上賀茂神社(上社)と下鴨神社(下社)からなる賀茂神社の祭りで、祇園祭、時代祭と並ぶ京都三大祭のひとつである。6世紀中ごろの欽明(きんめい)天皇の時代に暴風雨の害や疫病が蔓延(まんえん)した際、賀茂県主(かもあがたぬし)一族の行なった祭礼を起原としている。『源氏物語』葵の巻には、葵祭の場所取りの見物人が牛車で争う平安期の様子が描かれており、当時は祭りといえば葵祭のことをさすほど、都随一の祭りであった。毎年5月15日に行なわれる「路頭(ろとう)の儀」が、一般に葵祭といわれている行事である。馬36頭、牛4頭、牛車2台、腰輿(およよ)1基の総勢512名が、澄んだ青空と青々と茂った若葉の中で下社から上社まで約8キロを、いかにも静かでのどやかに列をなし歩んでいく様子は、数ある祭りの中でもっとも京都らしい。王朝絵巻のような行列の主役となる斎王(さいおう)は、賀茂神社に奉仕する王家の未婚女性(皇女)のこと。1956(昭和31)年から斎王代として、一般から選ばれた未婚の女性が列に加わっている。
葵祭というのは通称であり、正式には賀茂祭という。葵祭とは、賀茂神社の神紋であるフタバアオイの葉が行列の至るところに見られるからだが、この名称がついたのは江戸時代になってからのこと。1502(文亀(ぶんき)2)年から200年ちかくの間、断絶状態にあった賀茂祭は、1694(元禄7)年に、神紋と同じ葵を家紋とする徳川将軍家の後援によって再興を遂げた。これをきっかけに葵祭と呼ばれるようになったのである。
斎王代が乗る牛車には、御簾に葵がかけられている。