大正4(1915)年に旧制中学野球の全国大会が始まって100年目──つまり、今年2015年は「高校野球100周年」なのだそう。
満53歳である筆者が、まだ大阪府の豊中市に在住していた30年以上前は、「甲子園で高校野球観戦」が決してマニアックでもないデートコースの定番であり、誰もが身近に「高校野球」を感じていたものだが、大学を卒業後に上京してからは、次第に「どこか遠くの地で開催されている、自分には縁のないイベント」と成り果てつつあった。
そして、そんなどことないノスタルジックな思いは「日本人の野球離れ」が、おもな要因だとばかり思い込んでいたが、今年の清宮(きよみや)フィーバーを見て「少々自分は早合点し過ぎていたのでは?」と読みの浅さを反省する今日この頃である。
単純に、現在住地と甲子園との物理的な距離が離れすぎているだけ……なのかもしれない。だから身近に「高校野球」を感じられないだけなのではなかろうか?
メディアや交通手段がここまで劇的に進化した21世紀、いくら「世界は狭くなった」とはいえ、およそ500㎞の隔たりは熱量の違いを相対化するのに、いまだ充分な距離だということだ。100年経っても「高校野球」は燃えているのだ。
あともう一つ、同様の物理的距離を実感せざるを得ない“アイテム”としては「タカラヅカ」が挙げられる。少なくとも阪急電鉄宝塚線沿線に住むオカンたちにとって、娘を入れたいのは永遠にAKB48ではなく宝塚歌劇団なのである。
満53歳である筆者が、まだ大阪府の豊中市に在住していた30年以上前は、「甲子園で高校野球観戦」が決してマニアックでもないデートコースの定番であり、誰もが身近に「高校野球」を感じていたものだが、大学を卒業後に上京してからは、次第に「どこか遠くの地で開催されている、自分には縁のないイベント」と成り果てつつあった。
そして、そんなどことないノスタルジックな思いは「日本人の野球離れ」が、おもな要因だとばかり思い込んでいたが、今年の清宮(きよみや)フィーバーを見て「少々自分は早合点し過ぎていたのでは?」と読みの浅さを反省する今日この頃である。
単純に、現在住地と甲子園との物理的な距離が離れすぎているだけ……なのかもしれない。だから身近に「高校野球」を感じられないだけなのではなかろうか?
メディアや交通手段がここまで劇的に進化した21世紀、いくら「世界は狭くなった」とはいえ、およそ500㎞の隔たりは熱量の違いを相対化するのに、いまだ充分な距離だということだ。100年経っても「高校野球」は燃えているのだ。
あともう一つ、同様の物理的距離を実感せざるを得ない“アイテム”としては「タカラヅカ」が挙げられる。少なくとも阪急電鉄宝塚線沿線に住むオカンたちにとって、娘を入れたいのは永遠にAKB48ではなく宝塚歌劇団なのである。