関東、東北が、記録的な大雪に見舞われた2月中旬。福島市郊外の国道で立ち往生する車のドライバーに、近くの仮設住宅で暮らす東日本大震災の被災者らが、暖かいおにぎりを握って配り歩いたという記事が共同通信から配信された。

 この美談はネット上で瞬く間に広まったが、震災から4年目に入った今もまだ、仮設住宅での暮らしを強いられている被災者がいることに心を寄り添わせなければならないだろう。

 おにぎりを配り歩いたのは、福島第一原発事故で避難を余儀なくされた福島県・飯舘(いいたて)村の人々だ。事故以前の飯舘村は、原発産業に頼らず、緑豊かな里山の資源を生かし、「までいの里」として独自の地域興しをしていた地域だった。

 「までい」とは、「ていねい」「じっくり」を表す福島県北部の方言で、暮らしのさまざまな場面で使われる。だが、2011年3月11日の東日本大震災に端を発する原発事故は、までいの里の人々から平穏な暮らしを奪うことになった。

 飯舘村は、福島第一原発から北西に位置しており、全域が計画的避難区域に指定され、住民全員に避難指示が出された。今もまだ帰宅困難区域、居住制限区域となっているところがほとんどで、住民の多くが故郷を離れて仮設住宅などで暮らさざるを得ない状態だ。

 仮設住宅は災害救助法で定められた救助のひとつで、地震や津波、水害などの自然災害で住む家を失った人に対して、行政が無償で貸し出す住宅。正式名称は「応急仮設住宅」という。

 災害救助法では、仮設住宅の入居期限は原則2年間と決められている。だが、東日本大震災は被害が広範囲に及び復興がなかなか進まなかったため、1年延長して2014年3月までの3年間となった。

 しかし、復興住宅の整備は遅々として進まず、2013年11月末現在、完成したのは東北3県でわずか509戸のみ。2014年2月現在、全国で25万2764人に及ぶ人が、いまだ仮設住宅(災害救助法が適用された公営住宅、民間賃貸住宅を含む)で暮らしているのだ。そのため、国は仮設住宅の入居期限をさらに1年間延長することを決定している。

 過去の自然災害でも、仮設住宅の入居期限は延長が繰り返されており、1995年の阪神淡路大震災は、最後の入居者が仮設住宅を出たのは2000年1月。震災から5年を要した。

 東日本大震災は、原発事故の放射能汚染もあり、とくに福島県の住まいの復興は難航している。人々が落ち着いて暮らす場所を得るには、さらに長い年月が必要だろう。

 あれから4年目。時間は確実に流れた。だが、故郷に帰りたくても、帰れない人々が、今もまだ仮設住宅で暮らしていることを忘れてはならない。

   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   


早川幸子(はやかわ・ゆきこ)
水曜日「ニッポン生活ジャーナル」担当。フリーライター。千葉県生まれ。明治大学文学部卒業。編集プロダクション勤務後、1999年に独立。新聞や女性週刊誌、マネー誌に、医療、民間保険、社会保障、節約などの記事を寄稿。2008年から「日本の医療を守る市民の会」を協同主宰。著書に『読むだけで200万円節約できる! 医療費と医療保険&介護保険のトクする裏ワザ30』(ダイヤモンド社)など。
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