「金つば」は、厚めに四角くした餡の表面に小麦粉生地をつけ、その六面を焼いた和菓子である。餡に白豆、サツマイモ、カボチャなどを使うもの、羊羹のような寒天を混ぜたものに生地を付けたものなど、いくつかの種類がある。「金つば焼き」と呼ばれていることもある。

 江戸後期(文化年間)の随筆集『嬉遊笑覧』(喜多村信節(きたむら・のぶよ))には、「どらとは 金鼓(ごんぐ)に似たる故 鉦(どら)と名づけしは 形大きなるをいひしが、今は形小さくなりて、金鍔と呼(ぶ)なり」と記されている。当時のどら焼きは、現代のような、ふっくら焼いた皮で餡を挟んだものではなかったので、形の大小だけで「どら焼き」と「金つば」は区別していたことが読み取れる。

 そもそも金つばは、天和(1681~1684)から貞享(1684~1688)にかけ、清水(きよみず)坂周辺の茶屋で売り出されたものが原型で、これを「銀つば」と呼んでいたそうだ。当時、表面の焼皮は小麦粉ではなく、粳(うるち)米の粉でつくった生地で餡を包んで表裏を焼いたもので、形は丸く平たい姿をしていた。これが刀の鍔(つば)のようであったため、「銀つば」という名称が付けられたそうである。

 ここで「あれっ」と思われた方は、かなりの和菓子好きであろう。現在の京都にも、ほぼ同じ形状で同じ製法の名物菓子がある。おわかりだろうか、「焼き餅」である。おそらく「銀つば」とは、腰掛け茶屋で出される現在の「焼き餅」のようなものであったと考えられる。

 その後、「銀つば」は江戸へと伝えられ、いつしか「金つば」という名称に変わった。幕末に「金つば」を売る屋台から発祥した榮太樓總本鋪(東京日本橋)のホームページには、「(銀つばが)江戸に渡った折り、粳を小麦粉に変えて焼いたところ、焼色が付き『粳皮の銀色より、金色の方が上である』ということ」から、「金つば」という名称になったという理由が記されている。


金つばでも有名な中村軒(西京区)のもの。原材料は砂糖、小豆、小麦粉、寒天、餅米。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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