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  11. 釜石製鉄所

釜石製鉄所

ジャパンナレッジで閲覧できる『釜石製鉄所』の日本歴史地名大系のサンプルページ

日本歴史地名大系
釜石製鉄所
かまいしせいてつじよ

[現]釜石市鈴子町

西に食込む釜石湾奥の西岸に位置する。明治七年(一八七四)二月、工部省工部卿伊藤博文の「陸中国閉伊郡に熔鉱炉を設置」の発議に基づき、同年五月工部省鉱山寮釜石支庁が置かれ、橋野はしの大橋おおはし栗林くりばやし佐比内さひない(現遠野市)の鉱山が官営に移管、翌八年一月工場建設に着手した。工場の設置場所は国の鉱山方係官大島高任の大只越おおただこえ(現只越町・大町・港町)案と、ドイツ人技師ルイス・ビャンヒーの鈴子すずこ案の二つがあったが、ビャンヒーの意見が採用された。「管轄地誌」によると鉱山分局鎔鉄場地坪七万四三四坪。工場施設は溶鉱炉から諸機械・赤煉瓦にいたるまですべてイギリスより購入した。当初のおもな設備は製銑工場ではスコットランド型二五七高炉二基・熱風炉三基・送風機一基・汽缶三基。錬鉄工場では錬鉄炉一二基・再熱炉七基・汽槌二基・圧延機五基・鍛鉄機一基など。お雇い外人はイギリス人一三人とドイツ人三人。ほかに付属設備として湾奥の港に桟橋を設置。工場と大橋鉱山・小川山こがわやま製炭所および桟橋の間に鉄道を敷設した。これらの総工費は約二五〇万円であった。

明治一三年九月高炉に火入れが行われた。一日約七トンの銑鉄を生産したが、木炭消費量が一日一万貫にもなって燃料枯渇に陥り、操業わずか九七日で製錬中止となる。その後木炭の大量準備とコークス製造などを行い、同一五年三月操業を再開するがこれも失敗し、同一六年廃止と決定。官営釜石製鉄所は操業延べ日数二九三日で終わる。同一七年田中長兵衛が諸施設の払下げを受け、釜石鉱山田中製鉄所として事業を継続した。幾度か失敗を繰返しながらついに同一九年一〇月一六日成功、以降この日を起業記念日として山神やまがみ社の大祭を行っている。大正一三年(一九二四)三井鉱山株式会社に経営権を譲渡し、釜石鉱山株式会社となる。昭和八年(一九三三)日本製鉄株式会社法公布、翌九年半官半民の日本製鉄株式会社が創立され、釜石鉱山もこれに参加した。同二〇年七月、八月の二度にわたる艦砲射撃でほとんど壊滅的な被害を受けた。同二五年過度経済力集中排除法によって日本製鉄は分割され、釜石製鉄所は北海道室蘭むろらん輪西わにし・兵庫県姫路ひめじ広畑ひろはたなどの製鉄所とともに富士製鉄株式会社釜石工場として再出発した(釜石製鉄所八十年史・釜石市誌)。富士製鉄は同四五年八幡製鉄株式会社と合併して新日本製鉄株式会社となった。平成元年(一九八九)三月二五日、これまでの銑鋼一貫体制から線材部門を軸とする体制に変わり、複合経営に向けての試みが続けられている。

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釜石製鉄所の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 36
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検索コンテンツ
1. 釜石製鉄所画像
日本大百科全書
日本最初の近代的製鉄所。現在の新日鉄住金釜石製鉄所の前身。1857年(安政4)大島高任(たかとう)が日本初の洋式高炉(日産約2トン)の火入れに成功したのに始まる
2. かまいしせいてつじょ【釜石製鉄所】
国史大辞典
、富士製鉄株式会社釜石製鉄所となり、現在は新日本製鉄株式会社釜石製鉄所。 [参考文献]森嘉兵衛・板橋源『近代鉄産業の成立―釜石製鉄所前史―』、富士製鉄株式会社編
3. かまいしせいてつじょ【釜石製鉄所】岩手県:釜石市/釜石村
日本歴史地名大系
中排除法によって日本製鉄は分割され、釜石製鉄所は北海道室蘭市輪西・兵庫県姫路市広畑などの製鉄所とともに富士製鉄株式会社釜石工場として再出発した(釜石製鉄所八十年
4. 岩手(県)画像
日本大百科全書
国道4号、東北自動車道沿いに分布し、太平洋セメント大船渡工場やかつての隆盛をきわめた新日鉄住金釜石製鉄所に代表される原料立地型に対し、労働力指向型の立地動向がみ
5. 岩手[県]画像
世界大百科事典
鉄鉱石を原料として開始された製鉄業であった。その後,製糸業が衰退し,釜名鉱山は93年終掘,釜石製鉄所(1970年より新日本製鉄)も相次ぐ合理化によって,往年の活
6. いわてけん【岩手県】
国史大辞典
ている。主産業は米作を中心とする農業および畜産業であるが、硫黄鉱業(松尾鉱業所)・製鉄業(釜石製鉄所)も行われている。また近年、奥羽山脈北部と北上山地にまたがる
7. 大島高任画像
日本大百科全書
る。南部藩の産業開発や技術教育の実践面でも優れた業績を残したが、1874年(明治7)工部省釜石製鉄所の立地に関し、外国技術を偏重する政府官僚にいれられず、その後
8. かっしむら【甲子村】岩手県:釜石市
日本歴史地名大系
同一三年には小川―鈴子間に運搬用鉄道が敷設された。当村の山林面積四千町歩、一日製炭量一万貫(釜石製鉄所八十年史)。鉱業は、元文元年には小川金銀山の試掘があり(大
9. 釜石(市)画像
日本大百科全書
岩手県南東部、陸中海岸釜石湾に臨む市。釜石製鉄所を中心とする市。1937年(昭和12)市制施行。1955年(昭和30)甲子(かっし)、鵜住居(うのすまい)、栗橋
10. 釜石[市]
世界大百科事典
大橋に建設,日本で最初の近代製鉄法による鉱石精錬に成功し近代製鉄発祥の地となった。1874年官営釜石製鉄所が鈴子(新日鉄釜石製鉄所のある場所)に設けられて以来,
11. かまいし【釜石】
国史大辞典
釜石は近代鉄産業のメッカとなった。明治七年(一八七四)官業釜石製鉄所がつくられ、その後民営となり、いくたの消長を経て現在の新日本製鉄株式会社釜石製鉄所になってい
12. かまいしこうざん【釜石鉱山】岩手県:釜石市/甲子村
日本歴史地名大系
寮釜石支庁が置かれ、大橋・橋野・栗林、佐比内(現遠野市)の諸鉱山を官営に移し、釜石村鈴子に釜石製鉄所を建設して操業に移るが、製鉄事業の失敗などによって廃山となっ
13. かまいしこうざんけいべんてつどう【釜石鉱山軽便鉄道】岩手県:釜石市
日本歴史地名大系
工部省釜石鉄道撤去のあと、新会社田中製鉄所によって大橋鉱山―釜石製鉄所間に敷かれた鉄道。俗に社線とよばれた。釜石及び仙人鉄山巡視報告に「唯惜むらくは、既設の運搬
14. かまいしし【釜石市】岩手県
日本歴史地名大系
壊三千一一〇・罹災世帯数四千五四三で、釜石製鉄所の被害は施設の九〇パーセントに達した。市の経済は魚と鉄に依存してきたが、粗鋼・鋼材を生産していた釜石製鉄所は昭和
15. かまいしみなと【釜石湊】岩手県:釜石市/釜石村
日本歴史地名大系
海岸桟橋は長さ八二〇フィート・幅二三フィート、船舶は常に一三フィートの喫水を保ち、海陸運搬の要となった(釜石製鉄所八十年史)。大正七年(一九一八)南北二基の桟橋
16. かまいしむら【釜石村】岩手県:釜石市
日本歴史地名大系
などを備えた官営製鉄所が建設された。江戸時代の紙本両鉄鉱山御山内並高炉之図二巻が新日本製鉄釜石製鉄所に所蔵され、県指定文化財。石応禅寺は釜石湾北岸の大只越の山麓
17. 釜石湾
日本大百科全書
広さ約4平方キロメートル。湾奥部の鎌崎によって、北の釜石港と南の平田港に分かれる。湾岸には釜石製鉄所の6万トン岸壁、税関、県水産技術センターや魚市場などがある。
18. こうぶしょう【工部省】画像
国史大辞典
もに、欠損が累積したが、そのことが、のちの官業払下げの一要因となる。また、赤羽工作分局が、釜石製鉄所から鉄材の提供をうけて、官営横須賀造船所に機械類を供給してい
19. こうぶしょうかまいしてつどう【工部省釜石鉄道】岩手県:釜石市
日本歴史地名大系
明治七年(一八七四)五月、工部省鉱山寮釜石支庁が設置され、釜石鉱山の開発、釜石製鉄所の建設に伴い、鉱石および燃料木炭の輸送のために敷設された鉄道。同八年鉄道寮の
20. 産業革命画像
世界大百科事典
軌道にのせ,日露戦後には一応銑鋼一貫体制を成立させた。それは,同じころ銑鋼一貫作業を開始した釜石製鉄所,日露戦争前後に設立され多くは軍官需と結びついた住友鋳鋼場
21. さんぎょうかくめい【産業革命】
国史大辞典
軌道にのせ、日露戦後にはいちおう銑鋼一貫体制を成立させた。それは、同じころ銑鋼一貫作業を開始した釜石製鉄所、多くは軍官需と結びついて日露戦争前後に設立された住友
22. しょだい【初代】 : 田中長兵衛/(一)
国史大辞典
た。明治十八年(一八八五)、旧薩摩藩士の大蔵卿松方正義との縁から、工部省による経営失敗後の釜石製鉄所の再興に着手、長男安太郎(二代長兵衛)・女婿横山久太郎ら田中
23. しんにほんせいてつがいしゃ【新日本製鉄会社】
国史大辞典
員会は五月七日両社に対し合併否認勧告を行なった。両社は勧告を拒否し審判に持ちこみ、富士製鉄釜石製鉄所の鉄道用レール製造設備を日本鋼管へ譲渡すること、八幡製鉄東田
24. じゅうこうぎょうぐんじこうぎょうてっこうぎょうぞうせんぎょう【重工業(軍事工業・鉄鋼業・造船業)】 : 産業革命/(二)
国史大辞典
軌道にのせ、日露戦後にはいちおう銑鋼一貫体制を成立させた。それは、同じころ銑鋼一貫作業を開始した釜石製鉄所、多くは軍官需と結びついて日露戦争前後に設立された住友
25. たなか-せいじ【田中清治】
日本人名大辞典
大正-昭和時代の金属工学者。明治25年12月5日生まれ。岩手県釜石の田中鉱山(のちの新日本製鉄釜石製鉄所)勤務をへて,大正11年母校東京帝大の助教授,昭和18年
26. たなかちょうべえ【田中長兵衛】
国史大辞典
た。明治十八年(一八八五)、旧薩摩藩士の大蔵卿松方正義との縁から、工部省による経営失敗後の釜石製鉄所の再興に着手、長男安太郎(二代長兵衛)・女婿横山久太郎ら田中
27. 鉄鋼業
日本大百科全書
られた。とくに製鉄所の数が多い新日本製鉄では、古い製鉄所における高炉の操業停止が相次いだ。釜石製鉄所(岩手県釜石市)の高炉操業の停止はその象徴であった。さらに、
28. 鉄鋼業
世界大百科事典
は創業以来初の黒字を計上した。 当時における銑鋼一貫経営は官営の八幡製鉄所のみであったが(釜石製鉄所も1903年に製鋼・圧延生産を開始するが銑鉄生産が主),民間
29. てつどう【鉄道】画像
国史大辞典
る鉄道以外に、開拓使の幌内鉄道(十三年十一月手宮―札幌間開業)があり、また釜石では、工部省釜石製鉄所の専用鉄道(明治十三年二月使用開始、十五年三月一日一般の利用
30. てつどうもうのせいびかくちょう【鉄道網の整備・拡張】 : 鉄道
国史大辞典
る鉄道以外に、開拓使の幌内鉄道(十三年十一月手宮―札幌間開業)があり、また釜石では、工部省釜石製鉄所の専用鉄道(明治十三年二月使用開始、十五年三月一日一般の利用
31. 日本科学史(年表)
日本大百科全書
蕃書調所と改称1857(安政4)大島高任、釜石に洋式高炉建造、翌年より銑鉄製造(木炭製鉄)を開始(釜石製鉄所)1861(文久1)長崎製鉄所完成(近代的重工業施設
32. はしのこうろあと【橋野高炉跡】岩手県:釜石市/橋野村
日本歴史地名大系
瀬川清兵衛によって経営、のち渋谷善兵衛に移り、明治二七年釜石鉱山田中製鉄所に買収された(「橋野鉄鉱山書上」釜石製鉄所八十年史)。製鉄高は明治初年に最も多く、明治
33. 横山久太郎[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:2件 【逐次刊行物】:0件 『横山久太郎翁伝』釜石製鉄所産業報国真道会(編)『近代日本鉄鋼業の始祖・横山久太郎』堀内正名
34. 1989年〈昭和64平成元(1・8) 己巳〉
日本史年表
与野党が リクルート疑惑 に関して中曾根前首相の証人喚問問題で対立。 3・25 新日本製鉄釜石製鉄所の溶鉱炉が閉鎖。 3・30 竹下首相が自民党幹事長時代の
35. ひと&こと 度重なる“左遷”跳ね返す 出色の新日鉄住金次期社長
週刊エコノミスト 2019-20
開くタイプ」「親分肌」と評される。 旧新日鉄入社後、米ハーバード大学へ留学こそしたものの、会社生活の前半は釜石製鉄所や日産自動車の担当などの国内畑が専らだった
「釜石製鉄所」の情報だけではなく、「釜石製鉄所」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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大念仏(日本国語大辞典)
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釜石製鉄所(日本歴史地名大系)
[現]釜石市鈴子町西に食込む釜石湾奥の西岸に位置する。明治七年(一八七四)二月、工部省工部卿伊藤博文の「陸中国閉伊郡に熔鉱炉を設置」の発議に基づき、同年五月工部省鉱山寮釜石支庁が置かれ、橋野・大橋・栗林、佐比内(現遠野市)の鉱山が官営に移管、翌八年一月工場建設に着手した
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