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  11. 左義長

左義長

ジャパンナレッジで閲覧できる『左義長』の国史大辞典・日本大百科全書・世界大百科事典のサンプルページ

国史大辞典
左義長
さぎちょう
小正月に行われる火祭り行事。三毬杖・三毬打・三鞠打・三木張などとも書き、爆竹にこの訓をあてた例もある。打毬(だきゅう)は正月のめでたい遊戯とされ、これに使う毬杖(ぎっちょう)を祝儀物として贈る風習があった。その破損した毬杖を陰陽師が集めて焼くことが行われ、これが左義長の起源として説かれている。『弁内侍日記』建長三年(一二五一)正月条に、十六日に三毬杖を焼くことがみえ、前日の十五日には杖で人を打つさまが記されており、卯杖や民間の祝棒などと同じく、毬杖にも祝福の呪物といった性格が存したとみられる。一方、『徒然草』に毬杖を真言院から神泉苑へ持ち出して焼くとあるのをみると、祇園祭の起源が、貞観十一年(八六九)に疫病退散のために六十六本の鉾をたてて神泉苑へ送ったことにあるというのと同様、左義長も本来祓行事の要素を有したと思われる。さらに十四日に結願を迎える真言院御修法の仏教行事の性格をも合わせ、陰陽師の手によって一種の火行事として中世以降とくに盛んに催行されるに至ったものと思われる。宮中では清涼殿東庭で、十五日と十八日の両日行われた。十五日を「御吉書の三毬杖」ともいい、天皇が吉書初めに書いた書初めをこの時に焼く。三毬杖は青竹を束ねて立て、これに吉書・扇子・短冊などを結びつける。御吉書を硯蓋に入れて勾当内侍が御簾の下からさし出し、蔵人が受けて修理職に渡し、さらに牛飼童がこれを三毬杖につける。御前の燭台の火を移して点火し燃え上がると、牛飼・仕丁らが「とうどやとうど」とはやす。終ると燃えさしの竹二本を蔵人から献上する。十八日には大三毬杖を焼く。この日には唱門師大黒松太夫らが翁芸を行い、鬼面や稚児たちが参入して踊りはやした。左義長は武家・民間にも広く流行し、トンド・三九郎焼・サイトウヤキ・御幣焼(おんべやき)などと称し、現在でも各地方に子供組を中心とした小正月の火祭り行事として盛んに行われている。
(倉林 正次)


日本大百科全書(ニッポニカ)
左義長
さぎちょう

小正月(こしょうがつ)を中心に行われる火祭り。正月の松飾りを各戸から集めて、14日の晩方ないしは15日の朝にそれを焼くのが一般的な方式である。社寺の境内、道祖神のそばや河原などで行われる。トンド、ドンドンヤキ、サイトウ、ホッケンギョなどさまざまによばれており、いまなお広く行われている。サギチョウというのは、すでに平安時代の文書に「三毬打」または「三毬杖」としてみられるが、3本の竹や棒を結わえて三脚に立てたことに由来するといわれている。火の上に三脚を立てそこで食物を調理したものと考えられている。餅(もち)などを焼いて食すことはその名残(なごり)かもしれない。いずれにしても、木や竹を柱としてその周りに松飾りを積み上げるものや、木や藁(わら)で小屋をつくって子供たちがその中で飲食をしてから火を放つものなど多様である。関東地方や中部地方の一部では道祖神祭りと習合しており、燃えている中に道祖神祭りの石像を投げ込む事例もある。長野県地方のサンクロウヤキは松飾りとともに、サンクロウという木の人形を燃やす。また九州地方ではオニビとよばれて7日に行われている。多くの土地では、火にあたるとじょうぶになるとか、その火で焼いた餅を食べると病気をしないなどという火の信仰が伝承されている。なお、中心の木を2方向から引っ張ったり、あるいは燃えながら倒れた方向によって作柄を占う、年占(としうら)的な意味をもつようなものもある。
[佐々木勝]



世界大百科事典
左義長
さぎちょう

小正月の火祭。一般に1月14日か15日に行う。九州では6日か7日が多い。竹を主材料に,円柱状,あるいは円錐形,方形などに組み,中心の心竹に,御幣に相当する飾りや縁起物を付け,それを,すす払いに出た前年のお札や,4日か7日にさげた門松や正月飾と一緒に焼く。この火で餅やだんごを焼いて食べると無病息災であるとか,書初め(かきぞめ)を焼いて高く飛ぶと手が上がるとかいう。本来は,供物を焼きあげ,新年の祈願をささげる行事らしい。子ども仲間(子供組)を中心にした行事で,小屋を作って生活する習慣もあり,盆行事の盆がまや盆小屋と一対をなす。京都に近い地方ではサギチョウと呼ぶ土地もあるが,全国的には,広くトンド系統の語(〈どんど焼〉など)で呼ばれる。九州ではオニビ(鬼火),ホッケンギョウという。トンドもホッケンギョウも,左義長のはやしことばに由来する。東日本では道祖神祭になり,サイトウ,サイトヤキなどとサイト系統の語で呼ぶ。室町時代の宮中の左義長も同じ行事で,1月15日に青竹を束ねて立て,書初めや扇を付けて焼いた。18日には,宗教芸人の唱門師(しようもじ)が参内して行う左義長があった。左義長は三毬打,三毬杖とも書くが,語源ははっきりしない。《永治二年真言院御修法記》(1142)に,宮中の真言院で1月15日に,神泉苑の水を加持した香水を入れた瓶を〈三岐杖〉の上に置くとある。《徒然草》に〈さぎちゃう〉は正月に用いた〈ぎちゃう〉を真言院から神泉苑に出して焼きあげるとあるのは,この〈三岐杖〉のことであろう。
[小島 瓔禮]

[索引語]
書初め どんど焼 鬼火 ホッケンギョウ トンド 道祖神祭 サイトウ(民俗) サイトヤキ サイト 三毬杖(打)
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検索ヒット数 269
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検索コンテンツ
1. さぎ-ちゃう【三毬杖・左義長】画像
全文全訳古語辞典
〔名詞〕《「さぎっちゃう」とも》(「毬杖」を三本たてたところから)陰暦正月十五日の朝行われる悪魔払いの儀式。宮中では、清涼殿の庭に扇子・短冊や天皇の書き初めなど
2. 左義長画像
日本大百科全書
小正月(こしょうがつ)を中心に行われる火祭り。正月の松飾りを各戸から集めて、14日の晩方ないしは15日の朝にそれを焼くのが一般的な方式である。社寺の境内、道祖神
3. 左義長画像
世界大百科事典
いう。トンドもホッケンギョウも,左義長のはやしことばに由来する。東日本では道祖神祭になり,サイトウ,サイトヤキなどとサイト系統の語で呼ぶ。室町時代の宮中の左義長
4. さ‐ぎちょう[‥ギチャウ]【左義長・三毬杖】画像
日本国語大辞典
之」*塵芥〔1510~50頃〕「左義長(サキチャウ)左は仏右は外道義也、放火焼右残左仏法、故法成就東土哉」*日次紀事〔1685〕正月一五日「洛中家家左義長、今暁
5. さぎちょう【左義長】画像
国史大辞典
う)を祝儀物として贈る風習があった。その破損した毬杖を陰陽師が集めて焼くことが行われ、これが左義長の起源として説かれている。『弁内侍日記』建長三年(一二五一)正
6. さ‐ぎっちょう[‥ギッチャウ]【左義長】
日本国語大辞典
〔名〕「さぎちょう(左義長)」に同じ。*御湯殿上日記‐永祿三年〔1560〕正月一七日「御さきつちやうもとのことくはやしてまいる」*三体詩絶句鈔〔1620〕一「日
7. 【左義長】さぎちょう(ちゃう)
新選漢和辞典Web版
《国》 ①昔、正月十五日に宮中で青竹などを焼いて厄(やく)ばらいをした儀式。 ②民間では、門松・しめ飾りなどを集めてもやし、その火で焼いた餅(もち)をたべれば
8. さぎちょう【左義長】[標準語索引]
日本方言大辞典
ょう:左義長の行事のために、村ごとに設けた小屋かざりなや男児らが正月初めからさぎちょう:左義長当日まで共同生活をする小屋ほんやりごやさぎちょう:左義長のしめ縄み
9. 左義長の図[図版]画像
国史大辞典
灘波鑑 (c)Yoshikawa kobunkan Inc.
10. さぎちょう‐はね[サギチャウ‥]【左義長羽子】
日本国語大辞典
〔名〕羽子つきに用いる羽子。*俳諧・増山の井〔1663〕正月「はねつく さきちゃうはね やり羽子(はご)」
11. さぎちょう‐ばしら[サギチャウ‥]【左義長柱】
日本国語大辞典
〔名〕日本の木造仏塔で、露盤を支えるために組んだ四本の短い柱。〔日本建築辞彙{1906}〕
12. さぎちょう ほこらかす
日本国語大辞典
左義長を焼く。左義長は正月の行事なので、焼くことを忌みきらっていった語。*年中定例記〔1525頃〕「十五日〈略〉御対面以後、左義長ほこらかし申。御供衆申次祗候」
13. 左義長肇徴(著作ID:1145262)
新日本古典籍データベース
さぎちょうはじめちょう 西川吉輔(にしかわよしすけ) 考証 弘化四
14. 左義長 : 図-左義長画像
世界大百科事典
15. 愛知(県)画像
日本大百科全書
祭礼には13台の山車が出て、からくり人形芝居を演ずる。 火祭りは、南知多町師崎(もろざき)の左義長(さぎちょう)、瀧山(たきさん)寺鬼祭(岡崎市)が有名で、大小
16. あぶうら【阿部浦】徳島県:海部郡/由岐町
日本歴史地名大系
庄屋に誓約している。天保二年(一八三一)川口の漁船の係留が乱雑で廻船に困るほどであるが、また正月の左義長のおり、若者らが申合せて勝手に振舞うのでこれもあわせて規
17. あわしまうらむら【粟島浦村】新潟県:岩船郡
日本歴史地名大系
期の石鏃・石器・石棒などが出土している。釜谷集落には両墓制が残る。萱舟を作って海へ流す七夕、左義長をはじめとする正月行事が伝えられている。島の生活形態は、少ない
18. いしきりちょう・てらまち・よまち【石切町・寺町・四ッ谷町】長野県:長野市/松代地区/松代城下
日本歴史地名大系
・三高院の寺院があった。四ッ谷町は、昔四軒のみで金比羅社の付近にあったという。町のはずれでは左義長(どんど焼き)が行われたと河原綱徳の「園柱茶話」にある。これら
19. いったい‐かん【一体感】
日本国語大辞典
別々のものが切り離されないような一致を感じること。*第3ブラリひょうたん〔1951〕〈高田保〉デスク・プラン「左義長は笑えても、この仲間内の強い一体感は笑えるも
20. 今尾
日本大百科全書
江戸時代には尾張(おわり)藩付家老竹腰(たけのこし)氏(3万石)の居館があった。2月に行われる「今尾の左義長(さぎちょう)」は県指定重要無形文化財。上島正徳
21. いまおむら【今尾村】岐阜県:海津郡/平田町
日本歴史地名大系
常栄寺は慶長一〇年の建立とされ、境内に薩摩工事義没者墓があり、県指定史跡。秋葉神社で行われる二月一一日の今尾左義長は県指定重要無形民俗文化財。嘉永四年(一八五一
22. うし‐ばり【牛梁】
日本国語大辞典
〔名〕建造物の、主として重い荷重をささえている太い横木。塔の心柱(しんばしら)、左義長柱(さぎちょうばしら)、小屋組みの小屋梁などを受ける梁(はり)。牛びきばり
23. えばらでら【家原寺】大阪府:堺市/家原寺村地図
日本歴史地名大系
文化財)、五色の仏舎利を蔵する。境内は府の顕彰史跡。毎年小正月に行われる左義長祭は「とんど」とよばれ行基が中国の左義長山で催される山焼の行事をまねて行ったものと
24. 恵美草[文献解題]新潟県
日本歴史地名大系
鈴木伝市郎の帰府にさいして江戸の妻子への土産として、相川の年中行事・風俗・風物を記したもの。左義長・春駒など五図を添える。画者は石井文海とされる。 活字本 佐
25. 近江八幡(市)画像
日本大百科全書
(かくよくざん)にあたり、その山頂には瑞龍(ずいりゅう)寺(村雲御所)、山麓(さんろく)には左義長(さぎちょう)祭で有名な日牟礼(ひむれ)八幡宮がある。旧市街地
26. 近江八幡[市]
世界大百科事典
南麓に西国三十三所の第31番札所長命寺がある。八幡山南麓の日牟礼(ひむれ)八幡宮は3月中旬の左義長(さぎちよう)祭で有名。井戸 庄三 大中之湖干拓地 八幡堀 長
27. おうみはちまん‐まつり[あふみハチマン‥]【近江八幡祭】
日本国語大辞典
〔名〕近江八幡左義長祭と、近江八幡炬火(たいまつ)祭の二つがある。前者は三月一四、一五日、「どんど焼」を中心にした滋賀県近江八幡市、八幡神社の祭。後者は四月一四
28. 大磯(町)画像
日本大百科全書
置されている。また、大磯駅近くには島崎藤村(とうそん)の墓もある。 市内には民俗芸能も多く、左義長(さぎちょう)(国指定の重要無形民俗文化財)、船祭(高来(こう
29. 大磯[町]
世界大百科事典
日に行われ,神揃山の〈座問答〉の神事は県の無形民俗文化財に指定され,1月14日夜の北浜海岸の左義長,3月の白岩神社の歩射(ぶしゃ),7月の高来神社の御船祭などと
30. おおいそじゅく【大磯宿】神奈川県:中郡/大磯町地図
日本歴史地名大系
大磯駅が開設して宿駅としての機能は衰え、以後は住宅地・別荘地として発展する。現在一月一四日に左義長(県指定無形民俗文化財)が行われる。
31. おおいそまち【大磯町】神奈川県:中郡地図
日本歴史地名大系
昭和二七年国府村は国府町と改称、同二九年大磯町に国府町を合併、現在に至る。町域には一月一四日の左義長、五月五日の国府祭(ともに県指定無形民俗文化財)、隔年七月の
32. おお‐おどり[おほをどり]【大踊】画像
日本国語大辞典
とくに歌舞伎では、その日の舞台の最後に、一座の俳優が総出で踊るおどりをいう。*俳諧・鷹筑波集〔1638〕三「左義長をはやしたてたる大躍(おほオトリ)〈吉数〉」*
33. 大人弥五郎
世界大百科事典
説く巨人弥五郎伝説が,八幡信仰に組み込まれたものと考えられる。弥五郎人形は,八幡社の祭り以外に,各地の小正月の左義長(さぎちよう)や虫送りの行事にも使われ,疫病
34. おおひとやごろう【大人弥五郎】
日本架空伝承人名事典
説く巨人弥五郎伝説が、八幡信仰に組み込まれたものと考えられる。弥五郎人形は、八幡社の祭り以外に、各地の小正月の左義長(さぎちょう)や虫送りの行事にも使われ、疫病
35. お‐こや【御小屋】
日本国語大辞典
〔名〕(「お」は接頭語)山梨県南巨摩郡などで、小正月の左義長(さぎちょう)のときにつくる小屋。正月小屋。
36. おさかむら【小坂村】静岡県:静岡市/旧有渡郡・庵原郡地区
日本歴史地名大系
熊野神社と改称(長田村誌)。山王神社の祭礼・修理などはすべて建穂寺が沙汰し、毎年一月一四日の左義長祭も同寺の僧がきて行った(駿河記)。明治五年に日枝神社と改称(
37. おしょじこ[方言]
日本方言大辞典
どんど焼き。左義長さぎちょう。 福井県431若越方言集(福田太郎)1902
38. 鬼火
日本大百科全書
七日正月に行う所が多く、熊本県南部などでは七日正月と小正月と二度も火祭をする所がある。どんど、左義長(さぎちょう)などという小正月の火祭と同じように、野外で臨時
39. おに‐び【鬼火】
日本国語大辞典
馬の鐙を打ち合わせて音を出せば消えるとある。正月七日の火祭。どんど焼き。左義長(さぎちょう)。《おにび》福岡県浮羽郡872 熊本県玉名郡058 《おねび》長崎県
40. おにびやき【鬼火焼】[方言]
日本方言大辞典
正月七日の火祭り。どんど焼き。左義長さぎちょう。 熊本県054方言(雑誌)1931~1938 下益城郡919方言と性格と分布相(田中正行)1942《おんべやき》
41. おにび‐やき【鬼火焼】
日本国語大辞典
〔名〕正月七日の火祭。どんど焼き。左義長(さぎちょう)。《おにびやき》熊本県054 下益城郡919 《おんべやき》長野県佐久493 熊本県天草郡919
42. おまつやき【御松焼】[方言]
日本方言大辞典
取り外した正月の門松を火で焼くこと。左義長さぎちょう。 神奈川県津久井郡316津久井郡勢誌・民俗語彙(尾崎恒雄)1954
43. おまつ‐やき【御松焼】
日本国語大辞典
〔名〕小正月または七日正月に、とりはずした門松をどんどの火で焼くこと。左義長(さぎちょう)。《おまつやき》神奈川県津久井郡316
44. 温泉(地学)画像
日本大百科全書
お祝いだ」と叫びながら互いに湯をかけ合う。そして湯舟の中で酒杯をあげる。新潟県の松之山温泉では、正月15日の左義長(さぎちょう)の火祭に、灰や泥を人々が互いに身
45. おん‐べい【御幣】
日本国語大辞典
富山県390 《おんべん》千葉県山武郡270 《おんべら・おんべろ》富山県390 (2)正月の左義長(さぎちょう)の時に焼く、頂上に御幣をつけた大きな飾り竹。《
46. おんべやき【御幣焼】
国史大辞典
左義長(さぎちょう)
47. おんべー【御幣】[方言]
日本方言大辞典
1934《おんべら》《おんべろ》 富山県390富山県方言(富山県教育会)1919(2)正月の左義長さぎちょうの時に焼く、頂上に御幣をつけた大きな飾り竹。《おんべ
48. 海津(市)画像
日本大百科全書
「お千代保稲荷(おちょぼいなり)」は商売繁盛の神として多くの参拝者を集めている。また、今尾の左義長(さぎちょう)は2月に行われ、県の重要無形民俗文化財に指定され
49. 改訂 京都民俗志 256ページ
東洋文庫
その他祇園祭宵山などに雷除守がある。宇治白川白山権現の樫の枝にはさんだ牛王は、雷除となるといわれ、鞍馬で左義長のとき焼いた餅は雷除となるといっている。根本絵巻に
50. かいなんちょう【海南町】徳島県:海部郡
日本歴史地名大系
うに栽培漁業への転換が推進されている。正月上がりの一五日に神棚などの飾物の片付けを行う行事を左義長ともドンドヤキともいう。集落では組別に、笹竹に五色の短冊を結び
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