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  10. 渡月橋
日本歴史地名大系

日本歴史地名大系
渡月橋
とげつきよう

かつら(大堰川・保津川)に架かる橋で、らん橋ともいう。承和三年(八三六)に僧道昌によって大堰おおい川の修築が行われたが(弘法大師弟子伝)、その時架設されたのに始まるともいう。橋の南に法輪寺があったため法輪寺橋・法輪橋の名もあり、「百錬抄」貞応二年(一二二三)一〇月一六日条に「法輪寺橋供養也」とみえる。また大橋・御幸橋の名もあったといわれ、のち亀山上皇が、くまなき月の渡るに似るとして渡月橋と命名したという。北岸の天龍寺門前(現右京区)一帯を古代橋頭はしもと(和名抄)と記すのもこの橋によるものであろう。「源平盛衰記」巻三九にいう建礼門院の雑仕横笛が「大堰川の早瀬、御幸の橋の本に行き」、入水したというのもこの橋である。往時の橋は現在の場所より一〇〇メートルほど上流にあったとされており、応永三三年(一四二六)臨川りんせん(現右京区)住持の月渓中珊が作図した応永鈞命図(天龍寺蔵)でも、現在地よりかなり上流に描かれ、丹朱で塗った壮麗なものであったらしい。

しかし応仁の乱では細川勝元の被官筒井光宣の軍と西軍畠山義就が法輪寺橋で戦ったらしく、「大乗院寺社雑事記」応仁元年三月一五日条に「昨日成身院被官人済々於嵯峨法輪寺橋被打了」とある。このとき橋は落ち、文明一一年(一四七九)に勧進を行って再架したが、その折の「西山度月橋勧進疎」に

王城西有〓山、曰〓嵯峨〓、河出〓于山間〓而注〓于其東〓者、大井長橋臥〓其上〓、名旦〓度月〓、乃天下第一山天龍禅寺十境之甲者也、丁亥(応仁元)歳戎馬起〓洛、賊兵略〓地、至〓此仏宇僧盧燬而尽〓之、而橋亦断〓〓〓

とある。この架橋後も出水によりしばしば破損流失したが、慶長一一年角倉了以が大堰川の上流保津ほづ川の開削工事を行った際、現在の場所に架替えた。その後天和三年(一六八三)法輪寺から天龍寺に、仮橋の架設、洪水の際の天龍寺加勢について次のような覚書が送られている。

一、大井川渡月橋之事、天龍寺領内紛無之候処虚空蔵為参詣以許容、従法輪寺仮橋掛申候、洪水之節者、従天龍寺余力御加可希に候、仍而為御証、如件
天和三亥年九月十九日
法輪寺(黒印・花押)
天龍寺役者中

また一方では、大堰川を筏が流下することによって橋の損傷が多くなり、筏荷主である産地商人と嵯峨材木商人が橋杭修復の費用を負担するようになった。

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検索コンテンツ
1. 渡月橋画像
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3. とげつ‐きょう[‥ケウ]【渡月橋】
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4. とげつきょう【渡月橋】京都市:右京区/天龍寺門前村地図
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とみえる。また大橋・御幸橋の名もあったといわれ、のち亀山上皇が、くまなき月の渡るに似るとして渡月橋と命名したという。北岸の天龍寺門前(現右京区)一帯を古代橋頭郷 ...
5. 渡月橋(とげつきょう)
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6. 歌川広重『六十余州名所図会 山城 あらし山渡月橋』[百科マルチメディア]画像
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7. 御幸橋(ごこうばし)[渡月橋]
古事類苑
地部 洋巻 第3巻 214ページ ...
8. 嵐山(京都市)画像
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通じて風光に優れ、国指定の史跡・名勝として、観光客が絶えない。渡月橋は長さ154メートル、嵐山の優美な山容と大堰川の清流を展望できる。渡月橋から上流の大堰川右岸 ...
9. 嵐山[百科マルチメディア]画像
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10. 嵐山
世界大百科事典
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11. あらしやま【嵐山】
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安置している。その東に法輪寺があって「十三まいり」の名で親しまれている。麓には大堰川に架けられた渡月橋があり、それを渡った北に天竜寺がある。嵐山は天竜寺領で、天 ...
12. あらしやま【嵐山】京都市:西京区/上山田村地図
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13. いかだあらためしょあと【筏改所跡】京都市:右京区/天龍寺門前村地図
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14. いちだにじんじゃ【櫟谷神社】京都市:西京区/上山田村地図
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15. 栄花物語 357ページ
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16. おうぎながし【扇流】
国史大辞典
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17. おおい‐がわ[おほゐがは]【大井川・大堰川】
日本国語大辞典
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18. 大堰川
世界大百科事典
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19. おおいがわ【大堰川】
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20. おおいがわ【大堰川】京都市:右京区/天龍寺門前村地図
日本歴史地名大系
保津川の下流、嵯峨(北岸)・松尾(南岸)を流れる辺り、嵐山の麓、渡月橋の付近をいう。今日ではこの川全体を桂川とよぶが、かつてはこの下流、桂辺りからを桂川といった ...
21. おしま【雄島】宮城県:宮城郡/松島町/松島村
日本歴史地名大系
東四〇〇メートル、小松崎の東に浮ぶ南北二〇〇メートル、東西五〇メートルくらいの小島で、朱塗の渡月橋とよばれる橋で陸とつながっている。もと千松島とよばれ、松島の地 ...
22. お‐じま[を‥]【雄島】
日本国語大辞典
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23. 改訂 京都民俗志 119ページ
東洋文庫
の立石がある。伝説によると、西行がこの石を鏡として落飾したのであるという。 その他、嵯峨嵐山渡月橋畔の櫟谷宗像社に鏡石があったことが百錬抄に見え、西山大原野の三 ...
24. 改訂 京都民俗志 133ページ
東洋文庫
のうわさがあったので、忍び出て桜に衣をかけ投身した由が洛陽名所集巻十一などに見える。嵯峨嵐山渡月橋の一一〇メートルばかり上に小督塚と伝えるものはあるが、傍にあっ ...
25. 甲子夜話三篇 4 226ページ
東洋文庫
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26. かつらがわ【桂川】京都市:総論地図
日本歴史地名大系
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27. かつらがわようすい【桂川用水】京都市:西京区
日本歴史地名大系
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28. かどのぐん【葛野郡】京都市:山城国(京都市域)郡郷
日本歴史地名大系
造ったことが知られる。これによって郡域を農耕可能地としたのである。その位置は不明であるが、桂川上流の渡月橋(現右京区)近辺と推定され、いまもこの付近の桂川を大堰 ...
29. かみやまだむら【上山田村】京都市:西京区地図
日本歴史地名大系
〉 村の北・東は桂川に面し、南は松室村、西は丹波国境に接する。村域の大部分は山間部であるが、渡月橋より東南の桂川右岸には四条街道が走り、中近世を通じ京郊の要衝の ...
30. 紀行・日記編(松尾芭蕉集) 95ページ
日本古典文学全集
名モ亦之ニ随フ」(古文真宝後集)。雄島の礒。自筆本・曾良本とも「小」と表記。歌枕。瑞巌寺の西南一余、渡月橋で陸に続いている島。曾良本「抑」と「松嶋」の間に入れる ...
31. 紀行・日記編(松尾芭蕉集) 96ページ
日本古典文学全集
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32. 紀行・日記編(松尾芭蕉集) 148ページ
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33. 近世俳句集 133ページ
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木枯。時雨と同季。『俳諧問答』『本朝文選』に中七「地にも落さぬ」として出る。臨川寺は京都の嵯峨渡月橋の東にある天竜寺派の寺。荷兮の「こがらしに二日の月のふきちる ...
34. 近世俳句集 172ページ
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川音や木槿さく戸はまだ起きず(北枝発句集)前書によって、嵯峨の渡月橋で詠んだ句ということがわかる。秋の早暁、大堰川にかかる渡月橋を渡って北嵯峨へ行こうとすると、 ...
35. 車折神社
日本大百科全書
得たと伝えられる。旧府社。同社の三船祭(みふねまつり)は、毎年5月第3日曜日に、嵐山(あらしやま)渡月橋(とげつきょう)上流で斎行され、平安時代の舟遊びを再現す ...
36. 好色一代男(井原西鶴集) 101ページ
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ぬれては袖の色やかはると」(続千載)による。雄島は松島群島の一つで、松島湾の西岸に近い小松崎から渡月橋を架す。「我が袖は汐干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾くまも ...
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39. こうらくえん【後楽園】 : 後楽園/(二)
国史大辞典
(築山)・西湖があり、小日向上水を引き川面に小石をまき散らして大堰川とし、それにかかる土橋を渡月橋、樹間の敷石道を木曾路と呼ぶなど、日中両国の趣味を織りまぜたも ...
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42. しじょうかいどう【四条街道】京都市:西京区/上山田村
日本歴史地名大系
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43. しもしゅぜんじむら【下修善寺村】静岡県:田方郡/修善寺町
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45. せんこうじ【千光寺】京都市:西京区/上山田村地図
日本歴史地名大系
[現]西京区嵐山中尾下町 渡月橋より約一キロ上流、眼下に千鳥ヶ淵を見下ろす桂川(保津川)南岸、嵐山の元録山中腹に位置する。嵐山大悲閣の号で一般に知られる。初め天 ...
46. 太平記 174ページ
日本古典文学全集
京都市右京区嵯峨の嵐山の麓を流れる大堰川。丹波山地を水源とし、亀岡盆地から下流は保津川、嵐山を前にした渡月橋からは桂川と呼ばれ、淀川に合流する。『白氏文集』巻四 ...
47. 太平記 416ページ
日本古典文学全集
峰堂の東で、桂川の対岸が西梅津。葛野郡上山田(西京区嵐山中尾下町)にある古義真言宗の法輪寺。嵯峨の渡月橋の南にあり、広隆寺に属し、本尊の名により虚空蔵ともいう。 ...
48. 太平記 163ページ
日本古典文学全集
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49. 太平記 27ページ
日本古典文学全集
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50. だいひ‐かく【大悲閣】
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とある、額かけた惣門の脇に待かけ」*都名所図会〔1780〕四「大悲閣はあらし山の麓に道ありて渡月橋より七町ばかり西なり」 ...
「渡月橋」の情報だけではなく、「渡月橋」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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[現]上京区堀川下之町堀川の一条大路に架かる橋。古代・中世を通じて京域の境とされ、また橋占を行う場所として多くの伝承を生んだ。「権記」長徳四年(九九八)一二月二五日条に「自〓上東門〓東行、至〓万里路〓更北行、自〓戻橋路〓、出〓鴨下御社西堤下〓」とあるのが初見。
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