『週刊ポスト』(8/21・28号、以下『ポスト』)によれば、公的差別とは「中央集権国家で少子高齢化が進むこの国では、年齢や性別、居住地によって何らかの『線引き』をして受益と負担を分けなければ1億2000万人が住む国家が成り立たない以上、それを『必要悪』といわざるを得ない部分はある。ただし、その『線引き』が国民のためではなく、政治家や官僚の都合や怠慢によって行なわれ、国民に格差を付けている」ことを言う。
まずソフトバンクグループ社長の税率がサラリーマンより低いという、驚くべきケースをあげる。日本の所得税は収入が高くなるほど税率が上がる「累進課税制度」を採用しているはずだ。安倍政権になって「富裕層には重い税負担をお願いする」と、今年から所得税の最高税率を40%から45%に引き上げた。4000万円以上の高所得者には所得税(45%)と住民税(一律10%)を合わせて最高55%の税率が課せられることになった。
孫正義氏の2014年度の役員報酬と株主配当を合わせると年収は推定約93億8000万円。税率をそのまま55%で適用すると納税額は約51億円になる。しかしそうはならないのである。
国の税制では株の利益や配当には税率の低い「源泉分離課税」を選択できる。これだと所得税と住民税合わせても一律約20%なのだ。孫氏の場合、役員報酬はわずか(?)約1億3000万円。これには55%の税率がかかるが、残りは持ち株による配当収入だから、源泉分離課税を選択すれば税金の総額を約20億円に抑えることができるのだ。
株を持たないサラリーマンと比べてみよう。専業主婦の妻と2人の子どものケースで試算すると「年収約500万~700万円」までは孫氏とほぼ同じ税率約20%。「年収約700万~1100万円」になると税率は約30%にもなるのだ。
専業主婦は共働き主婦より月額39万円も損をしているって知ってました? 安倍政権の看板政策「女性の活躍促進」によって、専業主婦への公的差別が拡大しているというのである。
女性を家から追い出して社会進出を促すために政府は「待機児童ゼロ」を目標に、保育園などに補助金を投じて定員を全国で40万人増やす政策を進めている。『ポスト』によれば「東京都板橋区の調査資料(13年度実績)によると、認可保育園の園児一人に投じられている税金(保育経費から親が負担する保育料を引いた金額)は『0歳児』で月額約39万円、年間でなんと468万円にのぼる」そうだ。
それに比べて自宅で子育てをしている専業主婦には1円の補助金も出ない。不公平だと思う専業主婦は多いだろう。
夫が年収500万円以上の専業主婦は短期間の派遣労働に就けるが、500万円未満の主婦はダメという不可解な差別もある。東京都労働局はその理由を、収入が少ないと生活が不安定だからという考え方で決められたと言うが、ふざけるなである。
現在のサラリーマンの平均年収は約414万円なのだ。また収入が少ないから妻が働きに出たいのに、それを阻む小役人の考え方がわからない。
アルバイトやパートの非正規雇用にも差別がある。「週20時間以上の勤務で雇用期間が31日以上」なら雇用保険への加入が義務付けられているが、何らかの理由で解雇されても、失業保険を受け取る条件である勤続1年以上というハードルに阻まれて受給できないケースが多いようだ。
これはバブル崩壊後に失業率が高止まりしたため、厚労省が失業保険の受給資格を厳しくしてきたからだ。だがその結果、雇用保険積立金は過去最高の6兆円にもなり、使い切れなくなっているのに、制度を見直さないのである。
それは『ポスト』によれば「役人の利権維持のため」だという。「厚労省は公的差別を温存することで失業給付を減らし、独立行政法人『高齢・障害・求職者雇用支援機構』や『介護労働安定センター』などの天下り団体の運営資金に回しているのである」
年金にも「1961年4月1日」以前に生まれた人は「得する年金」と呼ばれる部分年金(年齢によって60歳から64歳の間にもらえる厚生年金の「報酬比例部分」)を受給できるが、それ以降の人はもらえない。
牛農家は牛を売却した場合、1頭につき利益100万円までは非課税だが、豚や鶏農家は対象外という不可思議なものもある。「牛の非課税特権は自民党の有力な畜産族議員の働きかけでできた特例」(『ポスト』)だというのだから呆れる。
もっと腹が立つのは民間会社のサラリーマンと公務員の命の値段が大きく違うことである。東日本大震災のとき、生計維持者が震災の犠牲になった遺族には市町村から500万円の災害弔慰金が支給された。それに加えて勤務中の民間サラリーマンや自営業者には労災保険から最高300万円の遺族特別支給金が給付された。
これが公務員だと、800万円のほかに国家公務員災害補助基金(税金)から最高1880万円の「遺族特別援護金」が加算される。3倍もの命の格差があるのだ。
住んでいる町でも格差がある。最低賃金は東京都が888円だが、鳥取県や高知県では677円。生活保護費(3人世帯の場合)は東京都が年間約192万円だが、地方の郡部などは年間約156万円。介護保険料も奈良県天川村は月額8686円だが、鹿児島県三島村は月額2800円である。
こうした公的差別が社会の不公平感を助長する。それを最小にするのが政治の最大の責務であり、そのためには政治家や官僚が真っ先に自分たちの支援組織や官僚に与えた特権、官民格差にメスを入れるべきだと『ポスト』は主張している。
来年の参議院選から「10増10減」が決まった一票の格差問題なども、早急に衆議院選にも同様にメスを入れ、不公正を是正するべきである。
元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
『週刊新潮』が3000号記念の別冊を出した。昭和31(1956)年に出版社系一般男性週刊誌として初めて出された『新潮』は、当時としては革命的な雑誌だった。
新聞社と違って人も情報も少ない週刊誌が、当時100万部を誇っていた『週刊朝日』などの新聞社系週刊誌に対抗していけると考えた人は、『新潮』編集部でも少数派だったであろう。だが「選択と集中」で、新聞批判とスキャンダルを柱に、あっという間に新聞社系を抜き去り出版社系週刊誌の全盛時代を築くのだ。
今でも語りぐさの『新潮』流スクープがある。昭和33年の全日空下田沖墜落事故のときだったと思うが、『新潮』の記者が現場や全日空本社に駆けつけたが、新聞社が漁った後で何もない。仕方なく『新潮』は、同機に乗るはずだったが何らかの事情でキャンセルした人たちを探し出し、「私は死神から逃れた」とタイトルをつけた特集を組んだ。大ヒットだった。この別冊はどうか。
第1位 「母・洋子から息子・安倍晋三への『引退勧告』」(『週刊現代』8/29号)
第2位 「独占インタビュー 吉永小百合さん『戦争はだめ、核もだめ』」(『週刊朝日』8/21号)
第3位 「『渥美清』鋼鉄のプライバシー」(『週刊新潮』8/25号=3000号別冊)
第3位。この別冊でも、かつての名企画を真似て御巣鷹山に墜落した日航機に「乗れなかった」人たちの「後半生」という特集を組んでいる。
小沢一郎に田中角栄を語らせ、プライバシーをまったく覗かせなかった役者・渥美清や、3000号を彩った人たちのワイドを組んでいるが、残念ながらかつての『新潮』の切れ味や『新潮』ならではのスクープはない。
時代が週刊誌的なスクープを必要としていないのだろうか。それとも週刊誌の劣化が進んでいるからだろうか。週刊誌を待ち遠しく読んだあの時代は二度と帰らないのか。猛暑のなかガリガリ君を囓りながら考え込んだ。
だが何も取り上げないのも愛想なしだから、渥美清が死ぬまで守り通した「鋼鉄のプライバシー」に挑んだ読み物を紹介しよう。
渥美清は本名を田所康雄という。若い頃胸を病んで片肺がえぐり取られ、時代劇のように肩からバッサリ切られた傷跡があったため、ロケ先でも誰もいないときに風呂に入っていた。
浅草でストリップの合間にやる軽演劇で腕を磨き、下積みを経て『男はつらいよ』で花が咲く。
だが、彼が住んでいる家を知っている者はほとんどいなかった。長年の友人だった黒柳徹子も、目黒区の自宅までクルマで送っていくと、決まって「そこでいいから」と、自宅から離れたところで降りて、自宅の前までは送らせなかった。
徹底しているのは、長年付き人や運転手をしていた人間にも、知らせなかったというのだ。
それは渥美清という俳優より、田所康雄という「個」を大切にしたかったからではないかと、ライターの飯田守氏は書いている。
『婦人公論』の昭和48年3月号で、渥美はこんなことを話している。
「僕はいつも女房というのはいないつもりでいるんだ。芝居やっててね、扶養家族が精神面にチラチラあらわれたら、いけないと思うな。精神を、いつも、エンピツの先のように、とがらせておく。で、なんでも見たり聞いたりするたびに『ウン、そうだ』『ウン、そうだ』と、ピピッと反応する。大切だと思うな。とくに役者にとってはね。だから一人でいたいんだよ」
彼の奥さんは白百合短大を出た女性だという。渥美が41歳の誕生日を迎えた年の3月に出雲大社で結婚式を挙げたそうだ。17歳年下だった。長男はラジオ局に勤めているそうだ。
朝日新聞社が主催する句会に出席していたという。俳号は「風天」。こんな句を詠んだ。
「赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする」
「背伸びして 大声あげて 虹を呼ぶ」
「お遍路が 一列に行く 虹の中」
私は、渥美がプライバシーを大切にした気持ちがわかるような気がする。「咳をしても一人」と詠んだ尾崎放哉(ほうさい)を演じたかったそうだ。しょせんこの世は孤独が当たり前。その孤独に耐えなければ役者としても人間としても一人前になれやしない。
そうやって徹底的に孤独になることで、あの寅さんの滋味溢れる笑顔を作り出していたのではないか。このところ何本か寅さん映画を見ている。彼の抱えている孤独の影が、見ていて哀しくなるのは、こちらが年をとったせいか。
第2位。『週刊朝日』で、わが心の永遠の恋人、吉永小百合が健気に「戦争はだめ、核もだめ」だと言うてはる(どこの方言じゃ!)。彼女が原爆詩の朗読会を全国でやっているのはよく知られている。
原爆の後遺症に苦しむ青年との悲劇を描いた『愛と死の記録』(相手役は彼女が結婚を切望したといわれる渡哲也。親の猛烈な反対で泣く泣く別れ、親への反発から15歳も年上でバツイチの男と結婚したといわれている)や沖縄戦で死んだ沖縄師範の女子学生たちのドラマ『あゝひめゆりの塔』、広島で胎内被曝した芸妓のテレビドラマ『夢千代日記』など、原爆や戦争の悲劇をテーマに据えたものも多い。
今は井上ひさしの傑作『父と暮らせば』をベースに、山田洋次監督が書いた映画『母と暮らせば』(12月公開予定)を撮り終えたばかりだという。
「この本(『父と暮らせば』=筆者注)の冒頭で、広島と長崎に落とされた原爆のことを、日本人の上に落とされただけではなく、人間の存在全体に落とされたものであり、だからまた、あの地獄を知っていながら、知らないふりをするのは、なににもまして罪深いことだと述べています。
人間が人間として生きることも死ぬことも、一瞬にして奪ってしまう原爆は、本当にとんでもないこと。その現実を私たちは絶対に知っていなければならないと思うんですね」(小百合)
ええこと言うじゃん。彼女は安保関連法案に反対する映画関係者でつくる「映画人九条の会」が出したアピールの賛同者でもある。当然ながら原発再稼働にも反対している。
「あれから(福島第一原発事故=筆者注)4年も経つというのに、いまだに放射性汚染水が漏れているという報道があります。福島の人たちの怒りと悲しみは今でも癒やされることはありません」(同)
そしてこう結ぶ。
「戦後70年を迎えて、広島に、長崎に、原爆を落とされたことを知らない若い人たちが増えています。当然、核の悲惨さも知らない。そんな時代だからこそ、世界中から核兵器をなくすこと、戦争の愚かさと平和の尊さを、私たち日本人はもっともっと語っていかなければいけない」
彼女の口から出る言葉は、われわれサユリストには神の声である。彼女には、ぜひ安倍首相の面前で原爆詩をじっくり朗読してあげてほしいものである。
第1位。『現代』はまるで安倍首相の母・洋子さん(87)から直接聞いたかのような「息子・安倍晋三への引退勧告」という記事をやっている。タイトル倒れの記事ではあるが、先日の70年談話を出した夜にNHKの『ニュースウオッチ9』に出ていた安倍の顔は、生気も覇気もなく、明らかに病気が進行していることを窺わせた。
奥さんはともかく、さぞ母親は心配していると思う。官邸スタッフがこう言っている。
「総理は、相当疲れているようで、富ヶ谷(渋谷区)の自宅に帰るとバッタリと眠ってしまうそうなんです。本当なら、安全保障、原発、労働者派遣法、TPPなど、ストレスの種となる難問が山積していて、これらについて勉強しなければいけないのに、『起きていられない状態』だといいます」
トイレに駆け込む回数も増えているそうだ。そうした息子を心配して母親は、
「総理の体調がすぐれない時は、消化にいい具材で雑炊を作っている。いままではお手伝いさんに作らせることが多かったらしいのですが……。洋子さんがここまでするのに驚いています。若くして亡くなった夫の晋太郎(元外務相)さんを重ねているのでしょう」(安倍家と親しい関係者)
洋子さんは政界の「ゴットマザー」と呼ばれているそうだ。「妖怪」といわれた岸信介元首相の娘として生まれ、後に自民党のニューリーダーと称された安倍晋太郎氏と結婚し、わが息子の晋三氏を総理の椅子に再び座るまでに育てあげた。
父を亡くした後の晋三総理に、政治家としての立ち居振る舞いを叩き込み、「帝王学」をほどこしたのは、洋子さんだったといわれているそうだ。
『現代』によれば、その洋子さんがついに一つの決断を下そうとしているというのだ。
「晋三さん、もういいのです。あなたはお祖父さまやお父さまの無念を晴らし、私の期待に立派に応えてくれました。これで十分なのです」
母から息子への引退勧告だという。
「岸内閣が退陣した60年から55年の歳月を経て、父、夫、息子の3人の力で、悲願である憲法改正の足がかりは確実なものとなった」(『現代』)
母親が誰に向かってそんなことを言ったのかはまったくわからないが、母親の心情としてはわからないでもない。だが「憲法改正の足がかりは確実なものとなった」というのは「嘘」である。万が一安保法制が成立しても、否、成立させてしまえば、かえって憲法改正は遠のくに違いない。
憲法改正をせずに戦争のできる国に変容させることは、国民の間に安倍自民党への反撥を強くさせ、間違いなく次の総選挙では議席を減らす。
その前に参議院選もある。憲法改正どころか、安倍は自民党を大きく目減りさせた首相として後世に語り継がれるに違いない。
先の渥美と同じように、安倍首相も孤独なようだ。これだけ体調が悪いにもかかわらず、洋子さん以外にはきちんとお世話をしてくれる人がいないようだ。家に帰ったところで、昭恵夫人は、福島の被災地を訪れたり、自分が経営する居酒屋で忙しかったりと、連日のように出歩いている。洋子さんはそのことにも心を痛めているというが、もし事実なら離婚ものであろう。
今、洋子さんは、複雑な思いを抱いているそうだ。それは自分が息子に対してかけた期待に、息子自身が、がんじがらめに縛られ、体を痛めつけているのだから。
そんな息子を見かねてか、もはや息子を見限ってかはわからないが、昨年春頃、洋子さんの長男(安倍総理の兄)、寛信(ひろのぶ)氏の長男が安倍家の後継者だと正式に決まったという。
東京五輪まではやりたいと言っていた安倍首相だが、この頃は、「(来年5月の)伊勢志摩サミットまではやりたい」と「期限」を切るような発言をし始めたそうである。
最後に安倍首相の「70年談話」について触れておく。
何度も読み返してみたが、朝日新聞が15日付の社説で書いているように、これは「出すべきではなかった」と、私も思う。
総花的で言葉が上滑りしているのはアメリカや中国、韓国に気を使って、自分のホンネを押し隠した文章をでっち上げたからであろう。この一時しのぎの誤魔化し談話で米中韓は騙せても、日本国民は騙されない。「平和主義を堅持」「唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指す」、その上「法の支配を尊重」などと、呆れてものが言えないことを平気で言う神経を疑う。
憲法を蔑ろにし法治主義を壊そうとしているのはどこの誰なのだ。安倍首相に言いたい。この談話を首相官邸の壁に貼り、毎日3回、声に出して読み上げなさい。その時は必ず主語を私、日本とはっきりさせること。そうすればここに書いたことと自分が今やっていることがどれほど違うかがはっきりわかるはずだ。過ちては改むるに憚ること勿れである。
まずソフトバンクグループ社長の税率がサラリーマンより低いという、驚くべきケースをあげる。日本の所得税は収入が高くなるほど税率が上がる「累進課税制度」を採用しているはずだ。安倍政権になって「富裕層には重い税負担をお願いする」と、今年から所得税の最高税率を40%から45%に引き上げた。4000万円以上の高所得者には所得税(45%)と住民税(一律10%)を合わせて最高55%の税率が課せられることになった。
孫正義氏の2014年度の役員報酬と株主配当を合わせると年収は推定約93億8000万円。税率をそのまま55%で適用すると納税額は約51億円になる。しかしそうはならないのである。
国の税制では株の利益や配当には税率の低い「源泉分離課税」を選択できる。これだと所得税と住民税合わせても一律約20%なのだ。孫氏の場合、役員報酬はわずか(?)約1億3000万円。これには55%の税率がかかるが、残りは持ち株による配当収入だから、源泉分離課税を選択すれば税金の総額を約20億円に抑えることができるのだ。
株を持たないサラリーマンと比べてみよう。専業主婦の妻と2人の子どものケースで試算すると「年収約500万~700万円」までは孫氏とほぼ同じ税率約20%。「年収約700万~1100万円」になると税率は約30%にもなるのだ。
専業主婦は共働き主婦より月額39万円も損をしているって知ってました? 安倍政権の看板政策「女性の活躍促進」によって、専業主婦への公的差別が拡大しているというのである。
女性を家から追い出して社会進出を促すために政府は「待機児童ゼロ」を目標に、保育園などに補助金を投じて定員を全国で40万人増やす政策を進めている。『ポスト』によれば「東京都板橋区の調査資料(13年度実績)によると、認可保育園の園児一人に投じられている税金(保育経費から親が負担する保育料を引いた金額)は『0歳児』で月額約39万円、年間でなんと468万円にのぼる」そうだ。
それに比べて自宅で子育てをしている専業主婦には1円の補助金も出ない。不公平だと思う専業主婦は多いだろう。
夫が年収500万円以上の専業主婦は短期間の派遣労働に就けるが、500万円未満の主婦はダメという不可解な差別もある。東京都労働局はその理由を、収入が少ないと生活が不安定だからという考え方で決められたと言うが、ふざけるなである。
現在のサラリーマンの平均年収は約414万円なのだ。また収入が少ないから妻が働きに出たいのに、それを阻む小役人の考え方がわからない。
アルバイトやパートの非正規雇用にも差別がある。「週20時間以上の勤務で雇用期間が31日以上」なら雇用保険への加入が義務付けられているが、何らかの理由で解雇されても、失業保険を受け取る条件である勤続1年以上というハードルに阻まれて受給できないケースが多いようだ。
これはバブル崩壊後に失業率が高止まりしたため、厚労省が失業保険の受給資格を厳しくしてきたからだ。だがその結果、雇用保険積立金は過去最高の6兆円にもなり、使い切れなくなっているのに、制度を見直さないのである。
それは『ポスト』によれば「役人の利権維持のため」だという。「厚労省は公的差別を温存することで失業給付を減らし、独立行政法人『高齢・障害・求職者雇用支援機構』や『介護労働安定センター』などの天下り団体の運営資金に回しているのである」
年金にも「1961年4月1日」以前に生まれた人は「得する年金」と呼ばれる部分年金(年齢によって60歳から64歳の間にもらえる厚生年金の「報酬比例部分」)を受給できるが、それ以降の人はもらえない。
牛農家は牛を売却した場合、1頭につき利益100万円までは非課税だが、豚や鶏農家は対象外という不可思議なものもある。「牛の非課税特権は自民党の有力な畜産族議員の働きかけでできた特例」(『ポスト』)だというのだから呆れる。
もっと腹が立つのは民間会社のサラリーマンと公務員の命の値段が大きく違うことである。東日本大震災のとき、生計維持者が震災の犠牲になった遺族には市町村から500万円の災害弔慰金が支給された。それに加えて勤務中の民間サラリーマンや自営業者には労災保険から最高300万円の遺族特別支給金が給付された。
これが公務員だと、800万円のほかに国家公務員災害補助基金(税金)から最高1880万円の「遺族特別援護金」が加算される。3倍もの命の格差があるのだ。
住んでいる町でも格差がある。最低賃金は東京都が888円だが、鳥取県や高知県では677円。生活保護費(3人世帯の場合)は東京都が年間約192万円だが、地方の郡部などは年間約156万円。介護保険料も奈良県天川村は月額8686円だが、鹿児島県三島村は月額2800円である。
こうした公的差別が社会の不公平感を助長する。それを最小にするのが政治の最大の責務であり、そのためには政治家や官僚が真っ先に自分たちの支援組織や官僚に与えた特権、官民格差にメスを入れるべきだと『ポスト』は主張している。
来年の参議院選から「10増10減」が決まった一票の格差問題なども、早急に衆議院選にも同様にメスを入れ、不公正を是正するべきである。
元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
『週刊新潮』が3000号記念の別冊を出した。昭和31(1956)年に出版社系一般男性週刊誌として初めて出された『新潮』は、当時としては革命的な雑誌だった。
新聞社と違って人も情報も少ない週刊誌が、当時100万部を誇っていた『週刊朝日』などの新聞社系週刊誌に対抗していけると考えた人は、『新潮』編集部でも少数派だったであろう。だが「選択と集中」で、新聞批判とスキャンダルを柱に、あっという間に新聞社系を抜き去り出版社系週刊誌の全盛時代を築くのだ。
今でも語りぐさの『新潮』流スクープがある。昭和33年の全日空下田沖墜落事故のときだったと思うが、『新潮』の記者が現場や全日空本社に駆けつけたが、新聞社が漁った後で何もない。仕方なく『新潮』は、同機に乗るはずだったが何らかの事情でキャンセルした人たちを探し出し、「私は死神から逃れた」とタイトルをつけた特集を組んだ。大ヒットだった。この別冊はどうか。
第1位 「母・洋子から息子・安倍晋三への『引退勧告』」(『週刊現代』8/29号)
第2位 「独占インタビュー 吉永小百合さん『戦争はだめ、核もだめ』」(『週刊朝日』8/21号)
第3位 「『渥美清』鋼鉄のプライバシー」(『週刊新潮』8/25号=3000号別冊)
第3位。この別冊でも、かつての名企画を真似て御巣鷹山に墜落した日航機に「乗れなかった」人たちの「後半生」という特集を組んでいる。
小沢一郎に田中角栄を語らせ、プライバシーをまったく覗かせなかった役者・渥美清や、3000号を彩った人たちのワイドを組んでいるが、残念ながらかつての『新潮』の切れ味や『新潮』ならではのスクープはない。
時代が週刊誌的なスクープを必要としていないのだろうか。それとも週刊誌の劣化が進んでいるからだろうか。週刊誌を待ち遠しく読んだあの時代は二度と帰らないのか。猛暑のなかガリガリ君を囓りながら考え込んだ。
だが何も取り上げないのも愛想なしだから、渥美清が死ぬまで守り通した「鋼鉄のプライバシー」に挑んだ読み物を紹介しよう。
渥美清は本名を田所康雄という。若い頃胸を病んで片肺がえぐり取られ、時代劇のように肩からバッサリ切られた傷跡があったため、ロケ先でも誰もいないときに風呂に入っていた。
浅草でストリップの合間にやる軽演劇で腕を磨き、下積みを経て『男はつらいよ』で花が咲く。
だが、彼が住んでいる家を知っている者はほとんどいなかった。長年の友人だった黒柳徹子も、目黒区の自宅までクルマで送っていくと、決まって「そこでいいから」と、自宅から離れたところで降りて、自宅の前までは送らせなかった。
徹底しているのは、長年付き人や運転手をしていた人間にも、知らせなかったというのだ。
それは渥美清という俳優より、田所康雄という「個」を大切にしたかったからではないかと、ライターの飯田守氏は書いている。
『婦人公論』の昭和48年3月号で、渥美はこんなことを話している。
「僕はいつも女房というのはいないつもりでいるんだ。芝居やっててね、扶養家族が精神面にチラチラあらわれたら、いけないと思うな。精神を、いつも、エンピツの先のように、とがらせておく。で、なんでも見たり聞いたりするたびに『ウン、そうだ』『ウン、そうだ』と、ピピッと反応する。大切だと思うな。とくに役者にとってはね。だから一人でいたいんだよ」
彼の奥さんは白百合短大を出た女性だという。渥美が41歳の誕生日を迎えた年の3月に出雲大社で結婚式を挙げたそうだ。17歳年下だった。長男はラジオ局に勤めているそうだ。
朝日新聞社が主催する句会に出席していたという。俳号は「風天」。こんな句を詠んだ。
「赤とんぼ じっとしたまま 明日どうする」
「背伸びして 大声あげて 虹を呼ぶ」
「お遍路が 一列に行く 虹の中」
私は、渥美がプライバシーを大切にした気持ちがわかるような気がする。「咳をしても一人」と詠んだ尾崎放哉(ほうさい)を演じたかったそうだ。しょせんこの世は孤独が当たり前。その孤独に耐えなければ役者としても人間としても一人前になれやしない。
そうやって徹底的に孤独になることで、あの寅さんの滋味溢れる笑顔を作り出していたのではないか。このところ何本か寅さん映画を見ている。彼の抱えている孤独の影が、見ていて哀しくなるのは、こちらが年をとったせいか。
第2位。『週刊朝日』で、わが心の永遠の恋人、吉永小百合が健気に「戦争はだめ、核もだめ」だと言うてはる(どこの方言じゃ!)。彼女が原爆詩の朗読会を全国でやっているのはよく知られている。
原爆の後遺症に苦しむ青年との悲劇を描いた『愛と死の記録』(相手役は彼女が結婚を切望したといわれる渡哲也。親の猛烈な反対で泣く泣く別れ、親への反発から15歳も年上でバツイチの男と結婚したといわれている)や沖縄戦で死んだ沖縄師範の女子学生たちのドラマ『あゝひめゆりの塔』、広島で胎内被曝した芸妓のテレビドラマ『夢千代日記』など、原爆や戦争の悲劇をテーマに据えたものも多い。
今は井上ひさしの傑作『父と暮らせば』をベースに、山田洋次監督が書いた映画『母と暮らせば』(12月公開予定)を撮り終えたばかりだという。
「この本(『父と暮らせば』=筆者注)の冒頭で、広島と長崎に落とされた原爆のことを、日本人の上に落とされただけではなく、人間の存在全体に落とされたものであり、だからまた、あの地獄を知っていながら、知らないふりをするのは、なににもまして罪深いことだと述べています。
人間が人間として生きることも死ぬことも、一瞬にして奪ってしまう原爆は、本当にとんでもないこと。その現実を私たちは絶対に知っていなければならないと思うんですね」(小百合)
ええこと言うじゃん。彼女は安保関連法案に反対する映画関係者でつくる「映画人九条の会」が出したアピールの賛同者でもある。当然ながら原発再稼働にも反対している。
「あれから(福島第一原発事故=筆者注)4年も経つというのに、いまだに放射性汚染水が漏れているという報道があります。福島の人たちの怒りと悲しみは今でも癒やされることはありません」(同)
そしてこう結ぶ。
「戦後70年を迎えて、広島に、長崎に、原爆を落とされたことを知らない若い人たちが増えています。当然、核の悲惨さも知らない。そんな時代だからこそ、世界中から核兵器をなくすこと、戦争の愚かさと平和の尊さを、私たち日本人はもっともっと語っていかなければいけない」
彼女の口から出る言葉は、われわれサユリストには神の声である。彼女には、ぜひ安倍首相の面前で原爆詩をじっくり朗読してあげてほしいものである。
第1位。『現代』はまるで安倍首相の母・洋子さん(87)から直接聞いたかのような「息子・安倍晋三への引退勧告」という記事をやっている。タイトル倒れの記事ではあるが、先日の70年談話を出した夜にNHKの『ニュースウオッチ9』に出ていた安倍の顔は、生気も覇気もなく、明らかに病気が進行していることを窺わせた。
奥さんはともかく、さぞ母親は心配していると思う。官邸スタッフがこう言っている。
「総理は、相当疲れているようで、富ヶ谷(渋谷区)の自宅に帰るとバッタリと眠ってしまうそうなんです。本当なら、安全保障、原発、労働者派遣法、TPPなど、ストレスの種となる難問が山積していて、これらについて勉強しなければいけないのに、『起きていられない状態』だといいます」
トイレに駆け込む回数も増えているそうだ。そうした息子を心配して母親は、
「総理の体調がすぐれない時は、消化にいい具材で雑炊を作っている。いままではお手伝いさんに作らせることが多かったらしいのですが……。洋子さんがここまでするのに驚いています。若くして亡くなった夫の晋太郎(元外務相)さんを重ねているのでしょう」(安倍家と親しい関係者)
洋子さんは政界の「ゴットマザー」と呼ばれているそうだ。「妖怪」といわれた岸信介元首相の娘として生まれ、後に自民党のニューリーダーと称された安倍晋太郎氏と結婚し、わが息子の晋三氏を総理の椅子に再び座るまでに育てあげた。
父を亡くした後の晋三総理に、政治家としての立ち居振る舞いを叩き込み、「帝王学」をほどこしたのは、洋子さんだったといわれているそうだ。
『現代』によれば、その洋子さんがついに一つの決断を下そうとしているというのだ。
「晋三さん、もういいのです。あなたはお祖父さまやお父さまの無念を晴らし、私の期待に立派に応えてくれました。これで十分なのです」
母から息子への引退勧告だという。
「岸内閣が退陣した60年から55年の歳月を経て、父、夫、息子の3人の力で、悲願である憲法改正の足がかりは確実なものとなった」(『現代』)
母親が誰に向かってそんなことを言ったのかはまったくわからないが、母親の心情としてはわからないでもない。だが「憲法改正の足がかりは確実なものとなった」というのは「嘘」である。万が一安保法制が成立しても、否、成立させてしまえば、かえって憲法改正は遠のくに違いない。
憲法改正をせずに戦争のできる国に変容させることは、国民の間に安倍自民党への反撥を強くさせ、間違いなく次の総選挙では議席を減らす。
その前に参議院選もある。憲法改正どころか、安倍は自民党を大きく目減りさせた首相として後世に語り継がれるに違いない。
先の渥美と同じように、安倍首相も孤独なようだ。これだけ体調が悪いにもかかわらず、洋子さん以外にはきちんとお世話をしてくれる人がいないようだ。家に帰ったところで、昭恵夫人は、福島の被災地を訪れたり、自分が経営する居酒屋で忙しかったりと、連日のように出歩いている。洋子さんはそのことにも心を痛めているというが、もし事実なら離婚ものであろう。
今、洋子さんは、複雑な思いを抱いているそうだ。それは自分が息子に対してかけた期待に、息子自身が、がんじがらめに縛られ、体を痛めつけているのだから。
そんな息子を見かねてか、もはや息子を見限ってかはわからないが、昨年春頃、洋子さんの長男(安倍総理の兄)、寛信(ひろのぶ)氏の長男が安倍家の後継者だと正式に決まったという。
東京五輪まではやりたいと言っていた安倍首相だが、この頃は、「(来年5月の)伊勢志摩サミットまではやりたい」と「期限」を切るような発言をし始めたそうである。
最後に安倍首相の「70年談話」について触れておく。
何度も読み返してみたが、朝日新聞が15日付の社説で書いているように、これは「出すべきではなかった」と、私も思う。
総花的で言葉が上滑りしているのはアメリカや中国、韓国に気を使って、自分のホンネを押し隠した文章をでっち上げたからであろう。この一時しのぎの誤魔化し談話で米中韓は騙せても、日本国民は騙されない。「平和主義を堅持」「唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指す」、その上「法の支配を尊重」などと、呆れてものが言えないことを平気で言う神経を疑う。
憲法を蔑ろにし法治主義を壊そうとしているのはどこの誰なのだ。安倍首相に言いたい。この談話を首相官邸の壁に貼り、毎日3回、声に出して読み上げなさい。その時は必ず主語を私、日本とはっきりさせること。そうすればここに書いたことと自分が今やっていることがどれほど違うかがはっきりわかるはずだ。過ちては改むるに憚ること勿れである。