(たんにしょう)
作者未詳
浄土真宗の開祖・親鸞の「悪人正機説」の教えを説く
親鸞の死後、親鸞の意図に沿わない信徒たちを見て嘆いた直系の弟子が、親鸞の本意を改めて語ろうとした。〈善人なほもつて、往生を遂ぐ。況んや、悪人をや〉(善人でさえやはり、往生を果すのだ。まして、悪人は言うまでもないことだ)の一文は特に有名。作者は、親鸞に師事した唯円といわれる。しばらく禁書扱いされていたが、今では浄土真宗の重要な聖典のひとつ。
[鎌倉時代(1288年ごろ成立)][法語集(仏書)]
《校注・訳者/注解》 安良岡康作
(へいけものがたり)
作者未詳
平清盛を中心とした平家一門の栄枯盛衰を描く軍記物語
〈祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響あり……〉の書き出しで始まる、全12巻の軍記物語。1180~1184年に展開された源平合戦の描写を軸に、平清盛を中心とした平家一門の興亡を、仏教的無常観に基づき叙事詩的に記す。平曲として琵琶法師によって語られた。信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)作との説があるも、作者、成立年ともに未詳。
[鎌倉時代(13世紀前半ごろ成立)][軍記]
《校注・訳者/注解》 市古貞次
(けんれいもんいんうきょうのだいぶしゅう)
右京大夫
平家の恋人との恋と別離を詠んだ、追慕の歌
高倉天皇の中宮、建礼門院(平清盛の娘の平徳子)に仕えた女房、右京大夫の私家集。〈ただ、あはれにも、悲しくも、何となく忘れがたく覚ゆることども〉を、約360首の和歌に詠んで年代順に詞書とともに、日記的におさめた。右京大夫は平家嫡流の平重盛の子、資盛(すけもり)と恋に落ちるが、資盛は源平の合戦で戦死。かつての争乱の時代を、恋愛と別離を軸に回顧する。
[鎌倉時代(1232年ごろ成立)][歌集(私家集)]
《校注・訳者/注解》 久保田 淳
(とわずがたり)
後深草院二条
後深草院の寵を受けつつ奔放な愛に生きた女性の自伝的日記
後の南北朝の対立の萌芽が出始めていた頃、14歳でその一方の側の後深草院の寵愛を受けた女性――後深草(ごふかくさ)院二条が、深草院の寵愛を受けながら廷臣や高僧とも関係を結ぶ男性遍歴や華やかな宮廷生活を描いた前編と、31歳で出家し、諸国行脚の旅に出た後編からなる。中世女流日記文学の最高傑作と評価が高く、資料性にも優れる。
[鎌倉時代(1306~13年ごろ成立)][日記]
《校注・訳者/注解》 久保田 淳
(ちゅうせいにっききこうしゅう)
阿仏尼、今川了俊、正徹、宗長、細川幽斎ほか
鎌倉・室町時代を代表する日記紀行文学の名作集
京都・鎌倉間の旅を中心に描く、鎌倉時代に成立した紀行『海道記』、『東関紀行』、『信生法師日記』、『春の深山路』、『十六夜日記』、宮中の行事を記した『弁内侍日記』、14世紀後半から16世紀後半に成立した紀行、今川了俊の『道行きぶり』、『なぐさみ草』、『覧富士記』、宗長の『東路のつと』、『吉野詣記』、『九州道の記』、『九州の道の記』の全13編を収録する、日記紀行文学の名作集。
[鎌倉時代~安土桃山時代][日記紀行]
《校注・訳者/注解》 長崎 健 外村南都子 岩佐美代子 稲田利徳 伊藤 敬
(ちゅうせいわかしゅう)
西行、源実朝、藤原定家ほか
西行から松永貞徳まで約200歌人の秀歌約1300首をおさめる
西行や正徹(しょうてつ)、藤原定家や京極派の歌人などの、中世を代表する和歌をおさめる。収録する和歌集(部分収録)は、鎌倉3代将軍源実朝の私家集『金槐和歌集』、勅撰集の『千載和歌集』(7番目)、『新勅撰和歌集』(9番目)、『続後撰和歌集』(10番目)、『玉葉和歌集』(14番目)、『風雅和歌集』(17番目)、『新続古今和歌集』(21番目)、準勅撰集の『新葉和歌集』、細川幽斎の家集『衆妙集』など。
[鎌倉時代~江戸時代前期][歌集(和歌)]
《校注・訳者/注解》 井上宗雄
(うじしゅういものがたり)
作者未詳
鎌倉時代の生活がうかがえる、笑いや恋愛、怪異を詰め込んだ説話集
宮廷人から庶民に至るまで幅広い階層の話を、ユーモラスに生き生きと伝える。全197話。「鬼に瘤取らるる事」(こぶとり爺さん)、「雀報恩の事」(舌切り雀)、「長谷寺参籠の男、利生にあづかる事」(わらしべ長者)のように昔話の元となったり、「鼻長き僧の事」(鼻)、「利仁、芋粥の事」(芋粥)など芥川龍之介の短編の元となったりと、時代を超えて読み継がれている。編者不詳。
[鎌倉時代(1213~21年ごろ成立)][説話]
《校注・訳者/注解》 小林保治 増古和子
(じっくんしょう)
作者未詳
逸話・文献をもとに十の徳目=処世術を説く鎌倉時代の説話集
「人に恵(めぐみ)を施すべき事」、「人の上を誡(いまし)むべき事」、「朋友(ほういう)を撰(えら)ぶべき事」「思慮を専らにすべき事」、「諸事を堪忍すべき事」など、現代にも通ずる10項目の処世術が説話を通して紹介される。年少者に向けて書かれており、内容は具体的で実践的。詩歌管絃の話やユーモア話など佳話が多い。編者は未詳だが、菅原為長説と六波羅二臈左衛門入道説がある。
[鎌倉時代(1252年成立)][説話]
《校注・訳者/注解》 浅見和彦
(しゃせきしゅう)
無住道暁
中世の庶民生活や地方の珍話、滑稽な人間模様を描く仏教説話集
全10巻からなる鎌倉時代の仏教説話集。和歌説話、動物説話、因果応報説話、笑話、艶話、世間話など題材は多彩で、地方の珍話など実際に取材した話も数多く、地方や庶民の生活が活写される。仏教論理を「砂や石」(=沙石)のような卑近な例えで説くという意味で、「沙石集」。著者は臨済宗の僧、無住道暁(無住一円)。1279年に書き始め4年後に成立。以後、改訂が繰り返された。
[鎌倉時代(1283年成立)][説話(仏教説話)]
《校注・訳者/注解》 小島孝之
(そがものがたり)
作者未詳
幼くして父を殺された曾我兄弟の悲しい仇討ちの物語
曾我祐成(すけなり、幼名・一万)と曾我時致(ときむね、幼名・箱王)の兄弟が、源頼朝による富士の巻狩りの際に父親の仇・工藤祐経(すけつね)を討った実際の仇討ち事件を元にする、一大軍記物語。物語では、曾我兄弟の生い立ちから、仇討ちまでの18年間の苦難、兄弟が倒れてからの母の悲しみが描かれる。後世の曾我物の題材となった。曾我物語の発祥をめぐる民俗学的研究も盛ん。
[鎌倉末期~南北朝時代][軍記]
《校注・訳者/注解》 梶原正昭 大津雄一 野中哲照