永田町でにわかに注目を集めているのがこの「責任野党」という言葉だ。安倍晋三総理が2014年1月の施政方針演説で「政策の実現を目指す『責任野党』とは柔軟かつ真摯に政策協議をやっていく」と述べ、野党のみんなの党や日本維新の会に秋波を送り、波紋を広げたからだ。
新しい言葉ではない。自民党単独政権が傾いた1980年代後半ころから使われた。当時は社会、公明、民社党など野党が存在感を強め、自民党政権に代わる新たな政権の樹立が取りざたされたころだった。野党としては政権奪取を視野に、それまでの反対一辺倒から脱皮を迫られていた。
ではなぜ、いま、衆参両院で自民、公明の与党が過半数を圧倒しているなかで「責任野党」が取り上げられるのか。背景には「集団的自衛権の憲法解釈の見直しなど安倍晋三総理が打ち出すタカ派の政策に対し、抵抗感を示す公明党の存在があります」(大手紙政治部記者)との見方がもっぱらだ。実際、公明党の山口那津男代表は同党のフェイスブックで「まずは『責任野党』の前に『責任与党』ですよね。そのうえで幅広い合意をつくるというのが、基本的な道だ」と記している。
「責任野党」という言葉は野党側からすれば、政権奪取への備えである一方で、「権力に擦り寄り、野党の存在感を否定する」ものでもある。秋波を送られたみんなの党や日本維新の会は、自民党に近づいて存在感をなくし埋没、衰亡する可能性もある。