間口が狭く、奥行きの深い構造になった住宅や場所のたとえで、その典型が京都の町家である。町家は通りに面した表口から裏口まで「通り庭」がまっすぐ抜けており、その通り庭に沿って表口-店-ダイドコ-座敷が、奥へ奥へと続いている。板の間や畳敷きの床の上のことは「オイエ」と呼び、土間である通り庭のうち、表口-店までを「ミセニワ」、その奥は「ハシリニワ」と呼んで二つに分けている。このミセニワとハシリニワの間には、よく麻地の長暖簾がかけられている。これが京都の商人や奉公人を皮肉った「三条室町 来て見りゃ地獄 おかゆ隠しの長暖簾」といわれる、表と裏を隔てた暖簾である。
京都の町家は、東西、南北に走る通りで区切られた四角い土地を、各家の間口が通りに面するように短冊状に宅地割りされている。そのため、住宅が密集するほど、奥行きは変わらないまま、間口は狭くなっている。多くの町家は奥行きが18~22メートルで、間口は小戸と呼ばれる4.5メートル(2間半)以内のものが多い。京都の古い町家は1864年の「蛤(はまぐり)御門の変」で消失してしまったので、現存する住宅は古いものでも明治期以降に建てられたものである。現在、もっともよく見かけるのは、2階建てで、通りに面した窓には真鍮(しんちゅう)製のパイプ格子などが施され、窓下の腰の部分に、御影(みかげ)石やタイルなどの外壁を貼った住宅である。これは大正期~昭和初期に建てられた町家で、当時はかなりハイカラな町家として話題になっていたそうである。町家は細長い造りなので部屋の中の日当たりはよくないけれど、その分涼しく、表の戸口を開けると、風は通り庭を通って裏庭へ、2階へと勢いよく流れていく。風通しは素晴らしい。
庭に抜け、裏口へと続く通り庭。京都の暑い夏にはこの見た目の涼しさが大事である。