高知県の代表的なお座敷唄(うた)。民謡というより俗謡に近く、唄の文句の最後の囃子詞(はやしことば)をとって曲名にしている。この唄の起源にはさまざまな説がある。1601年(慶長6)領主となる山内一豊(やまうちかずとよ)が入国して高知城を築くとき、工事現場の人足たちの歌った木遣(きやり)唄だという説。江戸中期の正徳(しょうとく)年間(1711~16)から諸国ではやった『江島節』が土佐に伝わり、『よさこい節』に変化したという説。九州の薩摩(さつま)半島で歌われていた唄が鰹(かつお)漁の漁師たちにより当地に運ばれたという説などである。いずれにしても『よさこい節』の旋律が前々からあり、これに、江戸末期の1855年(安政2)竹林寺の脇坊(わきぼう)妙高寺の僧純信と鋳掛(いかけ)屋の娘お馬のかけおち事件の話も歌詞に入れて、今日の形になったもの。なお、高知市で1956年(昭和31)以来、8月10日を中心に行われる「よさこい祭」では、これに四つ竹の踊りを加えてアレンジされた『よさこい鳴子踊唄』が歌い踊られる。
高知県の代表的な民謡。江戸時代から歌われているが,起源には諸説ある。代表的な歌詞の〈土佐の高知の播磨屋橋で,坊さん簪(かんざし)買うを見た〉と歌われるのは,1855年(安政2)竹林寺(ちくりんじ)南坊の僧純信(順心)が鋳掛屋(いかけや)信平の娘お馬に懸想し,寺の品物を持ち出して与えていたが,あるとき,播磨屋橋の小間物屋でサンゴ(珊瑚)の簪を買っているところを見つかり,情事と不正が明るみに出て,2人とも追放になったという事件を歌ったものという。囃子詞の〈よさこい〉は〈夜さり来い〉からともいう。
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