1. 鹿鳴館画像
日本大百科全書
迎賓接待の意から鹿鳴館と命名、11月28日に開館式を行った。華やかな園遊会、舞踏会、仮装会、婦人慈善会(バザー)が頻繁に開かれ、それらは欧化主義の風潮のシンボル ...
2. 鹿鳴館[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
麹町(こうじまち)区内山下町(現在の東京都千代田区内幸(うちさいわい)町)。『東京景色写真版』(1893年〈明治26〉) 国立国会図書館所蔵 ...
3. 鹿鳴館
世界大百科事典
は連日のように開かれ,その様相は欧化政策の象徴となり,いわゆる鹿鳴館時代を現出させた。そうした風潮は,1887年4月20日に鹿鳴館ではなく伊藤博文首相の官邸で行 ...
4. ろくめい‐かん[‥クヮン]【鹿鳴館】
日本国語大辞典
昭和二〇年(一九四五)戦災で焼失。*東京日日新聞‐明治一六年〔1883〕一一月二八日「山下町の鹿鳴館は予て記せし如く愈々今廿八日に開館式を行はれ」ロクメ ...
5. ろくめいかん【鹿鳴館】
国史大辞典
に退陣するとともに、社交場としての鹿鳴館の役割も終えることとなった。鹿鳴館は煉瓦造二階建、総建坪四百六十六坪、二階中央に大舞踏室があった。明治二十三年鹿鳴館は宮 ...
6. 鹿鳴館
日本史年表
1883年〈明治16 癸未〉 11・28 鹿鳴館 、東京麴町内山下町に完成し開館式。 1887年〈明治20 丁亥〉 1・22 東京電灯会社、 鹿鳴館 で 白熱電 ...
7. 【鹿鳴館】ろくめい かん(くゎん)
新選漢和辞典Web版
《国》明治十六年(一八八三)、東京内幸町(うちさいわいちょう)に華族や外人の社交場として造られた建物。 ...
8. ろくめいかん‐じだい[ロクメイクヮン‥]【鹿鳴館時代】
日本国語大辞典
鹿鳴館で西洋風の夜会などがしばしば催された欧化主義の時期。明治一六年(一八八三)から同二〇年ごろまでをいう。*明治大正見聞史〔1926〕〈生方敏郎〉明治大正凝視 ...
9. ろくめいかんじだい【鹿鳴館時代】
国史大辞典
採用した。しかして鹿鳴館時代の欧化は、文明開化とその性格を異にしている。ここでは、広く国民に対しての欧化の契機は乏しくて、西洋の文物は、政府の高官だけに享受され ...
10. コレキヨ 小説 高橋是清 第40話 鹿鳴館時代=板谷敏彦
週刊エコノミスト 2019-20
いのだから、西欧諸国に日本の開化を実感させて治外法権の撤廃を納得してもらうしか方法がないと、鹿鳴館を作って欧化政策を進めた。だが、不似合いな洋装に舞踏会など、松 ...
11. 青木周蔵自伝 78ページ
東洋文庫
鴻城軍総督となり幕府軍を破る。維新ののち、大蔵大輔を勤めたが、財政問題で辞任。 明治十二年、外務卿となり鹿鳴館時代を現出、つづいて第一次伊藤博文内閣の外相となっ ...
12. あおき-たけ【青木たけ】
日本人名大辞典
横浜で外国人から縫製技術を習得し,明治17年(1884)東京銀座に婦人洋服店伊勢幸をひらく。鹿鳴館(ろくめいかん)舞踏会につどう上流階級の婦人たちの注文をうけ繁 ...
13. 編物画像
日本大百科全書
手回し式靴下編機を輸入したのが、日本の機械編の初めといわれている。欧風文化を謳歌(おうか)した鹿鳴館(ろくめいかん)時代に、レース編が入ってきたため、上流社会に ...
14. アーネスト・サトウ 神道論 299ページ
東洋文庫
雰囲気に痛く感激した明治二三年をはさんで日本の歩みを概観すると、軍人勅論の発布(同一五年)、鹿鳴館での対外広報活動(同一七 ...
15. いじゅういん-かねつね【伊集院兼常】
日本人名大辞典
。もと薩摩(さつま)鹿児島藩士。海軍省にはいり,明治11年工部省営繕局に転じてまもなく退職,鹿鳴館の建築に従事する。のち参宮鉄道,大日本土木の社長をつとめた。明 ...
16. 椅子
世界大百科事典
採用したのは,学校,軍隊,鉄道など公共機関と宮廷や上流階級で,小学校や鉄道車両では初期からベンチが採用され,鹿鳴館などではイギリス,ビクトリア様式をモデルにした ...
17. 磯田光一
日本大百科全書
学と文芸批評の接点を模索する本来の研究家としての作品を仕上げてゆく。1983年に刊行された『鹿鳴館の系譜』では、翻訳文化を受容せざるを得なかったわが国の文化を、 ...
18. いそだ-こういち【磯田光一】画像
日本人名大辞典
35年三島由紀夫を論じて文壇に登場し,「殉教の美学」「思想としての東京」「永井荷風」と批評の幅をひろげる。「鹿鳴館の系譜」や「左翼がサヨクになるとき」などで近代 ...
19. 市川崑
日本大百科全書
江(1981)細雪(1983)おはん(1984)ビルマの竪琴(1985)子猫物語(1986)鹿鳴館(1986)映画女優(1987)竹取物語(1987)つる 鶴( ...
20. 井上馨画像
日本大百科全書
外交面で特筆されるのは不平等条約改正のための欧化政策の採用である。1883年鹿鳴館(ろくめいかん)を建設し日夜各国公使らを招いて祝宴を張り、「鹿鳴館時代」を現出 ...
21. いのうえかおる【井上馨】
国史大辞典
となり、この間治外法権撤廃を中心とする条約改正交渉にあたり、そのために欧化政策を進めいわゆる鹿鳴館時代を現出したが、その条約改正案が日本の主権を著しく損うものと ...
22. いのうえ-かおる【井上馨】画像
日本人名大辞典
の三井物産)を設立。明治12年外務卿,18年第1次伊藤内閣の外相となり,不平等条約改正のため鹿鳴館を中心に欧化政策をすすめるが,失敗。のち農商務相,内相,蔵相な ...
23. いのうえ-たけこ【井上武子】
日本人名大辞典
明治2年離別し井上と再婚。9年井上のヨーロッパ視察に同行,外国の社交術をまなぶ。帰国後外務卿夫人として鹿鳴館で舞踏会,仮装会,慈善バザーなどを主催した。大正9年 ...
24. イブニングドレス
世界大百科事典
帽子,コート,靴,バッグ,手袋,ハンカチ類もあわせて用いられる。日本では,1884-87年の鹿鳴館時代に,上流階級の女性たちの間に広まった。一般に普及したのは第 ...
25. うちやましたちよういつちようめ【内山下町一丁目】東京都:千代田区/旧麹町区地区地図
日本歴史地名大系
その後鍋島邸以外は博物館用地となる。同一四年に博物館が上野へ移転し、同一六年にはその跡地の一部が鹿鳴館となった(明治四年東京大絵図・同九年明治東京全図)。 ...
26. 襟巻
日本大百科全書
ものである。江戸時代の首巻は白や色無地の絹地を利用したが、明治時代、欧米文化の流入によって、鹿鳴館(ろくめいかん)の洋装モードが社交界を風靡(ふうび)するように ...
27. 演劇改良運動
世界大百科事典
よだのしんとく)》を上演したが,民衆の支持を得られなかった。しかし,条約改正問題を背景とした鹿鳴館時代の諸事万端の改良論流行の中で,86年7月,伊藤博文首相は, ...
28. えんげきかいりょううんどう【演劇改良運動】
歌舞伎事典
よだのしんとく)》を上演したが、民衆の支持を得られなかった。しかし、条約改正問題を背景とした鹿鳴館時代の諸事万端の改良論流行の中で、明治一九年七月、伊藤博文首相 ...
29. 欧化主義
日本大百科全書
み)らとともに、83年の鹿鳴館(ろくめいかん)開館に象徴されるごとく、制度、文物、習俗を欧風化して、欧米諸国に日本の近代化を認めさせ、交渉の促進を図ろうとした。 ...
30. 欧化主義
世界大百科事典
変革していこうとした動向をいう。狭義では,1880年代半ばに条約改正と関連して明治政府が推進した,鹿鳴館に象徴されるような洋風化の動向,あるいは,それを〈貴族的 ...
31. おうかしゅぎ【欧化主義】
国史大辞典
欧米諸国に日本の近代化を認めさせ、それによって条約改正を促進しようとした。十六年の鹿鳴館開館に始まるいわゆる鹿鳴館時代は、この欧化主義政策の所産として現出する。 ...
32. おうか‐ねつ[オウクヮ‥]【欧化熱】
日本国語大辞典
地の憶出・五「洋装の日本婦人は滅多に見掛けなかったと云っても其の頃は欧化熱の頂巓に登り詰めた鹿鳴館時代であったから」オーカネツ ...
33. 大山捨松
日本大百科全書
1882年、帰国し、翌年、参議陸軍卿(後に元帥陸軍大将議定官、公爵)大山巌(いわお)と結婚。鹿鳴館の花形の一人として活躍した。特に日本初の慈善バザーを主導し、そ ...
34. おしろい画像
日本大百科全書
白く塗る上方風の襟おしろいが流行していった。 幕府の崩壊と明治政府の発足は、日常生活に大きな変化を与え、鹿鳴館(ろくめいかん)時代の到来とともに、女性も洋風化の ...
35. おんがくようがく【音楽(洋楽)】 : 近代
国史大辞典
以降は東京音楽学校に受けつがれた。明治三十年代に至るまで、本邦の洋楽演奏の拠点となったのは、鹿鳴館と東京音楽学校奏楽堂である。明治三十六年には、奏楽堂で柴田(三 ...
36. おんな二代の記 72ページ
東洋文庫
の包み金を用意しておくという評判でした。鹿鳴館時代の女奴隷 明治十八(一八八五)年、宮中からの仰せ出だされということで、今まで公式の服装には桂袴が用いられていた ...
37. おんな二代の記 76ページ
東洋文庫
真などもまだ私の目に残っていますが、あの鹿鳴館時代の貴婦人の中には、この男爵夫人に似たはなやかなとらわれ人、美しい女奴隷も少なくなかったことでしょう。 郷里にす ...
38. おんな二代の記 101ページ
東洋文庫
この年創立された東京府立第二高女にはいりましたが、このころから、女の子が袴や靴をはきだしました。鹿鳴館時代の洋装普及は失敗に終り、次の時期には反動的な国粋趣味が ...
39. カクテル画像
日本大百科全書
いずれにせよ18世紀の末にアメリカで発達し、20世紀になって世界に普及した。日本では明治初期に鹿鳴館(ろくめいかん)で供されたという。1920年代には東京にカク ...
40. かそう‐かい[カサウクヮイ]【仮装会】
日本国語大辞典
ゆうべ、S伯爵未亡人の仮装会へ出ただらうな」*江戸から東京へ〔1921〕〈矢田挿雲〉一・四「鹿鳴館の仮装会(カサウクヮイ)とて谷干城、三宅雪嶺等の国粋保存党に攻 ...
41. 仮装舞踏会
世界大百科事典
,仮装の祭礼はあった。ヨーロッパの社交界の遊びとしてのファンシー・ドレス・ボールは,日本では鹿鳴館に始まり,1887年(明治20)4月,伊藤博文によって仮装舞踏 ...
42. カドリーユ
日本大百科全書
曲、ときに第1曲)で、生き生きとした8小節単位の主題が反復される。日本にも明治時代に導入され鹿鳴館(ろくめいかん)で踊られた。関根敏子 ...
43. 加波山事件 民権派激挙の記録 357ページ
東洋文庫
しきりに舞踏の会を 舞踏の会が貴顕淑女の間にもてはやされだしたのは、鹿鳴館開館後、すなわち明治十六年(一八八三)十一月二十八日以降のことである。この日の夜、日比 ...
44. 被り物画像
日本大百科全書
陸海軍、鉄道、警察、郵便関係の人々の間で帽子が使われるようになった。女性の間では、明治10年代の鹿鳴館(ろくめいかん)時代以後、洋装が取り入れられてから婦人帽が ...
45. 髪形画像
日本大百科全書
若い女性に唐人髷、ふくら雀(すずめ)、桃割れ、結綿、既婚者には銀杏返し、丸髷などが用いられた。鹿鳴館(ろくめいかん)時代の到来とともに、西洋風の束髪がおこり、西 ...
46. かめん‐ぶとうかい[‥ブタフクヮイ]【仮面舞踏会】
日本国語大辞典
〔名〕仮面をつけ、礼装をして参加する趣向の舞踏会。日本では明治二〇年(一八八七)頃に鹿鳴館(ろくめいかん)で初めて行なわれた。*めぐりあひ〔1888~89〕〈二 ...
47. カレー粉
日本大百科全書
いる混合香辛料。カレーとは、タミル語のカリkari(ソース)に由来するといわれている。明治の鹿鳴館(ろくめいかん)時代(1880年代)の欧風化で、日本人に最初に ...
48. 観光
日本大百科全書
箱根、神戸などにも続々とホテルが建設され、1883年(明治16)には内外上流社会の社交クラブ鹿鳴館(ろくめいかん)が開館した。さらに1893年には日本初の外客誘 ...
49. 閑板 書国巡礼記 218ページ
東洋文庫
装釘の為めの装釘では、書物の価値をして甚だしく不純なものとする。例えば、見かけだけの装釘では、明治初年の鹿鳴館に於けるダンス大流行時代の如く、丸髷や腰巻をして、 ...
50. ガスとう【ガス燈】
国史大辞典
が、白熱マントルの使用でガス燈の光度がよくなった。屋内燈としては明治十一年新富座で、同十六年鹿鳴館で使用されたが、一部の使用にとどまり、一般では明治末年まではラ ...