ひと言で言えば「大衆迎合的な政治」。もう少しくだいて説明すると、国民に心地よいスローガンを唱えて、大衆の支持を得ようとする政治手法のことだ。大衆のなかに漠として存在する閉塞感、鬱積(うっせき)した感情に煽動(せんどう)的に訴え、政治のエナジーにしてしまうこともある。
いまの日本はポピュリズム政治が生まれやすい状況といえる。長引く不況の下、衆参両院で与野党の勢力がねじれて、永田町は「何も決められない政治」に陥っており、国民の間に強い不満が漂っているからだ。「心地よいスローガン」とはさしずめ、「消費税増税の前にやることがある」「いますぐ脱原発だ」といったところだろうか。
そうした状況のなか、ポピュリズム政治との関連で、メディアは橋下徹大阪市長(日本維新の会代表)の存在を指摘している。
確かにその政治手法には、ポピュリズムの臭いがプンプンする。しかも「橋下現象」の場合は、「テレポリティクス」(テレビを意識した政治)、「ネット政治」(ネットを活用した政治)の要素も加味されており、より進化した形のポピュリズム政治といえる。
遅くとも来年夏までに衆院解散・総選挙が行なわれる。今後、選挙を意識した言説が政党や政治家から発せられそうだ。欧州危機の引き金となったのはギリシャの放漫財政だが、これも「甘い汁」を吸わせるままにしたポピュリズム政治の弊害といえる。日本の借金財政も然り。世論におもねるポピュリズム政治では、日本が直面する危機的な状況を乗り切れないことだけは確かだ。