「やればできる子」をローマ字表記(Yareba Dekiru Ko)にし、その頭文字3つを組み合わせた造語。
「やればできる子」自体は、さして目新しくもなく、「その気になったらやれるじゃん!」と、子どもや同世代の友人のやる気を喚起させるための励まし文句として、数年前からじわじわ流行り出していた。
筆者もここ数年、草野球で滅多にしない盗塁やスライディングやバントを成功させたときは、一番年長者なのにチームメイトから「やればできる子!」とよく野次られたりするが、こう言われたら、たしかに息子くらいの年齢の若手から「子」扱いされても、まんざらじゃない嬉しさがじわっと込み上げてきたりもする(「やればできるヒト・オジサン」だといきなり語感が悪くなってしまうし)。個人的にはけっこう好きな言葉である。
ただ、「YDK」と省略することによってポップなイメージが強くなり、そのありがたみまでが薄まってしまう、それどころか「やれるのにやらない子」というネガティブなニュアンスさえただよってくると感じるのは、はたして筆者だけだろうか? 女子高生を「JK」としただけで、なんとなく犯罪性を帯びてくるのと同様で、なんでもかんでも頭文字化するのはいかがなものかと思うのだが……?
編集部注:YDKは2014年、学習塾の明光義塾のテレビCMで最初に使われた。
「やればできる子」自体は、さして目新しくもなく、「その気になったらやれるじゃん!」と、子どもや同世代の友人のやる気を喚起させるための励まし文句として、数年前からじわじわ流行り出していた。
筆者もここ数年、草野球で滅多にしない盗塁やスライディングやバントを成功させたときは、一番年長者なのにチームメイトから「やればできる子!」とよく野次られたりするが、こう言われたら、たしかに息子くらいの年齢の若手から「子」扱いされても、まんざらじゃない嬉しさがじわっと込み上げてきたりもする(「やればできるヒト・オジサン」だといきなり語感が悪くなってしまうし)。個人的にはけっこう好きな言葉である。
ただ、「YDK」と省略することによってポップなイメージが強くなり、そのありがたみまでが薄まってしまう、それどころか「やれるのにやらない子」というネガティブなニュアンスさえただよってくると感じるのは、はたして筆者だけだろうか? 女子高生を「JK」としただけで、なんとなく犯罪性を帯びてくるのと同様で、なんでもかんでも頭文字化するのはいかがなものかと思うのだが……?
編集部注:YDKは2014年、学習塾の明光義塾のテレビCMで最初に使われた。