1月20日のことで、「二十日正月」や「骨降ろし」ともいう。正月の祝いに用意した塩鰤(しおぶり)や荒巻鮭(あらまきさけ)も、1月半ばになると、残っているのはあらばかりになっている。現代では想像ができないかもしれないが、昔の商店は、注連(しめ)の内(1月15日の小正月までの間)まで休んでいたので、買いだめしてあった食材もすっかり食べ尽くしていた。そこで20日になると、残りのあらを、おだい(大根)と一緒に炊いたり、粕汁(かすじる)にしたりして食べていた。文字通り、これが骨正月と呼ばれる理由である。
京都らしい残り物の始末であるが、残り物とはいえ、きっとおいしい料理であったろう。一家の人数が多かった戦前まで「暮れの大買い」といい、塩鰤や荒巻鮭が各家の軒先などに何匹もつり下げられていたという。何匹もの上質のあらをふんだんに使って、もっとも甘くおいしい時期の大根を炊くのだから、おいしくないわけがない。
各家庭では1月15日の小正月に「あずのおかいさん(小豆粥)」を食べた後、元旦から使っていた柳を丸く削った雑煮箸(ばし)を焼き捨てて正月が終わる。翌日から常(つね)の日が戻ってくるわけだが、きっと20日の骨正月は、食材だけでなく、正月気分がもう一度やってくる「おまけの正月」みたいな楽しい一日であったろう。