「祖父母手帳」は、いうなれば「孫育て」の手引き書で、祖父母世代の人が乳幼児の世話をするときに役立ててほしいと、2015年12月にさいたま市が発行した。
女性の社会進出によって、子育てしながら共働きする夫婦が増えている。そうした現役世代の父母に変わって、孫を一時的に預かったり、保育園のお迎えに行ったりするなど、日常的に孫の世話をする祖父母もいるだろう。だが、自分たちが子育てしてから時間も経過しているし、時代も変わっている。
そこで、「祖父母手帳」では、祖父母世代が忘れてしまった育児の基礎、昔とは違う最近の育児事情などを紹介するほか、祖父母世代と親世代の上手な付き合い方なども提案している。
たとえば、「ここが変わった! 子育ての昔と今」というコーナーでは、昔は「頭の形がよくなる」とされていたうつぶせ寝も、現在は乳幼児突然死症候群(SIDS)から赤ちゃんを守るために、現在は避けられていることが紹介されている。
また、子どもを不慮の事故から守るために、「ベランダには踏み台になるものは置かない」「公園では首回りにフードやひものついた服は着せない」など、具体的なアドバイスもあり、子育てに役立つ手引き書になっている。
だが、家族にはさまざまな形があり、頼れる祖父母がいる家庭ばかりではない。
そもそも実家が遠ければ、祖父母に協力を頼むのは難しい。すべての親子が円満な関係を築いているわけではないし、なかには過去の経緯から絶縁している親子関係もある。
また、孫育てをするには祖父母世代に経済的余裕があることが期待されるが、「下流老人」という言葉に象徴されるように、最近は高齢者の貧困が問題になっている。経済的な事情から、祖父母に孫育てをお願いできない家庭もある。孫は可愛くても、高齢になると体力的に面倒をみるのが辛いという人もいるだろう。
負担に感じない範囲で、それぞれの家庭の状況に合わせて、祖父母が孫の面倒をみられるならいい。だが、「祖父母手帳」ができたことで、祖父母は孫の面倒を見なければならないという無言のプレッシャーになりはしまいか。
「祖父母手帳」では、祖父母が孫育てをすることのメリットとして、子どもに「社会性が育まれる」「より多くの愛情を受け、情緒が安定する」としている。
だが、祖父母に限らず、子どもは多くの他者と関わることで、さまざまな人生があることを知り、情操を深めていく。それは、保育所や児童館の先生であるかもしれないし、近所のおじさんやおばさんであるかもしれない。子どもに影響を与えるのは、祖父母に限定されるものではないはずだ。
そもそも、児童福祉法や子ども子育て支援法では、親が働いている子どもの面倒は保育所などでみることを市区町村に義務付けている。行政がやるべきなのは、待機児童をなくし、希望するすべての子どもが保育を受けられる環境を整えることで、祖父母に孫育てを促すことではない。
こうした孫育ての手引書が作成されるのは、2015年3月に閣議決定した少子化社会対策大綱で、子育ての経済的負担を軽減させるために、「三世代同居・近居の促進」「孫育てに係る支援」が打ち出されたことも無関係ではないだろう。
閣議決定を主導した自民党の憲法草案では、家族や婚姻の基本原則を決めた第24条に、新たに「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という条文を加え、国民に対して家族間の自助を義務づけようとしている。
これは、戦前の家族制度の復活とも見られており、多様化する家族の姿を否定することにつながりかねない。
この憲法草案の実現を待たずとも、第2次安倍政権になってから、介護や生活保護といった社会福祉の場において、国の責任の範囲を狭めて、家族による自助を求める傾向は強まっている。
「祖父母手帳」が、家族制度の復活に直結するわけではないだろう。だが、祖父母が孫の面倒をみるかどうかは、それぞれの家庭で決めればいいことで、国や行政が口を出すことではない。
この国の未来を背負う子どもたちの面倒は、誰がみるべきなのか。「祖父母手帳」の発行をきっかけに、基本に立ち返った議論が起こることを期待したい。
女性の社会進出によって、子育てしながら共働きする夫婦が増えている。そうした現役世代の父母に変わって、孫を一時的に預かったり、保育園のお迎えに行ったりするなど、日常的に孫の世話をする祖父母もいるだろう。だが、自分たちが子育てしてから時間も経過しているし、時代も変わっている。
そこで、「祖父母手帳」では、祖父母世代が忘れてしまった育児の基礎、昔とは違う最近の育児事情などを紹介するほか、祖父母世代と親世代の上手な付き合い方なども提案している。
たとえば、「ここが変わった! 子育ての昔と今」というコーナーでは、昔は「頭の形がよくなる」とされていたうつぶせ寝も、現在は乳幼児突然死症候群(SIDS)から赤ちゃんを守るために、現在は避けられていることが紹介されている。
また、子どもを不慮の事故から守るために、「ベランダには踏み台になるものは置かない」「公園では首回りにフードやひものついた服は着せない」など、具体的なアドバイスもあり、子育てに役立つ手引き書になっている。
だが、家族にはさまざまな形があり、頼れる祖父母がいる家庭ばかりではない。
そもそも実家が遠ければ、祖父母に協力を頼むのは難しい。すべての親子が円満な関係を築いているわけではないし、なかには過去の経緯から絶縁している親子関係もある。
また、孫育てをするには祖父母世代に経済的余裕があることが期待されるが、「下流老人」という言葉に象徴されるように、最近は高齢者の貧困が問題になっている。経済的な事情から、祖父母に孫育てをお願いできない家庭もある。孫は可愛くても、高齢になると体力的に面倒をみるのが辛いという人もいるだろう。
負担に感じない範囲で、それぞれの家庭の状況に合わせて、祖父母が孫の面倒をみられるならいい。だが、「祖父母手帳」ができたことで、祖父母は孫の面倒を見なければならないという無言のプレッシャーになりはしまいか。
「祖父母手帳」では、祖父母が孫育てをすることのメリットとして、子どもに「社会性が育まれる」「より多くの愛情を受け、情緒が安定する」としている。
だが、祖父母に限らず、子どもは多くの他者と関わることで、さまざまな人生があることを知り、情操を深めていく。それは、保育所や児童館の先生であるかもしれないし、近所のおじさんやおばさんであるかもしれない。子どもに影響を与えるのは、祖父母に限定されるものではないはずだ。
そもそも、児童福祉法や子ども子育て支援法では、親が働いている子どもの面倒は保育所などでみることを市区町村に義務付けている。行政がやるべきなのは、待機児童をなくし、希望するすべての子どもが保育を受けられる環境を整えることで、祖父母に孫育てを促すことではない。
こうした孫育ての手引書が作成されるのは、2015年3月に閣議決定した少子化社会対策大綱で、子育ての経済的負担を軽減させるために、「三世代同居・近居の促進」「孫育てに係る支援」が打ち出されたことも無関係ではないだろう。
閣議決定を主導した自民党の憲法草案では、家族や婚姻の基本原則を決めた第24条に、新たに「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という条文を加え、国民に対して家族間の自助を義務づけようとしている。
これは、戦前の家族制度の復活とも見られており、多様化する家族の姿を否定することにつながりかねない。
この憲法草案の実現を待たずとも、第2次安倍政権になってから、介護や生活保護といった社会福祉の場において、国の責任の範囲を狭めて、家族による自助を求める傾向は強まっている。
「祖父母手帳」が、家族制度の復活に直結するわけではないだろう。だが、祖父母が孫の面倒をみるかどうかは、それぞれの家庭で決めればいいことで、国や行政が口を出すことではない。
この国の未来を背負う子どもたちの面倒は、誰がみるべきなのか。「祖父母手帳」の発行をきっかけに、基本に立ち返った議論が起こることを期待したい。