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ジャパンナレッジで閲覧できる『姫路城』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

日本大百科全書(ニッポニカ)

姫路城
ひめじじょう

南北朝期~江戸期の城。兵庫県姫路市本(ほん)町にあり、白鷺(しらさぎ/はくろ)城ともよばれる。姫路平野の中央、高さ45メートルの姫山を本丸とした平山城(ひらやまじろ)の典型である。城の歴史は古く、1331年(元弘1)の元弘(げんこう)の乱のとき、播磨(はりま)守護赤松則村(あかまつのりむら)が陣を構えたのに始まり、1346年(正平1・貞和2)則村の子貞範(さだのり)が築城したと伝えられる。赤松氏は目代(もくだい)として小寺(こでら)氏を置いてこの城を守らせた。嘉吉(かきつ)の乱(1441)後、一時山名持豊(やまなもちとよ)(宗全(そうぜん))が入ったこともあるが、1545年(天文14)小寺氏が御著(ごちゃく)城に移ってからは、その臣黒田氏が拠(よ)っていた。1580年(天正8)に羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀吉が毛利(もうり)氏との戦いの拠点として本格的に改修し、三層の天守閣を築いた。これが現在の姫路城の始めである。天守閣解体修理のとき、現在の大天守の石垣の中から一回り小さい石垣が発見され、秀吉時代の天守閣が同じ位置にあったことが確認されている。しかし、今日みるような建物が建てられ、現在のような規模に拡張されたのはもうすこしあとで、1600年(慶長5)池田輝政(てるまさ)が姫路に入ってからであった。輝政は徳川家康の女婿ということもあり、播磨のほかに備前(びぜん)、淡路(あわじ)を領する大々名として本格的な近世城郭に大改修することを計画した。入封の翌1601年に着工し、9年の歳月をかけて完成したものである。城の曲輪(くるわ)配置は本丸、二の丸、三の丸、西の丸などからなり、内郭、中郭にそれぞれ堀を巡らして螺旋(らせん)形に配しているのが特徴といえる。天守閣をはじめ櫓(やぐら)、門など往時の建造物がほとんど残っており、日本一の城郭遺構で、築城技術がもっとも進歩した慶長(けいちょう)時代の逸品といえる。天守閣の完成したのは1609年で、そのあと1617年(元和3)に池田光政(みつまさ)が鳥取へ転封し、桑名(くわな)より本多忠政(ほんだただまさ)が入り、さらに松平(奥平)、松平(結城(ゆうき))、榊原(さかきばら)、松平(結城)、本多、榊原、松平(結城)と入れ替わり、1749年(寛延2)酒井忠恭(ただずみ)が前橋より転封され、以後明治維新まで世襲した。
姫路城の建造物は、わが国にある城の建造物としては群を抜いて多く、国宝として大小天守4棟と渡櫓(わたりやぐら)4棟、重要文化財として櫓16棟、渡櫓11棟、門15棟、塀32棟がそれぞれ指定を受けている。天守閣は連立式で、大天守、西小天守、乾(いぬい)小天守、東小天守の大小四つからなり、とくに大天守は、高さが33メートルにも及び、外観5層、内部7階の大規模なもので、現存天守としては最大規模を誇っている。国宝および重要文化財として指定されているものに、折廻(おりまわし)櫓、井郭(いぐるわ)櫓、帯の櫓、帯郭(おびぐるわ)櫓、太鼓櫓、化粧櫓のほか、イロハの記号がつけられた渡櫓および櫓があり、また、二の丸大手門である菱(ひし)の門をはじめ、いろはの記号がつけられた門もたくさんある。そのうち、「るの門」はトンネル式の埋門(うずみもん)である。
西の丸にある通称「百間廊下」は、他の城にみられない独特のもので、化粧櫓を起点とし、ヌ、ル、ヲ、ワの櫓と、カ、ヨ、タ、レの渡櫓を連ねたもので、単なる廊下ではなく、廊下の内側に20余の部屋ができているのが特徴である。1993年(平成5)、姫路城は世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[小和田哲男]


姫路城の平面図[百科マルチメディア]
姫路城の平面図[百科マルチメディア]
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検索コンテンツ
1. 姫路城
日本大百科全書
秀吉が毛利(もうり)氏との戦いの拠点として本格的に改修し、三層の天守閣を築いた。これが現在の姫路城の始めである。天守閣解体修理のとき、現在の大天守の石垣の中から ...
2. 姫路城[百科マルチメディア]
日本大百科全書
現在の姿になった。白亜の総塗籠(そうぬりごめ)で、白鷺城(しらさぎじょう)の別名をもつ。国宝 世界文化遺産「姫路城」(1993年登録) 兵庫県姫路市  ...
3. 姫路城
世界大百科事典
兵庫県姫路市本町の姫山にある城郭。天守,櫓などの建築群を今に遺すことで名高い。国宝で,1993年世界文化遺産に登録された。起源は1346年(正平1・貞和2)赤松 ...
4. ひめじ‐じょう【姫路城】地図
デジタル大辞泉
兵庫県姫路市にある城。正平元年=貞和2年(1346)赤松貞範が築城。のち、豊臣秀吉が改築し、さらに慶長5年(1600)入城した池田輝政が修築して現在の規模となっ ...
5. ひめじ‐じょう[ひめぢジャウ]【姫路城】
日本国語大辞典
兵庫県姫路市にある平山城。正平元年(一三四六)ごろ赤松貞範が創築。慶長六年(一六〇一)池田輝政が入封、同年着工、同一四年完成。のち本多・松平・榊原・酒井氏らが入 ...
6. ひめじじょう【姫路城】
国史大辞典
ぐるしく変わる中で姫路城主の交代も頻繁であったが、天文十四年(一五四五)に至り小寺氏の家老黒田重隆が当城に入った。重隆の孫孝高は御着城主小寺政職から小寺姓を与え ...
7. Himeji Castle 【姫路城】
Encyclopedia of Japan
Castle located in the city of Himeji, Hyogo Prefecture; also known as Shirasagi  ...
8. 姫路城 1[別刷図版]
国史大辞典
幸いにして姫路城には被害が及ばなかった。戦後、昭和31年に軍用地で占められていた中堀以内の地が国の特別史跡に指定され、現在、姫路城周辺整備の事業が進められている ...
9. 姫路城 10[別刷図版]
国史大辞典
姫路城の建築(2) 姫路城は国宝の天守群ばかりでなく、数多くの城郭施設を往時の姿そのままに伝え残している。これらの内、門15棟・櫓27棟・土塀32棟が国指定の重 ...
10. 姫路城 11[別刷図版]
国史大辞典
29 化粧櫓と西ノ丸諸櫓 重要文化財 池田氏のあと城主となった本多忠政の嫡子忠刻(ただとき)には千姫が再嫁しており、西ノ丸は忠政の手により忠刻夫妻のために整備さ ...
11. 姫路城 12[別刷図版]
国史大辞典
姫路城の修理 姫路城の天守群は、江戸時代以来しばしば立水改を行い、補強工事を繰り返して維持されてきた。中でも昭和30年(1955)代の大修理の際には、綿密な調査 ...
12. 姫路城 2[別刷図版]
国史大辞典
2 姫路城下絵図 兵庫県立歴史博物館所蔵 19世紀初頭の酒井氏城主時代の姫路城下の全貌を、全13色で土地利用の分類を施し、隣接する郊外の様子までも詳細に描いた絵 ...
13. 姫路城 3[別刷図版]
国史大辞典
。したがって、姫路城の本格的な築城は、16世紀後半の黒田氏城主時代以降のこととされ、姫路城のとらえ方も、この前後で差異が生じている。黒田氏のあと羽柴氏・木下氏の ...
14. 姫路城 4[別刷図版]
国史大辞典
5 姫路城内図 姫路市教育委員会所蔵 18世紀初期の第二次榊原氏城主時代の姫路城内を描いた絵図。姫路城の内曲輪(内堀以内の地)は約4町四方の規模をもち、天守を中 ...
15. 姫路城 5[別刷図版]
国史大辞典
姫路城の転用石 姫路城の石垣や門の礎石の中には、ほかより転用された数多くの石造遺品が見られる。その種類は古墳出土の石棺(図6・7)をはじめ、燈籠(図8)・宝篋印 ...
16. 姫路城 6[別刷図版]
国史大辞典
姫路城の石垣 築城に際して石垣が採用されたことは、近世城郭が出現する流れの中で一つの画期となった。これにより自然地形の制約をある程度克服しつつ、城郭は恒常施設と ...
17. 姫路城 7[別刷図版]
国史大辞典
姫路城の歴史(2) 関ヶ原の戦後、慶長5年(1600)に播磨国を与えられた池田輝政は、姫路城改造に着手し、同時に在地の有力者を掌握しながら新封地の経営を進めてい ...
18. 姫路城 8[別刷図版]
国史大辞典
姫路城の建築(1) 姫路城の天守群は、池田輝政によって慶長13年(1608)から14年にかけて築かれた。大天守1棟と小天守3棟をおのおの渡櫓でつないで、高く堅固 ...
19. 姫路城 9[別刷図版]
国史大辞典
大工幾蔵姫路城図 文政6年(1823) 姫路市立図書館所蔵 姫路城下の竜野町5丁目に住む大工源助の息子幾蔵が、文政6年の17歳の時に諸城門や内曲輪の景観などを描 ...
20. ひめじじょうあと【姫路城跡】兵庫県:姫路市/姫路城下
日本歴史地名大系
財、内曲輪一帯と中曲輪の一部が国の特別史跡に指定され、平成五年(一九九三)姫路城は世界の文化遺産に登録された。〔姫路城の前身〕最初の築城者については赤松円心説や ...
21. ひめじじょうか【姫路城下】兵庫県:姫路市
日本歴史地名大系
姫路藩主池田氏(五二万石)が建設した姫路城の城下町。慶長六年(一六〇一)池田輝政が姫山での築城に取りかかり、同時に城下の町割にも着手、江戸時代の姫路城下町の原型 ...
22. 姫路城の平面図[百科マルチメディア]
日本大百科全書
〓Shogakukan ...
24. あいおいし【相生市】兵庫県
日本歴史地名大系
国知行割覚」那波家文書)。宇喜多氏は関ヶ原合戦で西軍にくみし断絶、慶長五年(一六〇〇)一〇月姫路城主池田輝政領となり、市域は支城赤穂城に入った弟の長政(二万二千 ...
25. あいおいちょう【相生町】兵庫県:姫路市/姫路城下
日本歴史地名大系
に疑問があるが、貞享元年(一六八四)の姫路城下町大概(中根家文書)に町名がみえることから、一七世紀後半には存在していたことが確認できる。宝永八年の姫路城下図では ...
26. あかしぐん【明石郡】兵庫県:播磨国
日本歴史地名大系
〔近世〕天正八年の三木合戦ののち羽柴秀吉の支配下に入る。同年羽柴秀吉、同一一年には羽柴長秀(秀長)が姫路城主となり播磨を支配した。秀吉の同八年の検地では一一七ヵ ...
27. あかしし【明石市】兵庫県
日本歴史地名大系
その後明石は豊臣氏の直轄領となり、関ヶ原合戦後播磨国の大守として池田輝政が封じられると、船上城は姫路城の支城とされた。元和三年(一六一七)池田氏が因幡国鳥取に転 ...
28. あかしじょう【明石城】
国史大辞典
拝領して明石へ入部した小笠原忠真が、翌年、二代将軍徳川秀忠の命をうけて築いたもので、工事の監督には岳父の姫路城主本多忠政があたった。兵法家として名高い宮本武蔵、 ...
29. あかしはん【明石藩】
国史大辞典
播磨国(兵庫県)明石を藩庁とした藩。元和三年(一六一七)、もと姫路城主池田光政(外様・城持)の所領のうちから、三木・明石両郡に加東・加古両郡の一部を加えた十万 ...
30. 赤穂(市)
日本大百科全書
(うきたひでいえ)が家臣の津浪法印に統治させ、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に姫路城主池田輝政(てるまさ)の弟長政が一重の城を築く。1645年(正 ...
31. あこうぐん【赤穂郡】兵庫県
日本歴史地名大系
中守に知行割している(「播磨国知行割覚」那波家文書)。宇喜多氏失脚後の慶長五年(一六〇〇)に姫路城主池田輝政五二万石領となり、支城赤穂城(掻上城)が築かれ、池田 ...
32. あこうし【赤穂市】兵庫県
日本歴史地名大系
同一六年より備前岡山城主宇喜多秀家領となる(「赤穂郡守護地頭代々覚」佐方家文書)。慶長五年(一六〇〇)姫路城(藩)主池田輝政領(寛政重修諸家譜)、同一八年備前岡 ...
33. あこうじょうあと【赤穂城跡】兵庫県:赤穂市/赤穂城下
日本歴史地名大系
防備堅固・交通至便のデルタに立地する。〔池田氏の時代〕慶長五年(一六〇〇)播磨一国を領有した姫路城主池田輝政の末弟池田長政が、支城として「一重ノ掻上城、堀、石垣 ...
34. あこうじょうか【赤穂城下】兵庫県:赤穂市
日本歴史地名大系
千六五四石余、塩浜三八町七反余。牛一一、船七九。〔池田氏時代〕慶長五年(一六〇〇)播磨一国が姫路城主池田輝政領となり、当地には末弟池田長政が配され、掻上城が築か ...
35. あこう-よすけ【阿江与助】
日本人名大辞典
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36. 安土桃山時代
世界大百科事典
郭的な庭園建築である。築城は17世紀初頭(慶長10年代)からいっそう盛んになった。名古屋城,姫路城,彦根城,高田城などは,外壁が白く塗られ,門の内部にも枡形を設 ...
37. 安土桃山時代美術
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38. あぼし【網干】兵庫県:姫路市/旧揖保郡地区
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39. 尼崎藩
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40. あまつじんじゃ【天津神社】兵庫県:美嚢郡/吉川町/宮村
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41. アメリカ彦蔵自伝 2 287ページ
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42. あらみまち【新身町】兵庫県:姫路市/姫路城下
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46. いくのだいかんしょあと【生野代官所跡】兵庫県:朝来郡/生野町/生野銀山町/口銀屋町
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47. いくのまち【生野町】兵庫県:姫路市/姫路城下
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48. 池田氏
世界大百科事典
継いだ次男輝政(継室は家康次女富子)は岐阜,吉田などの城主となり,関ヶ原の戦の功でついに播磨国姫路城主(52万石)となった。やがて輝政の次男忠継に備前一国約28 ...
49. いけだし【池田氏】
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賞賜されて姫路に在城し、江戸幕府のもとで有力な大名となるに至った。 (一)備前国岡山藩主 輝政が姫路城主となった後、慶長八年(一六〇三)次男忠継に備前二十八万 ...
50. 池田輝政
日本大百科全書
関ヶ原の戦いでは家康に味方し、その戦功で播磨(はりま)(兵庫県)52万石を領し池田氏に復す。姫路城を大改築し、藩政の基礎を固め、「西国の将軍」とうたわれた。慶長 ...
「姫路城」の情報だけではなく、「姫路城」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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