『東海道中膝栗毛』(十返舎一九作)では「清水の舞台」に関する記述がいくつか出てくる。その六篇下では、弥次郎兵衛と喜多八が清水寺を訪ね、切り立った崖のうえに設けられている観音堂の舞台「清水の舞台」について、僧侶を交えて会話をする場面がある。

北八「時に弥次さん、かのうはさにきいた、傘をさして飛ぶといふは、此舞台からだな」
(傍らの)僧「昔から当寺へ立願のかたは、仏に誓ふて、是から下へ飛れるが、怪我せんのが、有りがたい所じゃわいな」
(ジャパンナレッジ「新編 日本古典文学全集[81]」『東海道中膝栗毛』」より)

 清水寺が運営するホームページ『清水寺よだん堂』によると、江戸中期に「清水の舞台」から飛び降りるブームが起こり、1694(元禄7)年から1864(元治元)までの間に、235人もの人が飛び降りたという。亡くなった人も多数出て、1872(明治5)年には、京都府から飛び降り禁止令が発令されている。飛び降りた人のほとんどは、京都に暮らす市井の人だったということであり、その理由は願掛けだったそうだ。『東海道中膝栗毛』には、飛び降りブームの由来として、足の悪くなった母の治癒を清水寺に祈願する菓子屋の息子の昔話が紹介されている。

 清水寺は778(宝亀9)年に開創された寺院で、もともと「清水の舞台」は、雅楽や能などを観音様に奉納する場所であった。その舞台は錦雲渓(きんうんけい)の急な崖のうえにあり、最長12メートルあまりもの欅の大木が舞台を支えている。台座の部分は、太い柱を縦横に釘一本も使わずに組み合わせる「懸(かけ)造り」で、張り出した舞台は4階建てのビルの高さに匹敵する。

 「清水の舞台から飛び降りる」という諺の意味は、日本人なら誰もが知っていることだろう。『日本国語大辞典』には「死んだつもりで思いきったことをする。非常に重大な決意を固める」とある。よく、思い切って高価な買い物を決断するときの例えとして用いられ、同じ意味で「清水の舞台から後ろ飛び」なんていう言い方もある。このような使い方が、いつからされるようになったのかは定かではない。『今昔物語』や『宇治拾遺物語』に収められている「検非違使忠明(けびいしただあきら)のこと」には、役人の検非違使が悪党に追いかけられ、観音様に祈りながら舞台から飛び降り、無事に逃げ去った、という場面が描かれている。このことからも、かなり古くから伝承されてきた説話といえそうだ。


本堂(国宝)は2017年初めごろから50年ぶりの檜皮葺き屋根の葺き替えで、たいへん珍しい様子が見られる。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   


池仁太(いけ・じんた)
土曜日「京都の暮らしことば」担当。1967年福島県生まれ。ファッション誌編集者、新聞記者を経てフリーに。雑誌『サライ』『エスクァイア』などに執筆。現在は京都在住。民俗的な暮らしや継承技術の取材に力を入れている。
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