直訳的には「完成度を追求するために装飾的趣向を凝らすのではなく、それらを必要最小限まで省略する表現スタイル=ミニマリズムを実践している人」のこと。もう少々噛みくだいた説明をすれば、「身の回りのモノを限りなく減らし、最小限のモノだけで暮らす人」のこと。
昨今、書店では「持たない暮らし」を推奨する書籍が多く並び、若い世代を中心に、そのライフスタイルが共感を呼んでいるのだという。
「断捨離ブームの行き着いた先にあったセカンドステージ的なムーブメント」という解釈もできるが、ミニマリストにとってもっとも“捨てるべきモノ”なのは“見栄”であり、見栄を捨てることによって、お洒落な洋服や、多種多様な調味料だとかコスメセットだとか、ちまたに溢れかえる要らん情報から解放され、“心の豊かさ”を得ることができる……らしい。
ちなみに筆者は、「原稿を書くときは自宅や事務所じゃなく喫茶店で」、が習慣となっているが、その際はあえてルーターを持参せず、ネットやメールが繋がらない環境、つまりノートパソコンをワープロオンリーの状態にすることによって、集中力を高める工夫をしている。これも一つの“ささやかなミニマリズム”なのかもしれない。
ただ、現代社会ではパソコンとスマホがあれば、たいがいのことができてしまうのもまた事実で、これらをも捨て去って……とまではさすがに仕事への支障もあるだろうから言わないが、せめて自宅には置かないようにしてこそ、真のミニマリストなのかもしれない。
「断捨離ブームの行き着いた先にあったセカンドステージ的なムーブメント」という解釈もできるが、ミニマリストにとってもっとも“捨てるべきモノ”なのは“見栄”であり、見栄を捨てることによって、お洒落な洋服や、多種多様な調味料だとかコスメセットだとか、ちまたに溢れかえる要らん情報から解放され、“心の豊かさ”を得ることができる……らしい。
ちなみに筆者は、「原稿を書くときは自宅や事務所じゃなく喫茶店で」、が習慣となっているが、その際はあえてルーターを持参せず、ネットやメールが繋がらない環境、つまりノートパソコンをワープロオンリーの状態にすることによって、集中力を高める工夫をしている。これも一つの“ささやかなミニマリズム”なのかもしれない。
ただ、現代社会ではパソコンとスマホがあれば、たいがいのことができてしまうのもまた事実で、これらをも捨て去って……とまではさすがに仕事への支障もあるだろうから言わないが、せめて自宅には置かないようにしてこそ、真のミニマリストなのかもしれない。