水の清い川に棲む20センチメートル前後の淡水魚で、淡い黄緑色のきれいなヒレや尾をもっている。香魚ともいう。水苔を食べることから独特の香気があるためで、鮎好きは、旬の6月下旬から7月に、獲りたてを塩焼きにして蓼酢(たでず)をつけ、香りの強いはらわたから食べるのが一番おいしいという。『古事記』や『日本書紀』にも登場し、日本人が古くから愛してきた魚である。素揚げ、鮎寿司、なれずし、飴煮(甘露煮)、酢漬けなどと、食べ方も豊富にある。
食通として知られた北大路魯山人(きたおおじ・ろさんじん)は、日本一うまい鮎の名所として、嵐山に注ぐ保津川上流部の上桂川をあげ、その理由や食味を幾度となく語り尽くしている。嵐山から川伝いに30キロメートルほど遡(さかのぼ)ると、かつての世木(せき)村が日吉ダム(南丹市)の底に沈んでいる。その辺りは、木材を京都へ運ぶため、筏流しの中継地があった場所で、鮎の名所としても知られていた。明治初期までは京都御所へ献上するための献上鮎を産しており、鮎釣は、杣(そま)師や筏師にとって貴重な収入源になっていた。世木村から京都の嵯峨・鳥居本にある鮎問屋までがおよそ30キロメートルで、鮎を入れたアユモチ桶を天秤棒にかけ、山道を歩いて運んでいた。そのアユモチが行き来した道筋は「鮎の道」と呼ばれている。
江戸中期の食療本草書『本朝食鑑』(ほんちょうしょっかん)によれば、鮎の強い縄張り意識を利用し、オトリの鮎を使って捕らえる釣法の友釣りは、八瀬(やせ、左京区)の里人が編み出したとして記録されている。
愛宕神社の一ノ鳥居脇にある平野屋は、京都の「鮎の道」の歴史を今に伝える。