「反知性主義」。これまで、あまり耳にすることのなかったこの言葉が、現在の日本の政治状況を批判する文脈の中で使われるようになっている。
反知性主義とは、もともと知識人への反感や敵視から生まれた考え方で、現実に疎いインテリ層への蔑称だった。それが翻って、国家によって意図的に国民が無知になるように仕向けられる愚民政策を意味するようになった。
だが、朝日新聞(2月19日付)によれば、元外務省主任分析官で作家の佐藤優(まさる)氏は、反知性主義を「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」と定義している。
反知性主義者は、歴史的な事実、明確な数字に表れるデータなどを無視して、自分の頭の中で都合よく作り上げた物語に沿って、強引に物事を推し進めようとする。そのため、他者との軋轢を生むが、何を言っても意に介さないため、話は平行線をたどることになる。
本来、民主主義とは、さまざまな立場にある人が熟議を重ね、お互いを尊重し、妥協点を見出して合意形成していくものだ。その作業を行なうには、双方が事実を事実として受け入れ、ルールに従って客観的に物事を考える知性が必要だ。だが、反知性主義者は、そうした知性を放棄して、独善的な考えで他者をコントロールしようとするので始末が悪い。
確かに、昨年の「ナチスの手口に学んだらどうか」と言った麻生太郎副総理の発言、立憲主義を否定し「集団的自衛権の解釈変更を決めるのは、政治の最高責任者である首相だ」との安倍晋三首相の発言は、佐藤氏が定義付ける反知性主義と符合する。
反知性主義の蔓延は、一定のルールの元に話し合いで物事を解決していく民主主義を崩壊させる危険性を秘めている。それを阻止するのは、事実を直視し、客観的に物事を考えることのできる国民一人ひとりの知性にかかっている。