「元少年Aはすでに成人です。しかも、彼は自分の犯行を本にして出版しており、少年法61条に定められている“罪を推知する情報”を自ら公開している。だが、匿名のままではAが発信する情報に正確性や透明性は担保されず、国民は検証も論評もできない。それはおかしな話です。今回のケースは少年法61条の想定外であり、保護対象に入らないと考えます」

 ここではAの実名は書かないが、私も、実名公表は致し方ないと考える。だが、身勝手な自己愛に凝り固まっている少年Aが、自分の名前が出されたことを逆恨みして、世の中に復讐してやろうと考えるのではないかということを恐れる。

 『週刊新潮』(9/24号)でAが事件を起こした後、7年2か月もの長きにわたって収容され、治療を受けていた関東医療少年院の元院長の杉本研士氏が「『絶歌』の出版をきっかけにしてすべて(彼らがやって来た努力=筆者注)が台無しになり、彼の歩んできた更生の道のりは水泡に帰した」とまで言い切っている。

 「誰からも『絶歌』が認められなかったことから自尊心を傷つけられ、孤独の海に再び放り出された心境に陥っている。その反動で、自己顕示欲が膨れ上がり、幼児性ナルシズムが前面に表れてきているようにしか見えません」(杉本氏)

 Aは母親との愛着障害のほかに遺伝子レベルの障害である行為障害、性的サディズム障害を抱えているというが、本の出版を機に「抑え込んだはずのマグマが爆発し、なにもかも無駄になってしまう怖れも出てきた」(杉本氏)。Aに出版を勧め発行した幻冬舎・見城社長と太田出版の岡聡社長の罪は決して軽くないと杉本氏は指摘する。

 本を出版するとき、この2人は「企業の社会的責任」をどこまで突き詰めて考えたのだろう。嫌な言い方になるが「売り切ってしまえばハイそれまでよ」と考えていたとしたら、甘過ぎるというしかない。

 自分の本への想像以上の反発に「彼の奥深くに眠っていた攻撃的、挑戦的な性格が呼び起こされた」(杉本氏)Aが、再び同じような事件を起こさないように見守り導く「責任」が2人にはあるはずだ。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 安保法制さえ成立させてしまえば、ほかのことはどうなってもいいという、安倍首相の魂胆が見え見えである。マイナンバーを普及させるために、酒を除く食料品は8%にしてやるが、そのためにはスーパーで買うたびにマイナンバーカードを提示しろと言い出したのもその一つである。ダメな理由は『現代』を読んでいただくとして、今の自民党の政治家どもは「安保認知症」とでも言いたくなるほど頭が腐っているようだ。国民の8割が「わからない」と言っている安保法案を廃案にして、脳のCTスキャンを優先するべきである。

第1位 「マイナンバー制度は、『第2の新国立競技場』になる」(『週刊現代』9/26・10/3号)
第2位 「『エンブレム』審査を「佐野研」出来レースにした電通のワル」(『週刊新潮』9/17号)
第3位 「総裁選『野田聖子の乱』裏切り者と功労者」(『週刊文春』9/17号)

 第3位。『文春』によれば、野田聖子前総務会長(55)が立候補の意思を表明してから、官邸は「推薦人になりそうな議員をリストアップし、片端から電話していました。比例選出のある女性議員は、安倍陣営から『次の選挙』をチラつかせて脅された」(与党担当記者)そうだ。
 だが、9月4日以降、古賀誠元幹事長が動き出した。古賀氏は外務大臣・岸田文雄氏の率いる派閥の名誉会長であり、野田氏が「政治の師」と仰ぐ人だ。安倍首相が強引にすすめる安保法案にも批判的である。
 古賀氏の動きで一時は18人から20人の推薦人が集まったという情報が駆け回ったそうだが、肝心の岸田氏が、ポスト安倍を狙うのに自派もまとめられないのでは先がないと慌てて、派閥の全議員に「推薦人になるな」と電話して潰してしまったという。
 結局、古賀対岸田の「抗争」は古賀氏が敗れ、野田氏は9月8日に記者会見を開き無念の出馬断念を発表した。
 なんとケツの穴の小さい安倍首相と自民党であろう。安保法案、消費税増税、TPP交渉、対中国・韓国との外交問題など、問題は山積している。総裁選を機に国民にそうした問題について語りかけ理解を求めるのは、政治家として当たり前である。
 野田氏は10日付の朝日新聞でこう語っている。

 「安全保障関連法案も原発再稼働も、世論調査で賛成が過半数ない中を乗り越えないといけない。自民党に対する不安が募っている中、『いやいや大丈夫だよ』と払拭(ふっしょく)し、きちんとしたプロセスを経て選任されるほうが、安倍内閣にとっても強固な基盤を維持できたんじゃないかな」

 失礼だが、安倍首相が3年の任期を全うできるとは、私は思わない。体調不安もあるが、あの人のなんともいえない「影の薄さ」が、志半ばで斃れた父・安倍晋太郎氏にどことなく似てきた。そう思えてならないのだ。

 第2位。さて、五輪エンブレム盗用問題はサノケン(佐野研二郎)が取り下げることでいったんケリがついたかと思ったが、彼がHP上で「誹謗中傷、人間として耐えられない限界状況」と書き込んだことで、「いつから被害者の仮面をかぶった」(『新潮』)のか、「“被害者”強調で火に油」(『文春』、9/17号)と攻撃の手は緩まないようだ。
 当然ながら五輪組織委員会の森喜朗会長や武藤敏郎事務総長は、新国立競技場問題に続く不祥事の責任をとって辞任せよという声も日増しに大きくなってきている。
 『新潮』では、エンブレム選出の経緯に不透明な部分があると、その時の審査委員の一人が匿名を条件にこう話している。

 「今回のエンブレムの選出の経緯は、コンペの名を借りた不当な選出方法であったと言わざるを得ない」

 なぜなら、審査委員への報告がないまま森氏と武藤氏が、佐野氏に2度も修正を依頼したといわれる。そのことが事実なら、最終案は専門家ではないこの2人によって方向付けられたもので、なんのために審査委員が集まってデザインコンペをやったのか。「これは完全なるルール違反で、不当なコンペです」(先の審査委員)
 審査委員が「修正」の事実を知ったのは発表直前だったというのである。審査委員は8人だが、その中の1人だけこの修正について把握している人間がいた。大手広告代理店「電通」社員の高崎卓馬氏(45)で、彼は五輪組織委員会のクリエイティブ・ディレクターでもある。
 しかも審査委員の人選を決めたのも彼だと、先の審査委員が話している。
 また『新潮』によれば、エンブレム発表後に、サントリーの「オールフリー」キャンペーンで使われたトートバッグの「盗作疑惑」が持ち上がったが、この広告を担当していたのも高崎氏だという。
 エンブレム審査は制作者の名前は伏せられて行なわれたが、審査委員の中には佐野氏の作品と気付いた人もいたようだ。問題はそれよりも修正が審査委員に無断で行なわれたことである。

 「電通社員、組織委幹部、審査委員という3つの顔を持つ高崎氏には、佐野氏の案を“出来レース”のレールに乗せなければならない理由があったのではないか」(同)

 『新潮』はこう指摘するに留めているが、国家的なプロジェクトに電通が一枚噛むのはよくあることで、今回の場合、高崎氏と佐野氏が顔見知り以上の間柄であることは推察できる。
 最初からなんとしても佐野案を採用させるために、高崎氏が審査委員に知らせずに佐野氏に修正させたのではないかという「疑惑」は残る。高崎氏は『新潮』のこの指摘に答える「説明責任」があると、私も思う。

 第1位。今週の第1位は『現代』のマイナンバーの記事。
 私には安倍政権に腹の立つことがまた増えた。消費税を10%に引き上げた場合、酒を除いた食料品を購入したら2%分を後で返すという案のことである。上限が年間4000円というのも腹が立つが、いちいちレジで払う際、マイナンバーカードを出さなくてはいけないというのは、マイナンバーが普及しないことを想定している役人のサル知恵である。
 スーパーなどはそのための設備をしなくてはならないし、消費者はレジでの面倒が増えるだけである。こんなふざけたことを考えずに、アベノミクスは失敗したから10%引き上げは断念すると言えばいいのだ。安倍さん、そうじゃないか?
 ともあれ『現代』の記事を見てみよう。財務省がぶち上げたプランはこうだ。

 「予定では17年4月、消費税が現在の8%から10%に上がる。それ以降、スーパーマーケットで食料品を買ったり、ファミリーレストランで食事をとったりすると、国民ひとりひとりに『軽減ポイント』が与えられる。軽減税率の対象となる飲食料品は、消費税が8%に据え置かれ、10%-8% = 2%分がポイントとして返ってくるのだ。
 ポイントは、マイナンバーが記された『個人番号カード』をレジの端末で読み取って記録する。つまりは、よくある『ポイントカード』を、国家規模でやろうというわけだ。
 ポイントは、ひとりあたり年額4000円分までためられるが、すぐに手元に還付されるわけではない。たまった分を後から申告し、税務署に認められると、ようやく銀行口座に振り込まれる。
 こう説明すると『なんだ、思ったより簡単ではないか』と思うかもしれない。確かに、あらゆる食料品について、軽減税率を適用するかどうかを『これはOK、これはNG』などとひとつずつ決めてゆくよりはずっとシンプルだろう。しかし、一連の流れを順に見てゆけば、この仕組みは穴だらけの代物だと分かる」(『現代』)

 税理士の青木丈(たけし)氏もこう言う。

 「マイナンバーはみだりに他人に教えたり、人目に触れたりしないよう、慎重に扱わなければなりません。個人番号カードにはマイナンバーのほかに住所・氏名・生年月日など、個人情報も満載されている。人前で頻繁に取り出せば、当然、紛失する危険も大きくなります。
 また本来、マイナンバーの個人番号カードは希望者のみ交付されます。麻生財務大臣は『カードを持ちたくなければ持って行かなくていい。その分の減税はないだけだ』と言いますが、最初から4000円を定額で全国民に支給するほうが、はるかに合理的で公平です」

 1500億円の税金をかけて全く浸透しなかった「住基ネット」の轍は踏めないと財務省はわかっているから、マイナンバーを国民に周知する上で「カネが貰える」という餌を与えることを考えついたのであろうが、先ほど言ったように「サル知恵」で、浅はかで、国民をバカにしている。
 別の内閣府官僚もこう漏らす。

 「カードとサーバーの両方にポイントのデータを保存する仕組みだと、実現は厳しいと思います。JRの『Suica(スイカ)』をチャージするときと似た仕組みになるので、カード自体の記憶容量が足りなくなるかもしれず、データの処理に時間もかかる。それに、処理中に間違ってポイントが消えたら、その場でお金を返すわけにもいかないので、どうしようもありません」

 さらに大きな約束違反がある。財務省のプランでは「マイナンバーが個人の銀行口座と一対一で紐づけられている」ことが、いつの間にか大前提になっているのである。そうでなければ消費税の還付が受けられないからだが、つい先日まで内閣府は、マイナンバーを本格的に銀行口座と連動させるのは18年度以降、紐づけするかどうかは、当面は任意性だと説明してきたではないか。これが事実上ひっくり返されることになるのだ。

 「新たな政府発表では『レジの端末では、マイナンバーをはじめ、個人の特定につながるような名前・住所・生年月日などは読み取らない』という。しかし、そもそも買い物の内訳と個人情報や口座の情報を突き合わせなければ、還付金の計算も支払いもできないのだから、いかにも適当な『建て前』としか聞こえない」(『現代』)

 こんなものを拙速に普及させてはいけないし、普及するはずはない。こんなセキュリティの甘いシステムでやれば必ず深刻な情報漏洩が起こることは100%間違いない。即刻、止めるべきである。
 『現代』の記事がきっかけではないだろうが、この日本型軽減税率方式には公明党も強く反発していて、早くも白紙撤回だと報じる新聞報道が目立つ。当然である。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 明治時代、海外から移送され、日本で完成していたにも関わらず営業運転されなかった幻の列車があった。当時の九州鉄道がアメリカの代表的な鉄道車両メーカーJ.G.ブリル社に製造を発注した、通称「或る列車」である。走行がかなわなかったのは、九州鉄道の国有化にともなう諸々の事情によるものらしい。正式な名前は存在しなかったため、鉄道ファンのあいだで「或る列車」と呼ばれるようになったのだが、その悲劇性もはらんで魅力的な表現といえるだろう。

 2015年8月8日から運行しているJR九州の「或る列車」は、この幻の存在を「復活」させたものだ。モデルとなったのは、鉄道模型の収集家として世界的に有名な、故・原信太郎(はら・のぶたろう)氏による模型である。豪華寝台列車「ななつ星in九州」を手がけたインダストリアルデザイナーの水戸岡鋭治(みとおか・えいじ)氏が、模型の素晴らしい出来に心を動かされて実現に至った。原信太郎の次男である、原鉄道模型博物館副館長の原健人氏が監修している。

 金色の車体の下部に唐草模様をあしらった、みやびなデザイン。「JRKYUSHU SWEET TRAIN」として、九州の食材をふんだんに使ったスイーツが楽しめる豪華列車となっている。10月12日まで大分コースを運行するが、こちらの JR九州企画・実施分はすでに完売。その後11月からは長崎コースを実施するが、こちらも先行予約から人気で、チケット奪取は激戦となりそうである。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 このところ、紫水晶、タンザナイト、硬石膏など天然の鉱物に魅了される「鉱物女子」なるものが注目されている。

 鉱物は地殻中で産みだされた個体物質のなかで、科学的にほぼ均質のもので、その多くは原子やイオンなどが規則正しく配列された結晶状態をしている。自然界に存在する鉱物は数千種類に及ぶが、そのうちダイヤモンドやルビー、サファイヤなど宝石になるのは300種類程度。

 だが今、鉱物女子たちがハマっているのは、こうした磨かれて宝石になった鉱物ではない。人の手が加わっていない、自然そのままの鉱物で、「地球が作った彫刻作品」「ずっと前から地殻にあった鉱物にロマンを感じる」「キラキラしていてかわいい」など、磨かれる前の色や形そのものに魅力を感じているようだ。

 火付け役となったのが2013年に発行された「鉱物アソビ 暮らしのなかで愛でる鉱物の愉しみ方」(スペースシャワーネットワーク)という単行本だ。いわゆる鉱物図鑑ではなく、まるで雑貨品を紹介するように、きれいな写真とともに天然の鉱物の魅力や美しさを紹介。それを見た読者が、鉱物収集を始めたり、博物館に足を運んだりするようになったのだ。

 また、国内外から専門業者が出店する鉱物や化石などの展示即売会が行なわれる「ミネラルショー」に足を運ぶ鉱物女子もいる。

 一般に販売されている鉱物は、宝石のように加工していないので、価格も500円程度から購入できるものもある。ブラックライトをあてて鉱物の光りを楽しんだり、自分でアクセサリーに加工したりと、楽しみ方は人それぞれだ。

 「鉱物」という言葉の響きから、一見、男性的なものを感じるかもしれないが、鉱物女子の本質は「キラキラとかわいいものが好き」な女性たちだ。

 いつの時代も、女性はかわいいもの、きれいなものに魅了される。鉱物ブームは当分続きそうだ。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 フランス語で「着色」や「ぬり絵」のことを「コロリアージュ(coloriages)」という。最近この言葉は、子どもではなく大人が楽しむ、グラフィカルなぬり絵をさす用語として注目されているようだ。

 日本でも大人向けのぬり絵が2000年代にブームとなったが、これは高齢者などが新規に取り組みやすい趣味として、「脳トレ」的な人気を集めた感がある。「きいちのぬりえ」など、幼少期を懐かしむところもあっただろう。日本のぬり絵文化は親しみやすさに特徴を持つといえる。これに対してコロリアージュは、ストレスフルな日常を過ごす現代人が、余暇に癒しを得るためのツールとして認識されているようだ。特に女性に人気がある。

 コロリアージュの世界的なブームの火付け役は、2013年に発表された、ジョハンナ・バスフォードの『Secret Garden』とされている。日本でも『ひみつの花園 花いっぱいのぬりえブック』(グラフィック社)のタイトルで出版された。類書もいくつか出回っているが、日本のぬり絵と比べるとアート感が優先され、その線画は面食らうほど細かい。もし美術系に興味があるのなら、一度は試しておきたいカルチャーといえるだろう。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 2015年は5年ごとの国勢調査が行なわれる年である。

 国勢調査は日本国内に住んでいる外国人を含むすべての人と世帯を対象とする統計調査。調査年の10月1日現在の人口、世帯数、就業状態や住居の種類などを調べる。調査結果は、福祉政策や生活環境整備など様々な施策の計画策定に利用される。

 調査は1920年から行なわれているが、今回は初めてインターネットを使っての回答が導入された。スマートフォンやタブレット、パソコンなどを通じての回答で、総務省は約1000万世帯の利用を見込んでいる。もちろん従来通り、調査票に書き込んで、調査員に渡したり、郵送したりするなどの回答も引き続き可能だ。

 今回の調査手順はこうだ。(1)2015年9月10日から12日までに全国約5200万世帯に「インターネット回答ID」が印刷された利用案内を配布、(2)9月10日から20日にネット回答を受け付ける、(3)ネット回答がなかった世帯には、9月26日から30日までに調査員が調査票を配布、(4)10月1日から7日に調査員が回答を集めたり、郵送回答を受け付ける。

 ネット回答の導入の背景には、オートロックマンションの普及、単身世帯の増加、プライバシー意識の高まりなどで、調査員が戸別訪問して回収するというやり方が困難になっているという実情がある。

 2016年1月から交付が始まるマイナンバーカードについては、将来的に国勢調査に活用することが検討されるだろう。
   

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 10代の女子を中心に、LINEで最近よく使われている究極の簡略語の数々。正解は、

 「り」→「了解」
 「け」→「OK」
 「そま」→「それマジ?」

であるらしい。

 「それマジ?」はともかく、「了解」や「OK」といった筆者世代でも多用する言葉は、「り」「お」と打っただけで変換候補の単語として出てくるはずだが、LINEをコミュニケーションツールとしてもっとも使いこなす10代女子にとっては、もはや“変換”のワンクッションすら億劫、時間の無駄ということだ。

 仲間外れにされてしまった世代からすれば当然のこと、ミスタッチの文字が誤送信されてしまったとしか思えないものばかりで、また「正しい日本語が云々〜」などと言語学系あたりの知識人が憂い出すことも予想されるが、各世代ごとの環境や事情があるのだから、それはそれで現象として素直に受け止めるべきだと筆者は考える(「受け入れる」必要はない)。

 ただ、「OK」の略語がなぜ「お」ではなく「け」なのかだけが、筆者的には謎である。やはり母音は応用度が広すぎるがゆえ、意味合いを特定する略語には向いていないということか? だとすれば、本能的な判断だろうが、なかなか用心深いセンスだと感心した。

 あと、「ほかにもあった若者がよく使う略語」に、「あーね!」→「あーなるほどね!」、「しょんどい」→「正直しんどい」などが挙げられていたが、これらは時短の観点から言えば、今ひとつなのではなかろうか。
   

   

ゴメスの日曜俗語館 / 山田ゴメス   


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