エッセイストの酒井順子氏といえば、かつて30代以上、未婚、子どもがいない女性たちを「負け犬」と称して話題を呼んだ。過剰な表現にも聞こえる「負け犬」だが、現代を生きる独身女性たちへのまなざしは優しい。だから、反発の声はありつつも、一定の評価を受けて流行語にもなったのだろう。いま女性が置かれている社会状況を、鋭い感性で浮き彫りにする酒井氏の、新たな造語が「男尊女子」である。
男尊女卑の意識は、じつは女性の中にこそ見え隠れしているのではないか。著書『男尊女子』(集英社)では、次のような例が挙げられている。自分よりデキない男性社員にまで、キャリア女性がお茶を淹れようとする。共稼ぎで専業主婦でもないのに、自分よりも稼ぎのない夫を「主人」と呼ぶ。……考えてみれば、奇妙な美意識なのである。
ことが酒井氏と同年代かそれ以上の女性だけに当てはまるならば世代論になるのだが、どうやら下の年代でも見てとれる傾向のようだ。たとえば、若い世代がよく用いる「女子力」の「女子」。どうも「男を立ててくれる女子」というニュアンスがないだろうか。もともとの女子力とは、それを持たない女性が自虐的に使った表現とされる。なのにいつしか、男性にとって都合のいい指標となった。女子力を信奉する向きは、無自覚のうちに「男尊」の域に陥っているかもしれない。
家事・子育て、さらには社内でのこまごまとしたお世話まで抱え込むキャリアウーマンは、人生が「業務過多」になっていないか振り返ってみてもいい。そして男性陣は、男尊女子に甘えすぎていないか、ご注意。
男尊女卑の意識は、じつは女性の中にこそ見え隠れしているのではないか。著書『男尊女子』(集英社)では、次のような例が挙げられている。自分よりデキない男性社員にまで、キャリア女性がお茶を淹れようとする。共稼ぎで専業主婦でもないのに、自分よりも稼ぎのない夫を「主人」と呼ぶ。……考えてみれば、奇妙な美意識なのである。
ことが酒井氏と同年代かそれ以上の女性だけに当てはまるならば世代論になるのだが、どうやら下の年代でも見てとれる傾向のようだ。たとえば、若い世代がよく用いる「女子力」の「女子」。どうも「男を立ててくれる女子」というニュアンスがないだろうか。もともとの女子力とは、それを持たない女性が自虐的に使った表現とされる。なのにいつしか、男性にとって都合のいい指標となった。女子力を信奉する向きは、無自覚のうちに「男尊」の域に陥っているかもしれない。
家事・子育て、さらには社内でのこまごまとしたお世話まで抱え込むキャリアウーマンは、人生が「業務過多」になっていないか振り返ってみてもいい。そして男性陣は、男尊女子に甘えすぎていないか、ご注意。