「しんこ」は、精白後に乾燥させた米をひき、その上新粉(じょうしんこ)を湯でこね、蒸してから搗(つ)いて粘りを出した餅のこと。「志んこ」とも書き、しんこ餅ともいう。全国には名物の「しんこ餅」がいろいろと存在している。
京都名物の「しんこ」といえば、肉桂(にっき)や抹茶を混ぜて色と風味をつけ、細長い形にしたものが一般的で、動物などを模(かたど)った種類もいくつかある。食べ方は、きな粉や黒蜜をかけるか、しんこ自体に甘みがついているものがあり、おまんやさん(お饅頭屋さん)定番の和菓子である。
いつごろから食べられてきたのかは定かでない。文政年間(1818~1829年)の創業で「志んこ」が名物の和菓子屋・祇園饅頭によると、江戸時代からおやつとして親しまれるようになったそうである。当時は「しんこ」を手放し天秤に載せた「しんこ売り」が、太鼓を打ち鳴らしながら「しんこ しんこ いいしんこ しんこ しんこ おふくの子」と歌い、売り歩いていたそうだ。京都の上層町人であった藤本箕山(きざん)は、江戸時代前期の遊女案内書『色道大鏡(しきどうおおかがみ)』に、「しんこを白糸、ぼたもちを萩の花、麩焼(ふのやき)をあさがほ」と呼んでいた、と記している。
嵯峨鳥居本(さがとりいもと、右京区)には、愛宕山(あたごやま)山頂にある愛宕神社の一の鳥居がたっている。鳥居の傍らにある創業400年の鮎料理店・平野屋は、古くは愛宕神社参拝の腰掛け茶屋であり、現在も愛宕名物の「しんこ」が味わえる。以前は、山道が続く参道に何軒もの茶屋が「しんこ」を振る舞っていたという。平野屋の「しんこ」は、急なつづら折りの参道を、餅をひねった凹凸で表した形が特徴だ。四季折々の里山に囲まれた茅葺き屋根の下、床几(しょうぎ)に腰を掛けて「しんこ」を食べていると、タイムトリップでもしているかのようである。
京都名物の「しんこ」といえば、肉桂(にっき)や抹茶を混ぜて色と風味をつけ、細長い形にしたものが一般的で、動物などを模(かたど)った種類もいくつかある。食べ方は、きな粉や黒蜜をかけるか、しんこ自体に甘みがついているものがあり、おまんやさん(お饅頭屋さん)定番の和菓子である。
いつごろから食べられてきたのかは定かでない。文政年間(1818~1829年)の創業で「志んこ」が名物の和菓子屋・祇園饅頭によると、江戸時代からおやつとして親しまれるようになったそうである。当時は「しんこ」を手放し天秤に載せた「しんこ売り」が、太鼓を打ち鳴らしながら「しんこ しんこ いいしんこ しんこ しんこ おふくの子」と歌い、売り歩いていたそうだ。京都の上層町人であった藤本箕山(きざん)は、江戸時代前期の遊女案内書『色道大鏡(しきどうおおかがみ)』に、「しんこを白糸、ぼたもちを萩の花、麩焼(ふのやき)をあさがほ」と呼んでいた、と記している。
嵯峨鳥居本(さがとりいもと、右京区)には、愛宕山(あたごやま)山頂にある愛宕神社の一の鳥居がたっている。鳥居の傍らにある創業400年の鮎料理店・平野屋は、古くは愛宕神社参拝の腰掛け茶屋であり、現在も愛宕名物の「しんこ」が味わえる。以前は、山道が続く参道に何軒もの茶屋が「しんこ」を振る舞っていたという。平野屋の「しんこ」は、急なつづら折りの参道を、餅をひねった凹凸で表した形が特徴だ。四季折々の里山に囲まれた茅葺き屋根の下、床几(しょうぎ)に腰を掛けて「しんこ」を食べていると、タイムトリップでもしているかのようである。