戦後、文化の高揚普及の声に応じて、大規模な百科辞典がつぎつぎに刊行され、一家庭に一部をの標語が実現されているかに見える。たしかに、百科辞典は便利である。森羅万象、あらゆる事物について、たちどころに必要な知識を与えてくれる。ただ、惜しいことには、専門的に立ち入った事実を知ろうとするには、項目が立ててなかったり、叙述が簡単であったりして、物足りない感じを抱かせられる。
この欠点を補うものは、学問の分野別にまとめられた辞典であろう。人文・社会・自然の諸科学の各専門分野の辞典は、専門学者にとって有益なばかりでなく、素人にも興味がもてる。豊富な図版を伴った動物学・植物学の辞典類は、何の目的もなく、ただひもとくだけで楽しいものである。同様なことは、日本歴史の辞典についてもいえよう。
戦後三十三年、日本歴史の学問はいちじるしく進歩した。新史料の発見によって不明の史実の明らかにされたものは多く、史観の変化によって既成の学説の改められたものもおびただしい。研究の分野は周辺に広まって、他の諸科学と交流し、個別の研究は微に入り細を穿って深化する。専門の史学者でも、その発展の全貌に通ずることは困難である。ここに詳密な辞典を座右に置き、時に応じて、所要の知識を求める必要が起ってくる。
一方、一般の読書子からも、そうした要求が出されるであろう。昭和三十年代から出版界に歴史ブームの声が聞かれ、一張一弛、今になってもその勢いは衰えない。十冊・二十冊の叢書として、日本歴史を概説する書物は、各出版社から工夫をこらして出版され、史学者ならぬ哲学者・評論家が清新な視角から構成した特異の歴史像・人物論が世に迎えられる。日本人はもともと歴史を好む習性を持つと、私は考えるが、太平の世を過ごすこと久しく、歴史に対する興味と関心は、国民の日常生活の中に確実に定着したものといってよい。
ただ、その際必要なことは、学問に裏づけられた正しい歴史知識である。フィクションと史実との弁別、特殊と普遍との認識、史料の真偽の鑑別など、およそ起り得るあらゆる疑問に直ちに回答できるものは、信頼すべき歴史辞典をおいて、ほかにあるまい。
日本歴史の辞典として戦前広く行われ、ひとびとの信用を博していたものは、吉川弘文館の発行した『国史大辞典』である。初版は明治四十一年に発行され、珍しい色刷図版を別冊とした、当時としては清新豪華なものであった。その後幾たびか版をかえて世に出され、大正・昭和を通じ、文字通り斯界の指針として重きをなしていた。昭和十五年、冨山房が出版した『国史辞典』は、新しい研究成果を盛り、好著として迎えられたが、第四冊までを出版しただけで、戦争の激化によって中絶し、その後は再興されずして終った。
戦後、各種の歴史辞典の出版はないことはないが、往年の『国史大辞典』、または『国史辞典』に匹敵するような重量感に充ち満ちたものは出ていない。吉川弘文館社長吉川圭三氏は、これに鑑み、今日の歴史学の水準を示す日本歴史大辞典として、その名称も先行のそれを継承した新しい『国史大辞典』の出版を企画し、その編集を私どもに依頼した。
編集委員会は昭和四十年の発足以来、編集方針の検討、収載項目・執筆者などの選定に取り組み、隣接部門はそれぞれの専門家の指導を仰ぎながら慎重な審議を続け、記述の正確にして客観的な歴史辞典の編集に鋭意努力を払った。今日まで二千名に近い執筆者に原稿の執筆を依頼しているが、原稿の整備と校正、図版の選定と作製等に意外な年月を費やしてしまった。しかし、この程ようやく諸般の準備が完了し、第一巻を世に送り出すことのできるのは、私どもの深く喜びとするところである。同時に、これまで執筆・編集等にご協力いただいた各位、この書の出版を待ち望んでおられた各位には、出版の遅延について衷心からお詫びを申し上げる。おもうに、本辞典が完結するまでには、本委員会にとっても出版社にとっても、前途に幾多の困難が予想される。どうか無事所期の目的が達成できるよう、今後とも各位の変わらぬご支援を懇願する。
本書が、専門学者には信頼すべき座右の書として、一般読書子には興味ある書物として、お役に立つことができれば、編集委員会および吉川弘文館の喜びは、これにしくものはない。委員会を代表して一言蕪辞を巻頭に題する次第である。
赤松俊秀 家永三郎 石井良助 石母田 正 伊東多三郎 井上 薫 井上光貞 弥永貞三 岩生成一 太田晶二郎 太田博太郎 大藤時彦 大野達之助 岡田章雄 荻野三七彦 笠原一男 川崎庸之 岸 俊男 |
北島正元 黒板昌夫 後藤四郎 小葉田 淳 斎木一馬 下村冨士男 末松保和 鈴木敬三 谷 信一 玉村竹二 土井 弘 遠山茂樹 豊田 武 直木孝次郎 永原慶二 中村栄孝 西田長男 西山松之助 |
貫 達人 沼田次郎 芳賀幸四郎 林屋辰三郎 福尾猛市郎 藤木邦彦 古島敏雄 堀 一郎 宮本又次 桃 裕行 森 克己 森末義彰 吉田精一 吉田常吉 和歌森太郎 (五十音順) |
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