1. トップページ
  2. >
  3. カテゴリ一覧
  4. >
  5. 歴史
  6. >
  7. 遺跡
  8. >

「城」カテゴリの記事一覧

オンライン辞書・事典サービス「ジャパンナレッジ」の「城」のカテゴリ別サンプルページです。
ジャパンナレッジは「国史大辞典」「日本国語大辞典」「世界大百科事典」「日本大百科全書」など65種以上の辞書・事典をパソコンやスマートフォンで利用できます。

→ジャパンナレッジについてもっと詳しく見る



大坂城跡(日本歴史地名大系)
日本歴史地名大系/平凡社/[現]東区大阪城。東区の北東の一角にある城跡で、本丸と二ノ丸のほぼ全域七三万平方メートルが国の特別史跡。城跡にもと玉造定番屋敷・同与力同心屋敷の一部を加えた約一〇三万平方メートルが大阪城公園となっている。
伏見城跡(日本歴史地名大系)
伏見山(桃山丘陵)に豊臣秀吉によって築かれた城。関ヶ原の合戦に伴う東軍と西軍の攻防戦で被害を受けた後、徳川家康の手で大規模な修築復興がなされたが、元和九年(一六二三)廃城になった。
井伊谷城跡(日本歴史地名大系)
[現]引佐町井伊谷。井伊谷の盆地北側、標高一一四メートルの城(しろ)山の山頂とその南東方向の麓にあった居館。井伊(いい)城ともいい、井伊氏の居城。なお史料上、南北朝期にみえる井伊城は三岳(みたけ)城をさす。
三岳城跡(日本歴史地名大系)
[現]引佐町三岳・川名。三岳山の山頂部にある山城跡。標高四六六・八メートルの山頂を中心として東西約七〇〇メートルにわたる尾根上に築かれていた。国指定史跡。井伊氏の本城で、平時の居館であった井伊谷(いいのや)の井伊谷城に対し、詰の城として利用され、当城と井伊谷城は同一視されていた。御嵩城・三嶽城・深嶽城あるいは
(日本大百科全書(ニッポニカ))
塁、堀、柵など外敵の侵入を防ぐために設けられた軍事的構築物のことをいい、さらにそれによって防衛された地域もいう。城郭という語も城と同義に用いられる。しかし火器の発達した近代に構築された軍事的防衛施設は城とよばず要塞とよばれる。最初は自然の地形を利用して防衛のためにのみ築城したが
姫路城(日本大百科全書(ニッポニカ))
南北朝期~江戸期の城。兵庫県姫路市本町にあり、白鷺(しらさぎ/はくろ)城ともよばれる。姫路平野の中央、高さ45メートルの姫山を本丸とした平山城の典型である。城の歴史は古く、1331年(元弘1)の元弘の乱のとき、播磨守護赤松則村が陣を構えたのに始まり、1346年(正平1・貞和2)則村の子貞範が築城したと伝えられる。
弘前城(国史大辞典)
青森県弘前市下白銀町に中心部のある城。築城当初は高岡城と呼ばれた。平城。津軽平野南部の盆地状地形の中の台地北端に位置する。慶長八年(一六〇三)に大浦(津軽)為信が起工し同十六年為信の子信枚の時に一応の完成を見た。為信はもと大浦城におり元亀二年(一五七一)ごろから津軽統一への歩みを開始したが
名古屋城(日本大百科全書(ニッポニカ))
戦国期~江戸期の城。名古屋市中区本丸にあり、天守閣の鯱鉾が青銅の鋳物に薄い金板を張っていることから金鯱城ともいう。城は名古屋台地の北西隅、台地が北方の低湿地へ突き出た丘陵の突端を利用して築かれた平城である。名古屋は古くは那古屋と書かれ、戦国期の城は那古屋城である。
大坂城(日本大百科全書(ニッポニカ))
戦国期から江戸期の城。大阪市中央区大阪城にある。金城(錦城)ともいい、明治以後は大阪城と書かれる。南から北に延びた高さ20メートルほどの台地が淀川流域の低地に突き出た北端(上町台地)に位置し、大和川がその東を巡り、三面を水に囲まれた要害の地に築かれていた。
原城(日本大百科全書(ニッポニカ))
戦国期~江戸初期の城。長崎県南島原市南有馬町乙にある。城の創築は1496年(明応5)といわれ、この地の領主有馬貴純が日之江城(北有馬町)の支城として築いた平城である。1614年(慶長19)有馬直純の日向移封後天領となり、16年(元和2)松倉重政が入城したが
長篠城跡(日本歴史地名大系)
[現]鳳来町長篠 寒狭川と三輪川との合流点、標高六〇メートルの段丘上にある平城。扇城・末広城ともいう。天明年間(一七八一―八九)の長篠古城絵図(長篠城趾史跡保存館蔵)によれば、合流点を背に、北に向かって扇状に開く、面積約一〇町歩。北から流れる矢沢が、城を二分して寒狭川に落込む
犬居城跡(日本歴史地名大系)
[現]春野町堀之内 気田川の右岸、犬居の標高二九〇メートルの鐘打山の山頂にある。城山ともよばれた(遠江国風土記伝)。天野氏の本城と考えられ、同氏は鎌倉後期犬居に入部、土着したと思われる。南北朝期には一族のうちには南朝方に属した家もあったが主流は北朝方として活動し、室町期
首里城(日本大百科全書(ニッポニカ))
沖縄県那覇市首里当蔵にある城跡。琉球王国時代の王宮にあたり、東西最長約400メートル、南北最長約270メートル、全体に楕円形の城域をもつ。面積4万6167平方メートルの規模をもち、堅牢な石垣で囲まれていた。外郭に四つの石造拱門(アーチ門)、内郭に八つの門があり、その内部には正殿
明石城跡(日本歴史地名大系)
[現]明石市明石公園東を朝霧(あさぎり)川、西を明石川に画された洪積台地の南西端部(通称人丸山)に築かれた江戸時代の城跡。標高約二四メートル、前面の沖積地との比高は約二〇メートルの平山城。明石藩の政庁。元和三年(一六一七)七月信濃国深志
明石城下(日本歴史地名大系)
明石川河口に近い東岸の洪積台地(通称人丸山)上に築かれた明石城を扇の要とし、その南方に広がる明石海峡に至る東西約一二〇〇メートル・南北約七〇〇メートルの地域に開かれた城下町。〔城下町の成立と発展〕元和三年(一六一七)明石に入部して
彦根城(国史大辞典・日本大百科全書・日本歴史地名大系)
滋賀県彦根市金亀町・尾末町にある城。平山城。関ヶ原の戦ののち徳川家康の臣井伊直政は近江の石田三成の旧領十八万石を与えられて佐和山城に入った。直政の男直勝は慶長八年(一六〇三)に新城造営の工を起し、同九年に佐和山城から移転した
松本城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
長野県松本市丸の内にある城。平城。松本平の中央部にあたる当地は古くは深志といわれ、また延暦年間(七八二―八〇六)に信濃国府が上田からこの地に移された後は府中とも呼ばれた。国府所在時代には在庁官人犬甘氏の居館が置かれていたものと思われるが
犬山城(日本歴史地名大系)
[現]犬山市犬山 北古券木曾川に北面する標高八〇メートルの丘陵にある。名古屋城より直線にして約二二キロの地点。別名白帝城。天守閣は国宝。文明元年(一四六九)五月、管領斯波義郷の家臣織田広近が木ノ下村(現在地より約一キロ東南)に初めて城を築いた
松江城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
松江市殿町に中心部のある城。別称千鳥城。平山城。主要部のある丘陵はもと極楽寺山または亀田山と呼ばれ、戦国時代には富田城主尼子氏の出城である末次城があった。天文十二年(一五四三)に大内義隆が出雲に侵入した際、大内軍の一隊が当城を占拠し富田城攻撃拠点
松山城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
(一)松山市丸之内および堀之内に中心部のある城。平山城。松山平野の中央に位置する勝山(標高一三二メートル)は室町時代ごろまでは味酒山と呼ばれた。南北朝時代に伊予の南朝方が、北朝方で湯築城を居城としていた河野氏を攻略するに際して
高知城(日本歴史地名大系・国史大辞典)
[現]高知市丸ノ内一丁目高知城下中央やや北西寄りにある大高坂(おおだかさ)山(高知山)に築かれた平山城形式の城。土佐藩主山内氏の居城。大高坂城とも鷹城ともよばれる。国指定史跡。南北朝時代、南朝方として活躍した大高坂松王丸の居城のあった地
宇和島城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
愛媛県宇和島市にある城。平山城。戦国時代に板島丸串城と呼ばれ、やがて来村(くのむら)西園寺氏の居城となった。西園寺氏滅亡の後、藤堂高虎が宇和郡を領有し、慶長元年(一五九六)から築城の工を起した。約六年の後、城郭がほぼ完備するに至った
平戸城(国史大辞典)
長崎県平戸市岩の上町所在。亀岡城・朝日岳城・玄武城ともいう。平山城。平戸藩主松浦氏の居城。宝永四年(一七〇七)松浦棟が築城、以後明治維新に至る。実はこれ以前、同地には慶長年間築城の日之岳城があった。しかし、これは慶長十八年(一六一三)
岸和田城(国史大辞典・日本歴史地名大系)
大阪府岸和田市岸城町にあった。縄張りが滕(ちぎり)に似ているところから別称を千亀利城という。本丸・二ノ丸・三ノ丸と総曲輪からなる臨海の平城で、総面積約七万二千坪。建武年間(一三三四―三八)楠木正成に属した和田新兵衛高家が構えたのがはじまり
1
ジャパンナレッジは約1500冊以上(総額600万円)の膨大な辞書・事典などが使い放題のオンライン辞書・事典・叢書サービス。
日本国内のみならず、海外の有名大学から図書館まで、多くの機関で利用されています。
利用料金・収録辞事典・会員登録はこちら