蘇鉄は世界の熱帯や亜熱帯地域に自生するソテツ科の植物。「生きた化石」と呼ばれ、原始的なシダ植物の形態を残した起源の極めて古い植物である。日本では九州南部より以南の地域に一種だけが自生するとされ、関東より南の地域では、路地植えの庭園樹木として古くから親しまれてきた歴史がある。京都にも歴史的な日本庭園や京町家の庭木として数多くみられる。有名な所では京都御所や仙洞御所をはじめ、二条城、桂離宮、西本願寺の大書院庭園などの蘇鉄が有名である。それにしても時間をかけて生い育つ蘇鉄は、高さ2メートルから5メートル、幹の太さは50センチあまりになり、1メートル近くもある葉が生い茂る。その姿は、日本の庭園ではかなり異様な存在感を放つのだが、どのような理由で珍重されてきたのだろう。
京都で初めて文献に「蘇鉄」の名称が登場するのは、室町時代の1488(長享2)年とされている。当時は中国経由の行路に加え、琉球を窓口にした東南アジアの交易ルートが開かれた時期だ。南方の国々のさまざまな産物と一緒に、九州や瀬戸内を通り、蘇鉄がはるばる京都までやってきたと考えられる。
それほどの道のりを経ても輸入された理由は、一般的な庭木と明らかに異なる、その樹形のもっている異国情緒のゆえである。その姿は庭石として珍奇な色や形、巨石が喜ばれたことと同じように、権力を示す格好の材料として使われてきた。室町期以降より江戸期に至っても、そのような風潮は変わりなく続き、1602(慶長7)年に徳川家康の命によって着工した二条城の庭園には、完成当初60本もの蘇鉄が庭に林立し、徳川家の権勢を讃えたと伝えられている。その後、それらの蘇鉄の一部は京都御所に移植されたり、二条城が再整備されたりと、本数を減らしていく。そして、いつしか未知なる魅力をもつ庭木として、なくてはならない存在感を有するようになった。
庭の片隅で動き出しそうな存在感の蘇鉄。
京都で初めて文献に「蘇鉄」の名称が登場するのは、室町時代の1488(長享2)年とされている。当時は中国経由の行路に加え、琉球を窓口にした東南アジアの交易ルートが開かれた時期だ。南方の国々のさまざまな産物と一緒に、九州や瀬戸内を通り、蘇鉄がはるばる京都までやってきたと考えられる。
それほどの道のりを経ても輸入された理由は、一般的な庭木と明らかに異なる、その樹形のもっている異国情緒のゆえである。その姿は庭石として珍奇な色や形、巨石が喜ばれたことと同じように、権力を示す格好の材料として使われてきた。室町期以降より江戸期に至っても、そのような風潮は変わりなく続き、1602(慶長7)年に徳川家康の命によって着工した二条城の庭園には、完成当初60本もの蘇鉄が庭に林立し、徳川家の権勢を讃えたと伝えられている。その後、それらの蘇鉄の一部は京都御所に移植されたり、二条城が再整備されたりと、本数を減らしていく。そして、いつしか未知なる魅力をもつ庭木として、なくてはならない存在感を有するようになった。
庭の片隅で動き出しそうな存在感の蘇鉄。