1. おおさか の 陣(じん)
日本国語大辞典
徳川家康が豊臣氏を攻め滅ぼした戦い。慶長一九年(一六一四)、家康は全国の大名を召集し、一一月に大坂城を攻囲(これを大坂冬の陣という)。翌月、外堀を埋める条件で和 ... ...
2. 大坂の陣 画像
日本大百科全書
1614年(慶長19)の冬および翌1615年の夏、徳川氏が豊臣(とよとみ)氏を攻め滅ぼした両度の戦いをいう。関ヶ原の戦いの勝利によって、徳川家康は事実上、天下の ... ...
3. 大坂の陣
世界大百科事典
江戸幕府が豊臣氏を大坂城に滅ぼした戦い。1614年(慶長19)の冬の陣と,翌年(元和1)の夏の陣とに分かれる。 原因 1598年,豊臣秀吉は当時6歳の秀頼を五大 ... ...
4. おおさか‐の‐じん【大坂の陣】
デジタル大辞泉
徳川家康が豊臣氏を滅ぼした戦い。慶長19年(1614)冬の戦いを大坂冬の陣、元和元年(1615)夏に再開された戦いを大坂夏の陣という。 ... ...
5. おおさかのじん【大坂の陣】 画像
国史大辞典
禁中并公家諸法度』『諸宗本山本寺諸法度』を公布して統制を一層強化し、幕府の基礎を固めた。 大坂の陣の関係史料をみるに、一般的経過については、家康側近後藤光次の ... ...
6. Ōsaka Castle, Sieges of 【大坂の陣】
Encyclopedia of Japan
Two campaigns in 1614 and 1615 in which Tokugawa Ieyasu destroyed Toyotomi Hidey ... ...
7. あいづそうどう【会津騒動】
国史大辞典
この明成と嘉明の重臣であった支城猪苗代城主堀主水との争いである。堀主水は、もと嘉明の児小性であったが、大坂の陣で嘉明を守り手柄をたてたので、その功により、堀氏を ... ...
8. あおき-しんべえ【青木新兵衛】
日本人名大辞典
慶長5年伊達政宗とたたかい,政宗の冑(かぶと)の半月をおったという。のち結城秀康(ゆうき-ひでやす)につかえ,大坂の陣後,金沢藩主前田利常にまねかれた。寛永9年 ... ...
9. 青山氏
世界大百科事典
だやす)が老中などの要職にあり,丹波篠山(ささやま)藩6万石で廃藩。一方,忠成の第3子幸成は大坂の陣で功があり,のち老中に任ぜられた。子孫は美濃郡上(ぐじよう) ... ...
10. 青山忠俊
世界大百科事典
幼少のころより徳川秀忠に近侍。のち家光の傅(もり)となり父の遺領を合わせ3万5000石を領した。大坂の陣では勇戦し武将としての名を挙げた。のち,酒井忠世,土井利 ... ...
11. あおやまただとし【青山忠俊】
国史大辞典
れて譜代大名となり、同十八年父の遺領を相続、合わせて三万五千石を領した。元和元年(一六一五)大坂の陣後、秀忠側近の酒井忠世・土井利勝とともに家光の補導役となり、 ... ...
12. 明石掃部
世界大百科事典
に属した宇喜多家滅亡後,黒田家にむかえられ,筑前秋月に住した。15年,豊臣秀頼の招きに応じ,大坂の陣にキリシタン部隊を率いて活躍した。大坂落城後,戦死とも,逃亡 ... ...
13. あかし-かもん【明石掃部】
日本人名大辞典
。宇喜多秀家につかえ,関ケ原の戦いで西軍に属して敗れ筑前(ちくぜん)(福岡県)秋月にすんだ。大坂の陣では豊臣秀頼の招きに応じ,真田幸村(さなだ-ゆきむら)らと活 ... ...
14. あきのくにひろしまはんしゅ【安芸国広島藩主】 : 浅野氏/(一)
国史大辞典
三十七万六千石に封ぜられた。同十八年幸長は嗣なくて没したため、弟長晟が入って宗家を嗣いだが、大坂の陣の功により、元和五年(一六一九)安芸国・備後半国四十二万六千 ... ...
15. 秋元泰朝
日本大百科全書
(はんざわぐん)・児玉郡、上野国(こうずけのくに)群馬郡の内にて5000石を知行。1615年大坂の陣には本多政信などと家康の旗下で護衛し、落城ののち残党を探る。 ... ...
16. 秋元泰朝
世界大百科事典
1580-1642(天正8-寛永19) 江戸初期の譜代大名。秋元長朝の子。父とともに徳川家康に仕え,関ヶ原の戦,大坂の陣に参陣。1602年(慶長7)武蔵国安達郡 ... ...
17. 浅野氏
世界大百科事典
ぜられた。1613年(慶長18)幸長は嗣子なくて没し,弟長晟(ながあきら)があとを継いだが,大坂の陣の功により19年(元和5)安芸国,備後8郡42万6000石に ... ...
18. あさのけもんじょ【浅野家文書】
国史大辞典
長愛が所蔵している。なお三原浅野家伝来の『浅野家文書』(五十三通)は、藩主からの文書のほか、大坂の陣に際し幕府から本藩主にあてた文書などを含むが原本は焼失した。 ... ...
19. あさのし【浅野氏】 画像
国史大辞典
三十七万六千石に封ぜられた。同十八年幸長は嗣なくて没したため、弟長晟が入って宗家を嗣いだが、大坂の陣の功により、元和五年(一六一九)安芸国・備後半国四十二万六千 ... ...
20. あさの‐ながあきら【浅野長晟】
日本国語大辞典
江戸初期の大名。広島藩主。長政の子。幸長の弟。右兵衛佐、但馬守と称する。徳川家康に従い、大坂の陣に戦功をたてた。天正一四〜寛永九年(一五八六〜一六三二) ... ...
21. あさの-ながあきら【浅野長晟】
日本人名大辞典
浅野長政の次男。妻は徳川家康の娘振姫(ふりひめ)。豊臣秀吉,のち徳川家康にしたがい,関ケ原の戦い,大坂の陣に出陣。兄浅野幸長(よしなが)の跡をつぎ紀伊(きい)和 ... ...
22. あさの-ながしげ【浅野長重】
日本人名大辞典
なり,慶長16年父の隠居地をつぎ常陸(ひたち)(茨城県)真壁(まかべ)藩主浅野家2代となる。大坂の陣で功をたて,5万3500石に加増転封(てんぽう)され常陸笠間 ... ...
23. あざぶさくらだちよう【麻布桜田町】東京都:港区/旧麻布区地区 地図
日本歴史地名大系
名主十兵衛の先祖は、甲州から来た浪人箕輪氏で、桜田霞ヶ関に住居していたと伝える。奥州・関ヶ原・大坂の陣に人馬を出し、夏の陣では人足として供をした七兵衛こと伊予が ... ...
24. あざぶほんむらちよう【麻布本村町】東京都:港区/旧麻布区地区 地図
日本歴史地名大系
の折引退、当地へきて一三代名主役を勤める。本村町組頭勘兵衛の先祖は浪人で家号は岡本長右衛門。大坂の陣に駒木根大内記の難を救い、その抱屋敷である当地に住んだ。駒木 ... ...
25. 阿茶局
世界大百科事典
の没後,1579年(天正7)召し出されて家康の側室となる。妻妾中才略第一の人物として出頭し,大坂の陣の和睦交渉の使者を務めるなど内外の枢機に参画した。その活躍は ... ...
26. あべの【阿倍野】大阪府:大阪市/阿倍野区 地図
日本歴史地名大系
・阿倍野地域で戦火を交えたのをはじめ(重編応仁記など)、戦渦は慶長一九年(一六一四)と翌年の大坂の陣で大坂城が落城する頃まで継続する。 ... ...
27. あべのく【阿倍野区】大阪府:大阪市 地図
日本歴史地名大系
があり、戦国時代に入っても大小の合戦が続き、「虎狼のすみか」といわれるまでに寂れたと伝える。大坂の陣ののち、ようやくこうした状況はおさまったが、当地は大坂市中か ... ...
28. あべのむら【阿部野村】大阪府:大阪市/阿倍野区 地図
日本歴史地名大系
天正一四年(一五八六)に片桐且元が巡見した際、阿部島を阿部野之庄と改称、村高を三〇〇石としたという。また大坂の陣後、離散民が帰村し始め、元和四年(一六一八)に「 ... ...
29. あべ-まさずみ【阿部正澄】
日本人名大辞典
1593−1628 江戸時代前期の武士。文禄(ぶんろく)2年生まれ。阿部正次の長男。大坂の陣で徳川家康にしたがい,功をたてる。上総(かずさ)(千葉県)大多喜城に ... ...
30. あべまさつぐ【阿部正次】
国史大辞典
合わせて一万石となる。十五年下野国都賀郡鹿沼で五千石加増、十六年八月大番頭となり、伏見城番を三年間つとむ。大坂の陣には秀忠に従い、戦功により元和二年(一六一六) ... ...
31. あべ-まさつぐ【阿部正次】
日本人名大辞典
1569−1647 江戸時代前期の大名。永禄(えいろく)12年生まれ。阿部正勝の長男。徳川家康につかえ,大坂の陣で功をたてる。上総(かずさ)(千葉県)大多喜城主 ... ...
32. あまがさきし【尼崎市】兵庫県
日本歴史地名大系
。〔近世〕慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の合戦後、建部寿徳は徳川氏の郡代として尼崎城にあった。大坂の陣のとき政長(寿徳の孫)は一二歳の幼少であったので、幕府は同一 ... ...
33. あまがさきじょうあと【尼崎城跡】兵庫県:尼崎市/尼崎城下
日本歴史地名大系
相続、続いて尼崎城に居住、母方の下間家の当主下間重利に政長を後見させることとした(同系図)。大坂の陣のとき建部政長は一二歳の幼少であった。幕府は池田(下間)重利 ... ...
34. 尼崎藩
世界大百科事典
摂津国(兵庫県)川辺郡尼崎を城地とした譜代藩。1615年(元和1)大坂の陣の功によって尼崎郡代建部(たけべ)政長とその代官池田重利がともに尼崎において1万石の大 ... ...
35. あまがさきはん【尼崎藩】
国史大辞典
秀吉の直轄地となったらしい。建部高光が尼崎郡代となり、関ヶ原の戦後も建部氏の支配がつづいた。大坂の陣で孫政長が徳川氏のために働いたので、元和三年(一六一七)建部 ... ...
36. あまがさきやまたえもん【尼崎屋又右衛門】
国史大辞典
亮のあとであると伝える。初代又次郎吉次は家康と関係があり、その御用をなし、甥の又左衛門清孝は大坂の陣には旗本につとめ、のち又右衛門を名乗り、駿府、江戸室町、大坂 ... ...
37. あまの-はんのすけ【天野半之助】
日本人名大辞典
1588−1667 江戸時代前期の武士。天正(てんしょう)16年生まれ。徳川家康につかえる。大坂の陣では松倉重政にしたがい奮戦。のち安芸(あき)広島藩主浅野長晟 ... ...
38. あらいむら【荒井村】長野県:中野市
日本歴史地名大系
別本歴代古案)に「新屋之地」とあるのが初見。本村は松平忠輝領当時、慶長一九年(一六一四)七月大坂の陣に山城本願寺教如(光寿)に銀子を贈り、忠輝改易後は井上庸名領 ... ...
39. あらたきさんじょうあと【荒滝山城跡】山口県:厚狭郡/楠町/東吉部村
日本歴史地名大系
益田牛庵覚書(「閥閲録」所収)によると慶長五年(一六〇〇)頃は益田玄蕃元祥が城主であったらしい。内藤氏は大坂の陣後一時期断絶した。江戸時代に入り廃城となったが、 ... ...
40. ありま-とようじ【有馬豊氏】
日本人名大辞典
石城主となる。関ケ原の戦いで父とともに東軍につき功をたて,丹波福知山(京都府)6万石を領す。大坂の陣の活躍により加増転封(てんぽう)され,元和(げんな)6年筑後 ... ...
41. あわしま【粟島】香川県:三豊郡/詫間町
日本歴史地名大系
島は阿島・尾元島。粟島大明神、梵音寺(現真言宗醍醐派)などがある。古くから加子が多く、文禄・慶長の役、大坂の陣に従軍したという。寛永一四年(一六三七)島原の乱に ... ...
42. あわのくにながおはんしゅ【安房国長尾藩主】 : 本多氏/(三)
国史大辞典
また天正三年(一五七五)ごろ徳川家康のもとを去ったが、慶長元年(一五九六)三たび家康に召し帰され、関ヶ原の戦、大坂の陣に戦功をたて、元和二年(一六一六)七月には ... ...
43. あんじはん【安志藩】
国史大辞典
播磨国(兵庫県)安志を藩庁とした藩。藩主小笠原氏。譜代。陣屋持。大坂の陣で戦死した小笠原忠脩の子長次は、長ずるに及び寛永三年(一六二六)播州竜野に六万石を与え ... ...
44. あんどう-しげのぶ【安藤重信】
日本人名大辞典
の次男。安藤直次の弟。徳川家康・秀忠につかえ,小牧・長久手(ながくて)の戦い,関ケ原の戦い,大坂の陣で功をたてる。この間慶長16年老中。17年下総(しもうさ)小 ... ...
45. あんどうなおつぐ【安藤直次】
国史大辞典
加増された。同十五年家康は直次を十子頼宣の守役としたが、これは直次の朴直な性格を見抜いたためである。大坂の陣には頼宣に従って出陣したが、軍事にすぐれていたため、 ... ...
46. いいし【井伊氏】 画像
国史大辞典
みずからは彦根十八万石の中から上野安中で三万石を分かち賜わった。直孝は徳川秀忠に仕え、兄に代わって大坂の陣に戦功を立て、元和元年(一六一五)五万石を加増されて二 ... ...
47. 井伊直孝
世界大百科事典
秀忠の小姓となる。書院番頭,大番頭を歴任して1万石を領し,掃部頭となる。兄直勝が多病のため,大坂の陣に出陣して軍功をあげ,徳川家康の命により家督を相続。33年( ... ...
48. いい‐なおたか【井伊直孝】
日本国語大辞典
江戸幕府初期の重臣。直政の子。彦根藩主。大坂の陣に功をたて、将軍徳川秀忠、家光、家綱を補佐。天正一八〜万治二年(一五九〇〜一六五九) ... ...
49. いいのやはん【井伊谷藩】
国史大辞典
嫌ったため直政の追及をさけ、伊勢にかくれていたが、直政の死後将軍徳川秀忠に召し出され旗本に列した。大坂の陣での功績が認められ、相模で一万石を加増され大名となった ... ...
50. いいやまはん【飯山藩】
国史大辞典
知行し、千曲川の氾濫をおさめ、置目を定めて広大な新田の開発を行なった。高田城主となった忠輝が大坂の陣の失態で改易となり元和二年(一六一六)七月移封され、飯山城に ... ...