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  11. 大念仏

大念仏

ジャパンナレッジで閲覧できる『大念仏』の日本国語大辞典のサンプルページ

日本国語大辞典
だい‐ねんぶつ 【大念仏】

解説・用例

【一】〔名〕

(1)大声で阿彌陀の名をとなえること。大念。

*拾遺往生伝〔1111頃〕上「沙門青海は、常陸国の人なり。〈略〉正暦の初、自他を勧進して、七日念仏を修せり。いはゆる超証寺の大念仏これなり」

*平家物語〔13C前〕三・燈籠之沙汰「十五日の日中を結願として大念仏有りしに」

*謡曲・隅田川〔1432頃〕「またこの在所にさる子細候ひて、大念仏を申すこと候ふ間」

*雑俳・柳多留‐一二〔1777〕「下女が色大念仏で二度通り」

*歌舞伎・霊験曾我籬〔1809〕六幕「『よいよいわいわいなんまいだ』ト大念仏にて皆々酒樽をころがし、暴れちらしながら奥へ入る」

(2)釈迦念仏のこと。

(3)特に、京都嵯峨の清涼寺釈迦堂で陰暦三月六日から一五日まで、多数の人々が参集して行なわれる釈迦念仏。

*看聞御記‐応永二六年〔1419〕三月一四日「聞、嵯峨釈迦堂大路在家等炎上、大念仏群集之間軈打消云々」

*謡曲・百万〔1423頃〕「此の頃は嵯峨の大念仏にて候ふ程に」

*俳諧・誹諧初学抄〔1641〕末春「嵯峨大念仏 三月六日より十五日迄也」

(4)東京隅田川畔の木母寺で陰暦三月一五日の梅若忌に行なわれる大念仏法会。

*雑俳・柳多留‐七〔1772〕「よし原を大念仏ですすめこみ」

(5)「だいねんぶつしゅう(大念仏宗)」の略。

【二】

「だいねんぶつじ(大念仏寺)」の略。

*浮世草子・男色大鑑〔1687〕八・四「やうやう平野の里大念仏(ネンブツ)の御堂に休みしに」

語誌

(1)融通念仏宗の開祖良忍(一〇七二~一一三二)は、自他の念仏が融通して功徳あることを説き、口称念仏すべきことを勧めた。行者は一堂に集まり念仏会を行ない、これを「大念仏」と称した。

(2)「嵯峨大念仏狂言」「壬生大念仏狂言」「千本閻魔堂狂言」は京の三大狂言とされるが、これは教化の方便として寺僧が演じたものである。

(3)空也(九〇三~九七二)が起源とされる踊念仏を大念仏とも称する。今日でも、長篠や三方原の古戦場などで、鎮魂のための大念仏が行なわれている。

発音

〓[ネ]

辞書

言海

正式名称と詳細

表記

大念仏言海


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検索ヒット数 670
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検索コンテンツ
1. 大念仏
日本大百科全書
岩手県下にも花巻市宮野目(みやのめ)などの大念仏があり、大念仏系統のものは各地にみられるが、盛岡周辺の各所に分布する大念仏剣舞(けんばい)は祖霊供養の大念仏に剣
2. だい‐ねんぶつ【大念仏】
日本国語大辞典
日の梅若忌に行なわれる大念仏法会。*雑俳・柳多留‐七〔1772〕「よし原を大念仏ですすめこみ」(5)「だいねんぶつしゅう(大念仏宗)」の略。【二】「だいねんぶつ
3. だい-ねんぶつ【大念仏】
全文全訳古語辞典
念仏を唱える仏事。 ❷特に、京都嵯峨の清涼寺釈迦堂で、毎年陰暦三月六日から十五日まで行われる大念仏の法会。
4. だい‐ねんぶつ【大念仏】
仏教語大辞典
「十五日の結願として大念仏ありしに」 2 『法華経』を読誦すること。 沙石集 四・一 「大念仏申さんとては、道場に入て、法華経読誦し」 3 釈迦念仏のこと。 →
5. だいねんぶつ【大念仏】[標準語索引]
日本方言大辞典
旧盆に寺でだいねんぶつ:大念仏を行うことみずむけ
6. だいねんぶつ【大念仏】[標準語索引]
日本方言大辞典
旧盆に寺でだいねんぶつ:大念仏を行うことみずむけ
7. だいねんぶつ‐え[‥ヱ]【大念仏会】
日本国語大辞典
〔名〕大念仏を修する会式。*俳諧・〓〓輪〔1753〕「九月〈略〉天王寺一乗会
8. だいねんぶつ‐え【大念仏会】
仏教語大辞典
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9. だいねんぶつ‐しゅう【大念仏宗】
日本国語大辞典
〔名〕浄土宗の一宗。融通念仏宗の別称。日本十三宗の一つ。良忍(聖応大師)を宗祖とし、大念仏寺を総本山とする。大念仏派。大念仏。ダイネンブツシュー
10. 大念佛宗(だいねんぶつしゅう)
古事類苑
宗教部 洋巻 第1巻 637ページ
11. 大念仏寺
日本大百科全書
大阪市平野(ひらの)区平野上町にある融通念仏宗の総本山。大源山(だいげんざん)諸仏護念院と号し、俗に「平野の大念仏」とよばれる。古くは亀鉦寺(かめがねでら)とも
12. 大念仏寺
世界大百科事典
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13. だいねんぶつ‐じ【大念仏寺】
日本国語大辞典
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14. だいねんぶつじ【大念仏寺】画像
国史大辞典
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15. だいねんぶつじ【大念仏寺】大阪府:大阪市/平野区/平野郷町/馬場町地図
日本歴史地名大系
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16. 大念佛寺(だいねんぶつじ)【篇】
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 59ページ
17. だいねんぶつ‐は【大念仏派】
日本国語大辞典
〔名〕「だいねんぶつしゅう(大念仏宗)」に同じ。*浄瑠璃・卯月の潤色〔1707頃〕中「大和国平群谷大ねんぶつ派の庵室に」
18. 大念仏七万日詣(著作ID:1388018)
新日本古典籍データベース
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19. 大念仏寺旧記(著作ID:4377114)
新日本古典籍データベース
だいねんぶつじきゅうき 寺院
20. えんまどう‐だいねんぶつ[エンマダウ‥]【閻魔堂大念仏】
日本国語大辞典
〔名〕「えんまどうきょうげん(閻魔堂狂言)」に同じ。《季・夏》
21. 傾城壬生大念仏
世界大百科事典
歌舞伎狂言。三番続き。近松門左衛門作。1702年(元禄15)正月京の都万太夫座上演。配役は高遠民弥を初世坂田藤十郎,三宅彦六を中村四郎五郎,下人長兵衛を金子吉左
22. けいせいみぶだいねんぶつ【傾城壬生大念仏】
日本国語大辞典
歌舞伎脚本。三番続。近松門左衛門作。元祿一五年(一七〇二)京都都万太夫座初演。先作「けいせい仏の原」と同系統の作品。京都壬生寺の地蔵菩薩開帳を当てこみ、高遠家の
23. けいせいみぶだいねんぶつ【傾城壬生大念仏】
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24. さが‐だいねんぶつ【嵯峨大念仏】
日本国語大辞典
壬生寺(みぶでら)のそれとともに京の三大念仏といわれる。嵯峨念仏。《季・春》*俳諧・毛吹草〔1638〕二「三月〈略〉嵯峨大念仏 十五日」*日次紀事〔1685〕三
25. さがだいねんぶつ【嵯峨大念仏】
国史大辞典
現在では四月十日近くの土・日曜日と次の日曜日に大念仏狂言が演じられるだけだが、往時の様子は能『百万』にみることができる。『百万』は観阿弥が得意としたという「嵯峨
26. さが の 大念仏(だいねんぶつ)
日本国語大辞典
「さがだいねんぶつ(嵯峨大念仏)」に同じ。*謡曲・百万〔1423頃〕「またこの頃は嵯峨の大念仏にて候ふほどに、この幼き人を連れ申し、念仏に参らばやと存じ候」*俳
27. しゃか‐だいねんぶつえ【釈迦大念仏会】
仏教語大辞典
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28. すみだがわ‐だいねんぶつ[すみだがは‥]【隅田川大念仏】
日本国語大辞典
(もくぼじ)で、四月一五日(古くは陰暦三月一五日)の梅若忌に修する大念仏会。*俳諧・俳諧筆真実〔1787〕三月「隅田川大念仏」スミダ
29. せんぼん‐だいねんぶつ【千本大念仏】
日本国語大辞典
〔名〕「せんぼんねんぶつ(千本念仏)(1)」に同じ。〓[ネ]
30. 平野大念仏寺[図版]画像
国史大辞典
摂津名所図会 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.
31. みぶ‐だいねんぶつ【壬生大念仏】
日本国語大辞典
〔名〕「みぶだいねんぶつえ(壬生大念仏会)」に同じ。*歌舞伎・傾城壬生大念仏〔1702〕上「母上様の御菩提の為と有て、母見た母見たと申すみぶ大念仏を執行なさるる
32. みぶだいねんぶつ‐え[‥ヱ]【壬生大念仏会】
日本国語大辞典
京都市中京区の壬生寺で行なわれる大念仏の法会。正安年間(一二九九~一三〇二)円覚が始め、その際に教理を会衆に知らせるために無言狂言を演じたと伝える。壬生念仏。壬
33. けいせい壬生大念仏(著作ID:922861)
新日本古典籍データベース
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34. 壬生大念仏狂言揃(著作ID:4369111)
新日本古典籍データベース
みぶだいねんぶつきょうげんそろえ
35. 融通大念仏(著作ID:523251)
新日本古典籍データベース
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36. 融通大念仏(著作ID:523262)
新日本古典籍データベース
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37. 融通大念仏天筆弥陀(著作ID:4364687)
新日本古典籍データベース
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38. 融通大念仏本縁起(著作ID:62420)
新日本古典籍データベース
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39. 融通大念仏略縁起(著作ID:1025441)
新日本古典籍データベース
ゆうずうだいねんぶつりゃくえんぎ 融通念仏
40. 良忍創大念佛寺 (見出し語:良忍)
古事類苑
宗教部 洋巻 第4巻 59ページ
41. あおたにでら【青谷寺】大阪府:柏原市/青谷村地図
日本歴史地名大系
紀州根来寺の僧浄観を請じたと伝える。延宝五年(一六七七)の大念仏寺四十五代記録并末寺帳(大念仏寺文書)は「青谷寺、代々看坊、当看坊益道西堂去年丙辰入院、元浄土宗
42. あおはたじんじゃ【青幡神社】佐賀県:伊万里市/里村
日本歴史地名大系
祈って社領各四町八段を付したという。毎年の祭礼は、松浦党首が祭主となって行い、大神楽・流鏑馬、またときには大念仏も行われた。これは山代囲(直の子)に引き継がれて
43. あぐちじんじゃ【開口神社】
国史大辞典
に鎮座。旧府社。延喜式内社であり、塩土老翁(しおづちのおじ)神などを祀る。明治以前仏地となり大念仏寺と名づけ寺僧が社務を執っていたので今も「大寺さん」の俗称で親
44. あ・げる【上・揚・挙】
日本国語大辞典
*虎明本狂言・筑紫奥〔室町末~近世初〕「身共は申あぐる事はならぬ程に、面々に申上い」*歌舞伎・傾城壬生大念仏〔1702〕上「先私が御使に参りました。御前の首尾を
45. あさぎ‐むく【浅葱無垢・浅黄無垢】
日本国語大辞典
*評判記・色道大鏡〔1678〕二「肌着は、白むく、黄むく・浅黄(アサギ)むくたるへし」*歌舞伎・傾城壬生大念仏〔1702〕中「旦那があさぎむくを取て来いと言はる
46. あず・ける[あづける]【預】
日本国語大辞典
上「其の外僧綱十三人闕官(けっくゎん)ぜられて、みな検非違使にあづけらる」*歌舞伎・傾城壬生大念仏〔1702〕中「けらいにやうすを尋、其方の銀でないと、そちたち
47. あそうだむら【浅宇田村】三重県:上野市
日本歴史地名大系
した(庁事類編)。生婦塚は難産で死んだ筒井氏家臣中坊飛騨の娘於杉を葬り、鎮魂のため摂州平野の大念仏を招いたと伝える(茅栗草子)。また杉ノ木服部氏の末といわれる観
48. あね‐き【姉貴】
日本国語大辞典
*類従本仙源抄〔1381〕「いぬき。 犬公也〈略〉世俗にあねき、をぢきと云同心」*歌舞伎・傾城壬生大念仏〔1702〕上「あねきは奥へ入り、姫と中よふし給へ」*歌
49. あねこ【姉―】[方言]
日本方言大辞典
徳島県809阿波の言葉(橋本亀一)1930 香川県高松062風俗画報(雑誌)1892~1916歌舞伎傾城壬生大念仏上「姉貴あねきは奥へ入り、姫と中善うし給へ」《
50. あみだがみね【阿弥陀ヶ峰】京都市:東山区/新熊野村地図
日本歴史地名大系
また「雍州府志」(貞享三年刊)は、かつて平重盛が山下に四十八精舎を建て、毎夜、四十八灯を点じて大念仏を修したので阿弥陀ヶ峰と称したという異説を載せるが、阿弥陀ヶ
「大念仏」の情報だけではなく、「大念仏」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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