キャロライン・ケネディ第29代駐日米国大使、55歳。彼女が5歳の時に父親のジョン・F・ケネディ大統領がテキサス州ダラスで凶弾に斃(たお)れてしまう。葬儀で、母親・ジャクリーンの手を握り気丈に振る舞う彼女の姿は、米国民だけではなく、世界中の涙を誘った。
ちょうど50年前の1963年11月23日(アメリカ現地時間では11月22日)。高校生だった私は、友人たちと山に登るため、朝早く起きてテレビをつけたときの衝撃を今でも覚えている。
その日は日米間で初めての「宇宙中継」が開始される日だった。真っ先に飛び込んできたのが「ケネディ暗殺」の大ニュースだったのである。
犯人として逮捕されたのは、ソ連に亡命経験のある元海兵隊員オズワルドだが、拘置所に移送中に射殺されてしまったため、この事件は「20世紀最大の謎」として残り、未だに真相は明らかになっていない。
『週刊ポスト』(11/29号)で国際政治ジャーナリストの落合信彦氏が、この事件の多くの謎について書いている。「後継大統領のジョンソンが、この事件を検証する『ウォーレン委員会』の証拠資料を75年後まで非公表にしたこと」「急遽変更されたパレードの道筋」「遺体を違法に連邦政府が持ち去ってしまった」「ウォーレン委員会の報告書と矛盾する証言をした証人たちの連続変死」などをあげて、オズワルドの単独犯行などではなく、アメリカの戦争を商売にする巨大な既得権勢力の犯行だとしている。
この見方は新しいものではない。アメリカでは今でもケネディ暗殺の真相を謳う本が次々に出版されている。
話をキャロラインに戻そう。『週刊新潮』(11/28号、以下『新潮』)によれば、彼女はハーバード大学でアートを学んだ後、コロンビア大学のロースクールを修了し、弁護士資格を取る。メトロポリタン美術館で勤務していたとき、デザイナーと恋に落ち、28歳で結婚。1男2女をもうけ慈善活動に携わってきた。
その間政治にはタッチしてこなかったが、2000年の大統領選で民主党からゴア元副大統領の応援メッセージを請われて引き受けたのが始まりで、08年には彼女自ら「私の父のようだ」と熱烈なオバマ支持を表明し、ヒラリー有利だった予備選の状況が一変したといわれる。
今回、オバマ大統領の抜擢で大使に就任したわけだが、政治には素人の彼女は「シンボル的な存在。実質的な日米交渉は、大使館ナンバー2の首席公使がこなすことになるでしょう」と『新潮』で春名幹男早大大学院客員教授が話している。
だが、彼女は上院議員選挙に意欲を見せたこともあるから、「今回は、ケネディ家の栄光を取り戻すべく、キャロラインが立ち上がったと見るべきです」(城西国際大学国際人文学部の土田宏教授)と分析する向きもある。
実際、アメリカの超名門ケネディ家の政治的復活を託す逸材が、キャロラインのそばにいるのである。長男のジョンがそれだ。
「キャロラインは、長女に祖母の名であるローズ、そして長男にはジョンと名付けている。ここからも、名門の復興へ向けた意気込みが見てとれます。ゆくゆくはジョンを大統領に、と考えているのでしょう」(作家の井上篤夫氏)
ジョンは現在20歳。エール大学の2年生で、高校時代にはケリー国務長官のもとでインターンをしていた経験もある。昨年“将来は政治に携わりたい”と発言し、周囲を大いに喜ばせたという。
しかもすこぶるいい男である。祖父の上を行く大統領になるかもしれないと、ケネディ家では期待が膨らむのだろう。
実は「08年の予備選では当初、ケネディ一族はヒラリーを支持していたのです」と話すのは明治大学の越智道雄名誉教授である。
「当時15歳だったジョンが、オバマを支持するようキャロラインを説得、あわせてヒラリーの同志だった叔父のエドワード・ケネディ上院議員も翻意させ、勝利へと導いたのです」
ジョンは、さしあたり2018年に行われる下院議員選挙への出馬が予想されているという。
「(キャロラインの=筆者注)次の狙いは、一度は断念した上院議員のポスト。年齢を考慮すれば最短で2020年の大統領選を視野に入れている可能性もあります。そのためにもミスを犯さないよう、大使の任務は慎重な姿勢で取り組むことでしょう」(土田教授)
彼女には駐日大使を踏み台にして大統領に駆け上がる「野心」があるというのだが、それはどうだろうか。だが、息子のジョンが“無事”に政治家として成長していけば、大統領の座も夢ではない。なにしろ有り余る財力とJFKの孫という輝ける七光りを持っているのだから。