辻便所とは、公衆便所を意味する京都の古い言葉である。江戸時代の京都では、小便桶という桶が、公衆便所代わりに通りの曲がり角や厠(かわや、便所の意)の前などに設けられていた。なぜかといえば、畑の肥やしとして使うためだ。小便と大便は別々であったほうが良質の肥料となるので、そのように収集されていたという。この小便桶は担桶(たご)になっていて、月に何度か回収されていた。

 当時は田舎のほうで、こうした肥料の集め方は当たり前のことであったが、近隣に田畑の少ない都会では縁遠いものだった。十返舎一九の書いた『東海道中膝栗毛』には、京都の町中にある小便桶の様子がおもしろおかしく描かれている。その中で弥次喜多の二人を驚かせたのは、京女もやや膝を折った立ち姿で用を足しているということであった。江戸時代の川柳にこのような句がある。「京女立ツてたれるがすこしきづ」 (『誹風柳多留六』)。当時は富裕な家の女でも、厠の前の小便桶でそのようにしていたようである。

 この習慣は近代まで続き、大正期ぐらいまではそこここで行なわれていたという。京都は行商の女性が多かったので、辻便所は案外重宝していたのかもしれない。『江戸のおトイレ』(新潮選書)には図解まで載って説明されている。

 実は辻便所の名残が、現代も町のあちらこちらに見られる。京都を散策中、曲がり角や民家の塀などに貼り付けられた、小さな鳥居を目にしたことはないだろうか。このミニ鳥居は、辻便所の風習が徐々に薄れていく中で、不浄除けとして街角に貼り付けるようになったのが始まりといわれている。辻便所を知らない世代にとっては、物事のおこる原因とは意外性に満ちているといわざるを得ない。

 

   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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