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  11. 富岡製糸場

富岡製糸場

ジャパンナレッジで閲覧できる『富岡製糸場』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
富岡製糸場
とみおかせいしじょう
明治初年に上野国富岡に設立された官営模範製糸場で、のち民間へ払い下げられた。政府は横浜の有力生糸輸出商社エッシュ=リリアンタル商会からの器械製糸場設立の申請を退けつつ、明治三年(一八七〇)二月にみずから模範製糸場を設立する方針を定め、同年六月に同商会所属のフランス人生糸検査技師ポール=ブリューナを雇い入れた。ブリューナはフランス式の輸入繰糸器械三百台を備えた製糸場建設の見込書を提出し、武蔵・上野・信濃各地を調査した末、設置場所として上野国甘楽郡富岡町(当時岩鼻県管内、現在群馬県富岡市)を選んだ。製糸場は横須賀製鉄所(造船所)の建築技師バスティアンが設計し、民部省(のち大蔵省)所属の尾高惇忠らが実務を担当して同四年三月に着工、同五年七月にほぼ完成した。「繰糸伝習工女」の募集は当初難航したが、ようやく同年十月四日からフランス人教婦四名の指導の下で、全国各地から派遣された女工の訓練が開始された。横浜からフランスなどへ輸出された同製糸場の生糸は大変好評だったため、同製糸場の設備を模倣・簡易化した中小器械製糸場が各地に設立され、富岡帰りの女工が繰糸指導にあたった。しかし、官営富岡製糸場(同九年九月より富岡製糸所と改称)の営業成績は思わしくなく、同十三年十一月の工場払下概則に基づく払下広告が出されたが応ずる者はなかった。同二十四年の払下入札も予定価格に達する者がなく、同二十六年九月の入札で三井家が落札した。三井では設備を拡張するとともに女工の労務管理を強化した結果同製糸所の営業成績は好転したが、名古屋・三重の新設製糸所の成績が不振だったため、同三十五年九月に富岡製糸所は三井家のほかの製糸所とともに横浜の原合名会社へ売却された。原合名時代の富岡製糸所は養蚕農家への蚕種配布を率先して行い高格生糸の生産につとめたが、昭和十三年(一九三八)七月から片倉製糸紡績(のち片倉工業)の手に移され、昭和六十二年二月限りで操業を停止した。
[参考文献]
『富岡製糸場誌』
(石井 寛治)


日本大百科全書(ニッポニカ)
富岡製糸場
とみおかせいしじょう

明治政府が、1872年(明治5)10月4日、群馬県富岡で繰糸を開業した官営模範工場。1870年、大蔵省と民部省は、租税正(せい)渋沢栄一(しぶさわえいいち)、駅逓権正(えきていごんのせい)杉浦譲(すぎうらゆずる)(1835―1877)らに計画を進めさせ、フランス人技師ポール・ブリューナPaul Brunat(1840―1908)を雇い入れ、1872年7月れんが造りの建物(フランス人バスチャンEdmond Auguste Bastien(1839―1888)が設計)をほぼ完成、フランスから蒸気器械製糸の機器類を買い入れ、技術の移植を図った。糸繰り場は、542坪、300釜(かま)、当初フランス人工女4人が指導にあたった。原料繭の蛹(さなぎ)を蒸殺する方法(イタリア式)や、一度とった生糸を大枠に巻き直す揚返(あげかえ)しの工程(日本独自のもの)を採用、生糸を巻き取る繰車の動力と煮繭(しゃけん)用蒸気のために蒸気釜(ボイラー)6基を据え付けた。工女は、1872年3月、まず群馬・埼玉・入間(いるま)(現、埼玉)・栃木・長野の5県で募集し、応じる者が少ないので、初代場長尾高惇忠(おだかあつただ)(1830―1901。入間)は郷里から13歳の長女などを入場させた。募集範囲をしだいに全国に広げ、払下げのあった1893年までに開拓使本庁・函館(はこだて)支庁のほか3府37県(現在の行政区画で1道1都2府32県)から工女が入った。工女は、伝習した技術を各地に広めた。1881年以降の紙幣整理に伴い、官営工場の払下げが始まり、1893年、三井財閥の手に移った。なお、初期の製糸場のようすは、工女和田英(わだえい)の『富岡日記』によって知ることができる。
[上條宏之]2018年9月19日
2014年(平成26)には、「富岡製糸場と絹産業遺産群」としてユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に登録された。また、同年、旧富岡製糸場の操糸所{そうしじょ}、東置繭所{ひがしおきまゆじょ}、西置繭所{にしおきまゆじょ}の3棟が国宝に指定された。
[編集部]2018年9月19日



改訂新版 世界大百科事典
富岡製糸場
とみおかせいしじょう

1872年(明治5)に開業した官営模範製糸場。政府は輸出生糸の品質低下を憂えて1870年にフランス人ブリュナPaul Brunat(1840-1908)を雇い入れ,群馬県富岡にフランス製繰糸器械300釜を備えた大規模な模範製糸場を約20万円を費やして設立した。富岡の地が選ばれたのは優良な原料繭と豊富な水に恵まれていたためといわれる。政府内で立案・実施を担当したのは大蔵省の渋沢栄一と民部省(のち大蔵省)の尾高惇忠であり,尾高は76年まで初代所長をつとめた。尾高は全国から伝習工女を募集しフランス人教婦の下で器械繰糸技術を習得させ,彼女らは帰郷後各地の器械製糸場の発展を支えた。長野県の六工社で働いた横田(和田)英たちや三重県の室山製糸場から派遣された伊藤小十郎の妻と妹の話は著名である。また富岡製糸所の繰糸器械の原理も各地の器械製糸家によって模倣されていった。尾高のあと主として速水堅曹が所長をつとめたが,93年に三井家へ払い下げられた。三井家では520釜に拡張し,大嶹・名古屋・三重製糸場とともに経営したが,1902年に横浜の生糸売込問屋原合名会社へ売却した。原富岡製糸所長古郷時待は06年以降優良蚕種の配布を行い,大久保佐一所長(在任1909-33)も特約取引を拡充して高級格生糸の生産につとめたが,原合名の経営悪化により同製糸場は38年片倉製糸の手に移り,現在は片倉工業富岡工場となっている(2005年富岡市に寄贈)。
[石井 寛治]

[索引語]
ブリュナ,P. Brunat,P. 渋沢栄一 尾高惇忠 六工社 横田英 和田英 富岡製糸所 大久保佐一 片倉製糸
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