早稲田実業1年生、16歳。身長184cm、体重97kg、右投げ左打ち。今年の夏の甲子園で最も話題を呼んでいるバッターである。
週刊誌各誌が清宮の凄さを特集している。『週刊文春』(8/6号、以下『文春』)「清宮幸太郎“怪物”の目撃者たち」によると、清宮はリトルリーグ「東京北砂(きたすな)リトル」で通算132本塁打を放ち、世界大会では5試合で打率6割6分7厘、ホームラン3本を放ち世界一に導いたスラッガーだ。
名門早実に入り、今夏の甲子園予選の西東京大会決勝では清宮を見ようと約2万8000人のファンが詰めかけた。
試合は東海大菅生(すがお)が5-0と一方的なリードで迎えた8回表、打者14人の猛攻を見せて一挙に8点を奪い早実が大逆転した。清宮もライト前タイムリーヒットを打っている。
今年は夏の甲子園が始まって節目の100年。早実OBの王貞治氏が始球式を務める。
『文春』で運動部記者が、清原和博や桑田真澄が騒がれたのは甲子園優勝の後のことで、中学を卒業したばかりの選手がこれだけ注目されるのは史上初めてだと話している。
何しろ世界大会のパナマ戦で、大会史上最長の約94メートルの大ホームランを放ち、米メディアから「和製ベーブ・ルース」と絶賛されたというのだから長打力は本物のようだ。
中学2年の時にスイングスピードを測ったら、ほとんどプロレベルの数字が出たという。
清宮の父親はラグビー・ヤマハ発動機ジュビロ監督の克幸(かつゆき)氏、母親は慶應大学でゴルフ部主将だったというから、スポーツエリートである。
その上すでに大物が持っているオーラがあるとスポーツ記者が語っている。
「実は、私たち担当記者も彼に対してはなぜか敬語になってしまうんですよ。普通の高一には『どうだった?』とタメ口で聞くんですが、清宮には『どうでしたか?』と(笑)。いい大人たちが、彼の醸し出す大物感に屈しています」
『週刊現代』(8/15・22号)「早実・清宮幸太郎」では元巨人軍の篠塚和典氏が清宮のバッティングをこう解説する。
「まず、構えたときのバットの位置が良い。左肘を高く上げているので、力強いスイングにつながっています。それに、インパクトの瞬間も良いですね。右肘が締まっているから、きちんとバットのヘッドが走っている。ただ、まだ上体の力で打っている印象なので、もっと下半身の力を使って打ってほしい。とはいえ、まだまだ伸びしろがあるということ。天性のパワーに技術がつけば、とんでもないバッターになりますよ」
原辰徳、清原和博、松井秀喜、高橋由伸、中田翔など高校1年の夏に甲子園に出場した選手たちは、プロ入り後もすぐにチームの主軸として活躍している。
『週刊ポスト』(8/14号)「清宮親子『ビッグマウスの遺伝子』」では、この父にしてこの息子ありだと、父親・克幸氏についてくわしく伝えている。
克幸氏は早稲田のラグビー部のナンバーエイトとして2年生で日本選手権優勝、主将を務めた4年生で全国大学選手権優勝、卒業後はサントリーの主力として活躍した。
引退後の01年には、当時低迷していた母校・早稲田の監督に就任して3度の大学選手権優勝に導き、その後も社会人のサントリー、ヤマハの監督として優勝を果たすなど名将として知られている。
父親も「ビッグマウス」で学生時代から注目を浴びてきたそうだ。当時から克幸氏を取材してきたラグビージャーナリストの村上晃一氏がこう語る。
「87年12月の『雪の早明戦』として今もファンの脳裏に刻まれる伝説の試合は重量フォワードを擁する明治が圧倒的有利。しかし、克幸氏は『明治のフォワードに破壊力はない、勝てますよ』と自信に溢れていた。実際、明治のラスト間際の猛攻をしのぎ早稲田が勝った」
早稲田の監督就任1年目の01年、それまで全く歯が立たなかった慶應を相手に「30点差で勝つ」と宣言して、本当に33点差をつけて勝利した。
そして「これぞ清宮」という発言が03年4月、日本代表レベルでも勝つのが困難とされていたニュージーランド学生代表に早大が勝利したときの発言だ。
記者会見場に入った監督の克幸氏は開口一番、報道陣に向かってこう言った。
「あれェ、(祝福の)拍手がないんですけど? 僕たち、すごいことやったはずなんですけどね?」
この父親の「ビッグマウス」を受け継いだ清宮もなかなか物怖じしない発言で知られるが、それは彼がまだ挫折を知らないからだと指摘するスポーツ紙記者もいる。
「メディアはまだ清宮ジュニアの実力を様子見している。真価が問われるのは甲子園で清原や松井のように怪物ぶりを発揮できるかどうか。今はまだマスコミに悪口を書かれていませんが、今後の野球人生でプロになればスランプやスキャンダルも経験する。自分に不都合なことを書かれて叩かれても今のように明るく振る舞えれば、本物のスーパースターでしょう」
幸太郎は「自分はまだ清宮ジュニア」、これから「清宮幸太郎になっていつか(父を)追い抜きたい」とコメントしているようだが、その意気やよしだ。
甲子園の前評判で「超大物」と騒がれた選手は数多くいるが、大舞台で活躍するには実力だけではなく運も必要である。清宮幸太郎は本物か? 甲子園でじっくり清宮のバッティングを見てみようではないか。ゼロ強6弱のセ・リーグより盛り上がることは間違いない。
元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
今週は「敗戦日」が近いということもあって、私が親しくしてもらった作家・山口瞳さんの名コラムを“独断と偏見”で取り上げさせてもらった。米軍基地が固定化されている沖縄も翁長雄志(おなが・たけし)沖縄県知事が国に対して挑んでいくことを明言している。戦後70年、安倍首相は「談話」を8月14日に発表するそうだが、どんな内容になるのだろう。
第1位 「『浅田真央』復帰を邪魔する『実父』女性暴行逮捕の被害届」(『週刊新潮』8/6号)
第2位 「緊急対談 翁長雄志沖縄県知事×佐藤優 辺野古埋め立て阻止へ政治生命を賭ける覚悟の弁」(『AERA』8/10号)
第3位 「山口瞳 山本夏彦 三千世界を袈裟切りにした『傑作コラム集』」(『週刊新潮』8/6号)
第3位。『新潮』はすでに鬼籍に入ってしまった山口瞳と山本夏彦の名物連載「男性自身」「夏彦の写真コラム」から選んだ数本を掲載している。改めて読んでみたが、二人の視点や話の運びのうまさ、夏彦の時代を切り裂く鋭い文章にはいまさらながら恐れ入るしかない。
少し不満が残るのは山口氏の「卑怯者の弁」が入っていないことだ。『新潮』編集部と少し考え方が違うからだろうか? この文章は清水幾太郎氏(社会学者、評論家)が月刊誌『諸君』(昭和55年10月号)に「節操と無節操」を寄稿し、このように書いたことへの反論である。
「国家というものをギリギリの本質まで煮詰めれば、どうしても軍事力ということになる。ところが、その軍事力の保持が、日本の徹底的弱体化を目指して、アメリカが日本に課した『日本国憲法』第九条によって禁じられて来たのである。日本は『国家』であってはならなかった」
戦中派である山口氏は「国家=軍事力」という箇所に「理屈ではないところの生理的な反撥が生じてくる」とする。そして清水氏の文章に、戦時中によく聞いた「臭い」を感じるのだ。
そして「戦後という時代は、私には宦官(かんがん)の時代であるように思われるのである。アメリカが旦那であって日本国はその妾(めかけ)であり、日本の男たちは宦官であって、妾の廻りをウロウロしていて妾を飾りたてることだけを考えている存在であるように思われた」と書いているが、この構図は現在も変わっていない。
清水氏が「戦争の出来ない国家は国家ではない」と規定することに対して「戦争することの出来る国家だけが国家であるならば、もう国家であることはゴメンだ」と切り捨てる。
国家を代表するものは日本政府、日本政府とはすなわち自民党のことである。
「自由民主党を操る者は田中角栄である。田中角栄のために命を捨てろと言われても、私は嫌だ。私は従わない」。田中を安倍に置き換えれば、今でも立派な安倍批判になる。
清水氏が、日本が侵略されるということは、敵兵による掠奪(りゃくだつ)が行なわれ、妻や娘たちが暴行されることだとしていることにも、「ああ、聞いた聞いた。(中略)あの時の声とそっくり同じである。(中略)こういうのがデマゴギーということになる」と厳しく断じている。
大岡昇平の『俘虜記』を引用しながら、山口氏はこう腹をくくる。
「撃つよりは撃たれる側に廻ろう、命をかけるとすればそこのところだと思うようになったのは事実である。具体的に言えば、徴兵制度に反対するという立場である」
日本ペンクラブの「電子文藝館編纂室」に全文が載っている。ぜひ読んでいただきたい。
第2位。『AERA』が翁長雄志沖縄県知事と佐藤優(まさる)氏との対談を掲載している。朝日新聞でも報じていたが翁長知事の発言に見るべきものがある。
「佐藤 辺野古新基地をめぐる沖縄県の埋め立て承認について、県の第三者委員会は、報告で『(法的)瑕疵(かし)があった』との結論を出しました。昨日(7月29日)の朝日新聞社主催のシンポジウムで、知事は承認取り消しを示唆されました。方向性はそれ以外にないと思います。
翁長 そうですね、あとはタイミングですね。タイミングはいろいろ聞かれますが、それだけは言うわけにはいかない。私が言わないので、迷いがあると考える人もいますが、結果が出れば分かります。先を見通した話は一切できませんが、国は突然何をするか分からないので、じっくり横目でにらみながら、即応態勢でやっていきます。
(中略)
佐藤 訪米の手応えは、どこで最も感じましたか。(中略)
翁長 ハワイでは沖縄出身の人たちの愛情に接しました。私の心の支えになりましたが、日米両政府を動かすまではいきません。(中略)
今回、日本大使館のメモが、自分の訪問先全部に渡っていたと感じました。お会いした上院議員、下院議員がまったく同じ文章を読み上げ、『辺野古が唯一の選択肢』から話が始まるのです。日本の駐米大使は『アメリカの反応も同じだったでしょ』という話を私にしていました。ケネディ駐日大使との会談のときも、予定の30分に近づいたので失礼しようとしたら、『ちょっと待って』と、慌ててその文章を読み上げられました。
佐藤 今回の訪米についての情報開示を、外務省に請求するといいですよ。公電に何を書いたのか、沖縄は沖縄のことを知る権利がある。
翁長 わかりました。さっそく検討しましょう」
沖縄が中国に操られているという見方があるがという佐藤氏の問いに、
「翁長 歴史的に中国が沖縄に危害を加えたことは一度もありません。沖縄が苦しんだのは薩摩に併合されてからです」
さらに翁長知事は、日本人へこう警告する。
「翁長 今年5月17日の県民大会で、私が最後に話したのは『日本の独立が神話であると言われないようにしてください』ということ。アジア諸国から、日本と交渉するより米国と交渉したほうが早いと思われています。これでアジアのリーダーになれるのか。経済力でしか尊敬を集められない。大変さびしいアジアとの関係です」
佐藤氏も本土の人間にこう刃を突き付ける。
「佐藤 重要なのは独立ではなく、自己決定権の確立です。我々の運命は我々が決める。いまの時点では、沖縄は日本の一員であることを選択していますが、沖縄を犠牲にしてまで日本のために働けとなると、これは話が別。そういうことはできません。自己決定権の確立が独立という結論に至るかどうかは、ひとえに本土側の対応にかかっている」
この発言にビックリしたのか、菅義偉(すが・よしひで)官房長官は「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の同県名護市辺野古への移設に関連する作業を今月10日から1カ月間中断すると発表」(8月5日のasahi.comから)した。
姑息な世論向けの安倍のやり方だが、翁長知事よ、こんなことで取り込まれてはダメだぞ!
第1位。現役復帰の可能性は「ハーフハーフ」といってファンをやきもきさせていたフィギュアスケートの女王・浅田真央(24)が、復帰を表明したのは5月18日のことだった。
明るく頑張り屋の彼女に、暗い影が差すのは2011年12月に母の匡子(きょうこ)さん(享年48)を早く亡くしたことがあるのだろうと思っていた。
だが、彼女の実父である敏治氏(56)の「女性暴行逮捕事件」のことも、彼女を悲しませているようだ。『新潮』がその一部始終を報じている。
敏治氏は、浅田が会見したわずか3日後に、交際相手の山中嘉子さん(58・仮名)を家に呼び入れたが、些細なことから口論になり、敏治氏が「振りかぶった平手を私の頭上に思いきり叩きつけたんです。痛くて、私が“何すんのよ!”と言うと、“うるせえんだよ!”と、今度は私の脇腹からお腹のあたりを2、3回突き蹴りしてきました」(嘉子さん)
それからも顔や腹を蹴られ、髪を持って引きずり回されたそうだ。このままでは命が危ないと彼女は洗面所に逃げて23時16分に110番通報した。
警官に付き添われて病院に緊急搬送された嘉子さんは、名古屋の名東警察署で供述調書を作成、5月23日に勤務先の病院で敏治氏は逮捕された。
有名人の親というのも大変である。「嵐」の櫻井翔の父親が総務省の事務次官になったが、スポーツ紙などでは「櫻井の父親が次官に」と、まるで人気者の息子がいたから出世できたかのような騒ぎになっている。
事件が明るみに出て敏治氏の過去も白日の下にさらされてしまった。彼は若い頃ホストクラブを経営していたそうだが、その前は暴走族で鳴らしていたと先輩ホストが明かしている。
「18歳のころホストを始めましたが、ルックスはいいし性格は温厚。歌もうまいので、むちゃくちゃ女にモテたね。(中略)27歳くらいで全体のナンバーワンになった」
匡子さんとは客とホストという関係で「できちゃった婚」して真央の姉の舞が生まれたという。
敏治氏は30前に独立して「カーネギー」という店を出す。
しかし真央が生まれたころから敏治氏の女性問題でもめるようになる。また店のほうも左前になり、離婚の話をしていたところ匡子さんが病気になり立ち消えになったそうだ。
匡子さんが亡くなってからは敏治氏が真央を練習に送っていく姿がよく見られたという。だが、父親の女性問題で苦労していた母親を見て育った娘二人は、父親との距離を遠ざけていったようだ。
真央の所属事務所から月50万円渡されていたが、13年になって「真央は家を出るからパパはひとりでやってくれる?」と告げられ、おカネも月8万円に減らされてしまったそうだ。
嘉子さんの話によると、警察から「あいつは以前も同じことで3回捕まっている」と聞かされたという。真央はこの「トラブル」を乗り越え再びリンクの上で女王の座を奪い返せるのか。頑張れ真央! と応援したくなる。
週刊誌各誌が清宮の凄さを特集している。『週刊文春』(8/6号、以下『文春』)「清宮幸太郎“怪物”の目撃者たち」によると、清宮はリトルリーグ「東京北砂(きたすな)リトル」で通算132本塁打を放ち、世界大会では5試合で打率6割6分7厘、ホームラン3本を放ち世界一に導いたスラッガーだ。
名門早実に入り、今夏の甲子園予選の西東京大会決勝では清宮を見ようと約2万8000人のファンが詰めかけた。
試合は東海大菅生(すがお)が5-0と一方的なリードで迎えた8回表、打者14人の猛攻を見せて一挙に8点を奪い早実が大逆転した。清宮もライト前タイムリーヒットを打っている。
今年は夏の甲子園が始まって節目の100年。早実OBの王貞治氏が始球式を務める。
『文春』で運動部記者が、清原和博や桑田真澄が騒がれたのは甲子園優勝の後のことで、中学を卒業したばかりの選手がこれだけ注目されるのは史上初めてだと話している。
何しろ世界大会のパナマ戦で、大会史上最長の約94メートルの大ホームランを放ち、米メディアから「和製ベーブ・ルース」と絶賛されたというのだから長打力は本物のようだ。
中学2年の時にスイングスピードを測ったら、ほとんどプロレベルの数字が出たという。
清宮の父親はラグビー・ヤマハ発動機ジュビロ監督の克幸(かつゆき)氏、母親は慶應大学でゴルフ部主将だったというから、スポーツエリートである。
その上すでに大物が持っているオーラがあるとスポーツ記者が語っている。
「実は、私たち担当記者も彼に対してはなぜか敬語になってしまうんですよ。普通の高一には『どうだった?』とタメ口で聞くんですが、清宮には『どうでしたか?』と(笑)。いい大人たちが、彼の醸し出す大物感に屈しています」
『週刊現代』(8/15・22号)「早実・清宮幸太郎」では元巨人軍の篠塚和典氏が清宮のバッティングをこう解説する。
「まず、構えたときのバットの位置が良い。左肘を高く上げているので、力強いスイングにつながっています。それに、インパクトの瞬間も良いですね。右肘が締まっているから、きちんとバットのヘッドが走っている。ただ、まだ上体の力で打っている印象なので、もっと下半身の力を使って打ってほしい。とはいえ、まだまだ伸びしろがあるということ。天性のパワーに技術がつけば、とんでもないバッターになりますよ」
原辰徳、清原和博、松井秀喜、高橋由伸、中田翔など高校1年の夏に甲子園に出場した選手たちは、プロ入り後もすぐにチームの主軸として活躍している。
『週刊ポスト』(8/14号)「清宮親子『ビッグマウスの遺伝子』」では、この父にしてこの息子ありだと、父親・克幸氏についてくわしく伝えている。
克幸氏は早稲田のラグビー部のナンバーエイトとして2年生で日本選手権優勝、主将を務めた4年生で全国大学選手権優勝、卒業後はサントリーの主力として活躍した。
引退後の01年には、当時低迷していた母校・早稲田の監督に就任して3度の大学選手権優勝に導き、その後も社会人のサントリー、ヤマハの監督として優勝を果たすなど名将として知られている。
父親も「ビッグマウス」で学生時代から注目を浴びてきたそうだ。当時から克幸氏を取材してきたラグビージャーナリストの村上晃一氏がこう語る。
「87年12月の『雪の早明戦』として今もファンの脳裏に刻まれる伝説の試合は重量フォワードを擁する明治が圧倒的有利。しかし、克幸氏は『明治のフォワードに破壊力はない、勝てますよ』と自信に溢れていた。実際、明治のラスト間際の猛攻をしのぎ早稲田が勝った」
早稲田の監督就任1年目の01年、それまで全く歯が立たなかった慶應を相手に「30点差で勝つ」と宣言して、本当に33点差をつけて勝利した。
そして「これぞ清宮」という発言が03年4月、日本代表レベルでも勝つのが困難とされていたニュージーランド学生代表に早大が勝利したときの発言だ。
記者会見場に入った監督の克幸氏は開口一番、報道陣に向かってこう言った。
「あれェ、(祝福の)拍手がないんですけど? 僕たち、すごいことやったはずなんですけどね?」
この父親の「ビッグマウス」を受け継いだ清宮もなかなか物怖じしない発言で知られるが、それは彼がまだ挫折を知らないからだと指摘するスポーツ紙記者もいる。
「メディアはまだ清宮ジュニアの実力を様子見している。真価が問われるのは甲子園で清原や松井のように怪物ぶりを発揮できるかどうか。今はまだマスコミに悪口を書かれていませんが、今後の野球人生でプロになればスランプやスキャンダルも経験する。自分に不都合なことを書かれて叩かれても今のように明るく振る舞えれば、本物のスーパースターでしょう」
幸太郎は「自分はまだ清宮ジュニア」、これから「清宮幸太郎になっていつか(父を)追い抜きたい」とコメントしているようだが、その意気やよしだ。
甲子園の前評判で「超大物」と騒がれた選手は数多くいるが、大舞台で活躍するには実力だけではなく運も必要である。清宮幸太郎は本物か? 甲子園でじっくり清宮のバッティングを見てみようではないか。ゼロ強6弱のセ・リーグより盛り上がることは間違いない。
元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
今週は「敗戦日」が近いということもあって、私が親しくしてもらった作家・山口瞳さんの名コラムを“独断と偏見”で取り上げさせてもらった。米軍基地が固定化されている沖縄も翁長雄志(おなが・たけし)沖縄県知事が国に対して挑んでいくことを明言している。戦後70年、安倍首相は「談話」を8月14日に発表するそうだが、どんな内容になるのだろう。
第1位 「『浅田真央』復帰を邪魔する『実父』女性暴行逮捕の被害届」(『週刊新潮』8/6号)
第2位 「緊急対談 翁長雄志沖縄県知事×佐藤優 辺野古埋め立て阻止へ政治生命を賭ける覚悟の弁」(『AERA』8/10号)
第3位 「山口瞳 山本夏彦 三千世界を袈裟切りにした『傑作コラム集』」(『週刊新潮』8/6号)
第3位。『新潮』はすでに鬼籍に入ってしまった山口瞳と山本夏彦の名物連載「男性自身」「夏彦の写真コラム」から選んだ数本を掲載している。改めて読んでみたが、二人の視点や話の運びのうまさ、夏彦の時代を切り裂く鋭い文章にはいまさらながら恐れ入るしかない。
少し不満が残るのは山口氏の「卑怯者の弁」が入っていないことだ。『新潮』編集部と少し考え方が違うからだろうか? この文章は清水幾太郎氏(社会学者、評論家)が月刊誌『諸君』(昭和55年10月号)に「節操と無節操」を寄稿し、このように書いたことへの反論である。
「国家というものをギリギリの本質まで煮詰めれば、どうしても軍事力ということになる。ところが、その軍事力の保持が、日本の徹底的弱体化を目指して、アメリカが日本に課した『日本国憲法』第九条によって禁じられて来たのである。日本は『国家』であってはならなかった」
戦中派である山口氏は「国家=軍事力」という箇所に「理屈ではないところの生理的な反撥が生じてくる」とする。そして清水氏の文章に、戦時中によく聞いた「臭い」を感じるのだ。
そして「戦後という時代は、私には宦官(かんがん)の時代であるように思われるのである。アメリカが旦那であって日本国はその妾(めかけ)であり、日本の男たちは宦官であって、妾の廻りをウロウロしていて妾を飾りたてることだけを考えている存在であるように思われた」と書いているが、この構図は現在も変わっていない。
清水氏が「戦争の出来ない国家は国家ではない」と規定することに対して「戦争することの出来る国家だけが国家であるならば、もう国家であることはゴメンだ」と切り捨てる。
国家を代表するものは日本政府、日本政府とはすなわち自民党のことである。
「自由民主党を操る者は田中角栄である。田中角栄のために命を捨てろと言われても、私は嫌だ。私は従わない」。田中を安倍に置き換えれば、今でも立派な安倍批判になる。
清水氏が、日本が侵略されるということは、敵兵による掠奪(りゃくだつ)が行なわれ、妻や娘たちが暴行されることだとしていることにも、「ああ、聞いた聞いた。(中略)あの時の声とそっくり同じである。(中略)こういうのがデマゴギーということになる」と厳しく断じている。
大岡昇平の『俘虜記』を引用しながら、山口氏はこう腹をくくる。
「撃つよりは撃たれる側に廻ろう、命をかけるとすればそこのところだと思うようになったのは事実である。具体的に言えば、徴兵制度に反対するという立場である」
日本ペンクラブの「電子文藝館編纂室」に全文が載っている。ぜひ読んでいただきたい。
第2位。『AERA』が翁長雄志沖縄県知事と佐藤優(まさる)氏との対談を掲載している。朝日新聞でも報じていたが翁長知事の発言に見るべきものがある。
「佐藤 辺野古新基地をめぐる沖縄県の埋め立て承認について、県の第三者委員会は、報告で『(法的)瑕疵(かし)があった』との結論を出しました。昨日(7月29日)の朝日新聞社主催のシンポジウムで、知事は承認取り消しを示唆されました。方向性はそれ以外にないと思います。
翁長 そうですね、あとはタイミングですね。タイミングはいろいろ聞かれますが、それだけは言うわけにはいかない。私が言わないので、迷いがあると考える人もいますが、結果が出れば分かります。先を見通した話は一切できませんが、国は突然何をするか分からないので、じっくり横目でにらみながら、即応態勢でやっていきます。
(中略)
佐藤 訪米の手応えは、どこで最も感じましたか。(中略)
翁長 ハワイでは沖縄出身の人たちの愛情に接しました。私の心の支えになりましたが、日米両政府を動かすまではいきません。(中略)
今回、日本大使館のメモが、自分の訪問先全部に渡っていたと感じました。お会いした上院議員、下院議員がまったく同じ文章を読み上げ、『辺野古が唯一の選択肢』から話が始まるのです。日本の駐米大使は『アメリカの反応も同じだったでしょ』という話を私にしていました。ケネディ駐日大使との会談のときも、予定の30分に近づいたので失礼しようとしたら、『ちょっと待って』と、慌ててその文章を読み上げられました。
佐藤 今回の訪米についての情報開示を、外務省に請求するといいですよ。公電に何を書いたのか、沖縄は沖縄のことを知る権利がある。
翁長 わかりました。さっそく検討しましょう」
沖縄が中国に操られているという見方があるがという佐藤氏の問いに、
「翁長 歴史的に中国が沖縄に危害を加えたことは一度もありません。沖縄が苦しんだのは薩摩に併合されてからです」
さらに翁長知事は、日本人へこう警告する。
「翁長 今年5月17日の県民大会で、私が最後に話したのは『日本の独立が神話であると言われないようにしてください』ということ。アジア諸国から、日本と交渉するより米国と交渉したほうが早いと思われています。これでアジアのリーダーになれるのか。経済力でしか尊敬を集められない。大変さびしいアジアとの関係です」
佐藤氏も本土の人間にこう刃を突き付ける。
「佐藤 重要なのは独立ではなく、自己決定権の確立です。我々の運命は我々が決める。いまの時点では、沖縄は日本の一員であることを選択していますが、沖縄を犠牲にしてまで日本のために働けとなると、これは話が別。そういうことはできません。自己決定権の確立が独立という結論に至るかどうかは、ひとえに本土側の対応にかかっている」
この発言にビックリしたのか、菅義偉(すが・よしひで)官房長官は「米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の同県名護市辺野古への移設に関連する作業を今月10日から1カ月間中断すると発表」(8月5日のasahi.comから)した。
姑息な世論向けの安倍のやり方だが、翁長知事よ、こんなことで取り込まれてはダメだぞ!
第1位。現役復帰の可能性は「ハーフハーフ」といってファンをやきもきさせていたフィギュアスケートの女王・浅田真央(24)が、復帰を表明したのは5月18日のことだった。
明るく頑張り屋の彼女に、暗い影が差すのは2011年12月に母の匡子(きょうこ)さん(享年48)を早く亡くしたことがあるのだろうと思っていた。
だが、彼女の実父である敏治氏(56)の「女性暴行逮捕事件」のことも、彼女を悲しませているようだ。『新潮』がその一部始終を報じている。
敏治氏は、浅田が会見したわずか3日後に、交際相手の山中嘉子さん(58・仮名)を家に呼び入れたが、些細なことから口論になり、敏治氏が「振りかぶった平手を私の頭上に思いきり叩きつけたんです。痛くて、私が“何すんのよ!”と言うと、“うるせえんだよ!”と、今度は私の脇腹からお腹のあたりを2、3回突き蹴りしてきました」(嘉子さん)
それからも顔や腹を蹴られ、髪を持って引きずり回されたそうだ。このままでは命が危ないと彼女は洗面所に逃げて23時16分に110番通報した。
警官に付き添われて病院に緊急搬送された嘉子さんは、名古屋の名東警察署で供述調書を作成、5月23日に勤務先の病院で敏治氏は逮捕された。
有名人の親というのも大変である。「嵐」の櫻井翔の父親が総務省の事務次官になったが、スポーツ紙などでは「櫻井の父親が次官に」と、まるで人気者の息子がいたから出世できたかのような騒ぎになっている。
事件が明るみに出て敏治氏の過去も白日の下にさらされてしまった。彼は若い頃ホストクラブを経営していたそうだが、その前は暴走族で鳴らしていたと先輩ホストが明かしている。
「18歳のころホストを始めましたが、ルックスはいいし性格は温厚。歌もうまいので、むちゃくちゃ女にモテたね。(中略)27歳くらいで全体のナンバーワンになった」
匡子さんとは客とホストという関係で「できちゃった婚」して真央の姉の舞が生まれたという。
敏治氏は30前に独立して「カーネギー」という店を出す。
しかし真央が生まれたころから敏治氏の女性問題でもめるようになる。また店のほうも左前になり、離婚の話をしていたところ匡子さんが病気になり立ち消えになったそうだ。
匡子さんが亡くなってからは敏治氏が真央を練習に送っていく姿がよく見られたという。だが、父親の女性問題で苦労していた母親を見て育った娘二人は、父親との距離を遠ざけていったようだ。
真央の所属事務所から月50万円渡されていたが、13年になって「真央は家を出るからパパはひとりでやってくれる?」と告げられ、おカネも月8万円に減らされてしまったそうだ。
嘉子さんの話によると、警察から「あいつは以前も同じことで3回捕まっている」と聞かされたという。真央はこの「トラブル」を乗り越え再びリンクの上で女王の座を奪い返せるのか。頑張れ真央! と応援したくなる。