お地蔵さんとは、八大菩薩(ぼさつ)の一つ、地蔵菩薩のことである。けれども、峠や路傍でじっと見守ってくださるお地蔵さんに抱く印象とは若干異なるように感じられ、しっくりいかない思いを抱いている方も多いのではないだろうか。
この身近な場所でいつも温かく見守ってくれるお地蔵さんは、日本人の信仰が生んだ神仏習合によって形づくられた民間信仰といえる。愛宕山(あたごやま、京都市北西部)山頂の愛宕社の本地仏である勝軍地蔵は、塞神(さえのかみ、さくじんとも読む)・道祖神と地蔵菩薩が、語の音の転訛によって神仏が習合された。道祖神とは「塞」という語が使われていることからもわかるように、境界にいて悪霊の侵入を防ぎ(塞ぎ)、通行人や村人を守ってくれる神様のことである。この道祖神と地蔵菩薩の神仏の習合した姿が、いわゆる「お地蔵さん」であり、峠や町境、辻、路傍に石像を建てて祀られる「お地蔵さん」の信仰を広めていったのである。室町時代の京都では、地蔵霊場巡りや「〇〇地蔵」と名づけられた、はやり地蔵がもてはやされた。それは和讃(わさん)や説話、狂言となり、のちの江戸の町民文化へも浸透していくことになるのである。
毎月24日はお地蔵さんの特別な日を意味する縁日である。京都では8月22日から24日を地蔵盆といい、各町内の子どもの守り神である石地蔵を祠(ほこら)から移し、灯籠(とうろう)や供物をささげて飾りつけ、子どもたちはその前で遊んだり、おやつをもらったりしながら一日を過ごす。最近は24日ではなく、8月下旬の休日に日取りを合わせるようになったが、あちこちで年に一度のお地蔵さんのお祭りを楽しむ光景が見られる。
地蔵盆の様子。今出川通と志賀越道(しがごえのみち)の交差点に佇む子安観世音(鎌倉期)は、花売りの白川女の信仰が厚く、商いに出る前には花を供えたという習慣は現在も受け継がれている。