京都で「粟餅」といえば、粟餅所澤屋(あわもちどころさわや、上京区)のことだ。これは四百年近くも変わっていない。1645(正保2)年に刊行された俳諧撰集『毛吹草(けふきぐさ)』には、「山城(旧国名の山城国の意)名物北野粟餅」と記されており、江戸初期には北野天満宮門前の名物菓子として定着していたことがわかる。昔は境内にあった茶屋で販売されていたが、大鳥居の前に店を構えた現在も、蒸したて、作りたてを変わることなく提供している。
古代から五穀の一つとして食べられてきた粟は、黄味を帯びた色と独特の香りが特長で、食べると口にほのかな甘味が広がる。品種には餅種と粳(うるち)種があり、日本で粟餅や粟飯などとして食べられているのは餅種のほうだ。澤屋では、餅種を蒸して搗(つ)き、粟の餅を丸めたら、漉し餡で包んだものと、きな粉にまぶしたものを作る。この二種類一揃いにするのが澤屋のお決まりである。木箱に入った土産も用意されているのだが、固くなりやすい粟餅は、作りたてを食べるのが一番。もちもち、ぷちぷちとした食感、粟独特の香りは時間が経つほど失われてしまうのだ。
代々の当主は、作り置きをしない柔らかな粟餅にこだわり、客の注文が入ってから餅を丸めて作るスタイルを守り続けてきた。一番おいしいところを参拝者に味わってもらえるように、手間を惜しまず、一日になんども蒸しては搗き、粟餅を作り続けている。
古代から五穀の一つとして食べられてきた粟は、黄味を帯びた色と独特の香りが特長で、食べると口にほのかな甘味が広がる。品種には餅種と粳(うるち)種があり、日本で粟餅や粟飯などとして食べられているのは餅種のほうだ。澤屋では、餅種を蒸して搗(つ)き、粟の餅を丸めたら、漉し餡で包んだものと、きな粉にまぶしたものを作る。この二種類一揃いにするのが澤屋のお決まりである。木箱に入った土産も用意されているのだが、固くなりやすい粟餅は、作りたてを食べるのが一番。もちもち、ぷちぷちとした食感、粟独特の香りは時間が経つほど失われてしまうのだ。
代々の当主は、作り置きをしない柔らかな粟餅にこだわり、客の注文が入ってから餅を丸めて作るスタイルを守り続けてきた。一番おいしいところを参拝者に味わってもらえるように、手間を惜しまず、一日になんども蒸しては搗き、粟餅を作り続けている。