京阪地方では鰻の蒲焼きや鰻丼のことを、「まむし」や「まむし丼」と呼ぶ。語源には諸説があり、一説には、鰻を蒲焼きにした後、ご飯の間に挟み、ご飯の余熱で蒸(む)して柔らかくしたことから、「飯(まま)蒸し」や「間(ま)蒸し」という呼び方が転じたものといわれている。また、鰻とご飯をまぶして食べるので、「まぶし」が転訛したとの説もある。
奈良や京都で鰻の蒲焼きがつくられるようになったのは、室町時代のことといわれている。当時は鮒鮓(ふなずし)のような鰻の鮓(すし)や蒲焼きを総称し、宇治川産の鰻にあやかった「宇治丸」という呼び名だったそうだ。京阪地方の蒲焼きの調理方法が、江戸風と異なることはよくご存じだろう。京阪での蒲焼きのつくり方は、鰻を腹開きにし、尾も頭もついたまま白焼きにして、たれをつけ、さらに焼いている。関東のように白焼きの状態で一旦蒸したものよりも固めにできあがる。だから、昔のようにご飯に挟んで蒸したり、名古屋の「ひつまぶし」のようにしたりしたほうが、おいしく食べられるかもしれない。
京都では、東京のように鰻専門店で鰻丼や鰻重を食べるより、料理屋で食べたり、蒲焼きを買って家庭で調理したりすることが多く、食べ方もいろいろだ。例えば、蒲焼きにした後、切り落とした頭の部分は「半助(はんすけ)」と呼ばれていて、豆腐などと炊き合わせて食べる。また、夏らしい献立には、鰻のかば焼きの細切りと、刻んだ胡瓜を塩もみして三杯酢とあえた鰻(う)ざく。ほかにも、玉子で巻いた鰻(う)巻き、鰻茶漬け、鰻(う)雑炊などがお馴染みであり、たくさんの錦糸玉子と蒲焼きを盛り合わせた錦糸まむし丼は、女性に人気がある。
2015年は土用にあたる18日間のうちに、丑の日が7月24日と8月5日の2度巡ってくる年である。
奈良や京都で鰻の蒲焼きがつくられるようになったのは、室町時代のことといわれている。当時は鮒鮓(ふなずし)のような鰻の鮓(すし)や蒲焼きを総称し、宇治川産の鰻にあやかった「宇治丸」という呼び名だったそうだ。京阪地方の蒲焼きの調理方法が、江戸風と異なることはよくご存じだろう。京阪での蒲焼きのつくり方は、鰻を腹開きにし、尾も頭もついたまま白焼きにして、たれをつけ、さらに焼いている。関東のように白焼きの状態で一旦蒸したものよりも固めにできあがる。だから、昔のようにご飯に挟んで蒸したり、名古屋の「ひつまぶし」のようにしたりしたほうが、おいしく食べられるかもしれない。
京都では、東京のように鰻専門店で鰻丼や鰻重を食べるより、料理屋で食べたり、蒲焼きを買って家庭で調理したりすることが多く、食べ方もいろいろだ。例えば、蒲焼きにした後、切り落とした頭の部分は「半助(はんすけ)」と呼ばれていて、豆腐などと炊き合わせて食べる。また、夏らしい献立には、鰻のかば焼きの細切りと、刻んだ胡瓜を塩もみして三杯酢とあえた鰻(う)ざく。ほかにも、玉子で巻いた鰻(う)巻き、鰻茶漬け、鰻(う)雑炊などがお馴染みであり、たくさんの錦糸玉子と蒲焼きを盛り合わせた錦糸まむし丼は、女性に人気がある。
2015年は土用にあたる18日間のうちに、丑の日が7月24日と8月5日の2度巡ってくる年である。