「汁粉」とは「汁粉餅」の略で、小豆餡の汁に餅を入れた菓子である。京都で「汁粉」というと、漉し餡を使ったものという意味であり、粒餡のいわゆる田舎汁粉のことは「善哉(ぜんざい)」と呼ばなければいけない。一方、関東で「善哉」といったら、粟や白い餅に、ぼってりと汁気の少ない餡をかけたものだと思うのだが、これを京都では「亀山」と呼んでいる。

 さて、このおいしい「汁粉」を、行楽や旅の道中に携帯し、どこでも食べてしまおうと考え出されたのが「懐中汁粉」である。一説に、日本最古のインスタント食品ともいわれている。

 「懐中汁粉」は最中のような感じで、餡の粉が外皮に包まれており、これを椀に入れ、熱いお湯を注いで混ぜるだけでできあがる。外皮は、薄い餅を焼いた皮や、最中と同じ麩焼きの皮でつくられている。中の餡は晒し餡というものだ。これは小豆をやわらかに煮て、外皮を取り除きながら濾した漉し餡を、加熱乾燥して粉末にしたものだ。砂糖や塩、澱粉などで調合され、さらに椀の中で溶けて浮かび上がってくる麩や求肥(ぎゅうひ)、小花の塩漬けなどが詰め込まれている。餡の味ばかりか、具材の組み合わせや色合いなどにも、和菓子店のこだわりが見られる一品なのである。京都では、老舗・末富(すえとみ)のシンプルな光悦善哉、甘泉堂(かんせいどう)の蘭の塩漬けが入った四君子(しくんし)、京華堂利保(きょうかどう・としやす)の筍や松茸を模した懐中汁粉などが有名で、ほかにもかなりの種類があると思われる。

 余談であるが、『東洋文庫』の『明治東京逸聞史』の中に、1911(明治44)年『中央公論』に掲載された懐中汁粉の話を発見した。

 「なんでも喰べる物がないから、お茶屋で懐中汁粉を買って、お湯で解いて飲んだの。そしたら日の丸の旗が出てよ。旅順口なんてかいてあるの。よッぽど古い懐中汁粉なのねえ。」

 文章中の「旅順口」とは、大連市(中国)市轄区のことで、話は1904(明治37)年に旅順口総攻撃で火ぶたを切った日露戦争を題材にしている。明治期の日本では、懐中汁粉が全国的なブームになったと聞いたことがある。この記事は、そのような時勢を背景にしたものなのだろう。


右側は、銀閣寺付近の日栄軒本舗(左京区)のもの。左側は京華堂利保(左京区)の懐中しるこ『竹の露』で、松茸と筍の形をしている。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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