人類の基本的な動作である走る,跳ぶ,投げるの要素をスポーツ化したもので,独立した多数種目を包含する競技。格闘技のように単に勝敗を争うのではなく,時間や距離などの記録への挑戦も含むところに特徴がある。近代陸上競技発祥の地イギリスやイギリス連邦諸国ではathleticsと称しているが,これがスポーツ,体育一般をさすこともあるため,アメリカ流のtrack and fieldを使うことが多い。ドイツ語のLeichtathletikに相当する。
陸上競技が,完成された純粋なスポーツとして発達したのは18世紀以降であるが,その起源は遠く古代にさかのぼる。原始時代,人類が獲物を追って走り,跳び,槍や石を投げた動作が原形といえるが,競技としての陸上競技は,前776年にギリシアのオリュンピアで開かれた古代オリンピック第1回大会が記録に残っている。このときは直線の短距離競走(1スタディオン=オリュンピアでは約192m)だけが行われ,エリス出身のコロイボスが優勝した。古代オリンピックは,以後4年に1度のペースで実に1000年以上も続き,現在の陸上競技種目に相当するものが加わっていった。たとえば第14回大会(前724)には往復競走(2スタディオン)が加わり,さらに長距離競走(7~24スタディオン),五種競技(短距離,幅跳び,円盤投げ,槍投げ,レスリング)などが登場している。古代ギリシアのつぼ絵などから推察すると,幅跳びは石または鉛でつくったおもりを両手に握ってはずみをつける跳び方,円盤は石や青銅でつくったもの,槍は重心近くにつけた革ひもに指を通して投げるなど,現在と形は多少異なるものの,基本的には同じである。しかし陸上競技種目中心の古代オリンピックも,393年キリスト教を信じるテオドシウス1世によって廃止された。
オリュンピアの会場も,その後2度の地震と洪水のため土に埋もれ去った。ローマ滅亡以後のヨーロッパは混乱状態のうえに,肉体を罪悪視するキリスト教の時代が続く。1154年にロンドンの広場で石投げや競走があったという記録も残っているが,これは戦闘の予備訓練であり,真のスポーツではなかった。
陸上競技がルール化され,近代的な形をとり始めるのはルネサンス以後である。イギリスでは上流階級の人たちが各自の馬丁に長距離を競走させ,賞金を賭けるという形で始まった。1720年には4マイル(約6400m)を走って1000ポンドの賞金をもらった馬丁の記録が残っている。こうしたレースは,当初こそ下層階級のスポーツとみられていたが,やがて上流階級の青少年にもランニングへの関心をあおるようになり,パブリック・スクールやカレッジの生徒たちに浸透していった。本格的な陸上競技会の始まりは,1864年の第1回オックスフォード対ケンブリッジの大学対校競技会だといわれる。そして66年にはイギリス陸上選手権大会を開催,この大会で厳格なアマチュア規則を制定したため,賞金目当ての職業ランナーなどが姿を消した。さらに80年には世界初の国内陸上競技の統轄団体としてイギリス陸上競技協会Amateur Athletic Association(AAA)が誕生した。イギリスで生まれた近代陸上競技は,軍人や留学生などを媒介としてアメリカ,カナダ,フランス,ドイツなどへと広がった。
古代オリンピックの復活をめざして1896年アテネで始まった近代オリンピックの第1回大会には,水泳,テニス,体操など9競技が行われたが,中心となったのは古代オリンピックでも主要部分をなしていた陸上競技だった。開会式後の最初の種目が陸上競技の100mだったことも象徴的である。以後陸上競技はオリンピックが隆盛を重ねるごとに参加国,選手数を増やし,メイン・イベントとしての地位をますます固いものにしていった。オリンピックにからんで陸上競技の国際組織づくりも着々と進み,1912年国際陸上競技連盟International Association of Athletics Federations(IAAF)が結成され,第1次世界大戦後の21年には国際競技規則を制定,世界記録の公認制度も決定した。第2次世界大戦後も陸上競技はオリンピックのメイン・イベントとして発展を続け,83年には世界選手権を新設,第1回大会をフィンランドのヘルシンキで開催した。以後4年ごとに開催していたが,91年の第3回東京大会以降は2年ごとに変わった。発足当時17ヵ国だった国際陸連加盟国は現在209ヵ国・地域(1997)で,国際スポーツ界最大の組織の一つとなった。
陸上競技の記録も年々やむことのない進歩を遂げた。その大きな要因としては,科学技術の進歩に伴う競技施設や用具の改良,トレーニング技術の向上などが挙げられる。
競技場の走路についていえば,当初は校庭などの地面が使われていたが,やがてコークスを敷きつめたシンダートラックcinder track,そして雨の日でも水はけの良い煉瓦の粉状の人工土を敷いたアンツーカEn-Tout-Cas(商標)と変化していった。1968年のメキシコ・オリンピック大会から登場したタータンTartan(商標)は革命的な変化をもたらした。合成ゴムを流し込んで固めたこのトラックは,どんな雨の日でも競技を可能にする全天候型で,さらにその弾力性ゆえに競走種目や跳躍種目の記録が大幅に向上するという副産物をもたらした。用具の進歩では棒高跳びのポールが挙げられる。木から始まって日本製の竹,そして戦後はスチールと変化していったポールは,1960年代に出現したグラスファイバー・ポールによってイメージを一変した。従来は軽くて折れにくいポールをいかに探すかが主眼だったが,ガラスの繊維でつくったこのポールは,その弾力性を利用しての記録づくりをはじめからめざしたものだった。しかし施設や用具の力を借りて記録を伸ばすのは邪道だとする批判もある。
一方,トレーニング技術,競技技術の進歩によっても,記録は着実に伸びていった。たとえば第2次世界大戦後出現したスピード養成主眼のインターバル・トレーニングは,長距離に革命的な進歩をもたらし,E.ザトペック(チェコ),V.P.クーツ(ソ連)などの大選手を生んだ。走高跳びも当初は重心を最も高く上げる正面跳びだったが,バーの上で体を倒すウェスタンロール,さらにバーの上で腹ばいになるベリーロールと変化した。さらに68年のメキシコ・オリンピック優勝者フォスベリーRichard Fosbury(アメリカ)は,背中でバーを越し,頭からピットに落ちる背面跳びを考案,結果的にはこれが最も合理的であることがわかり,世界記録は大きく向上した。しかし,これも棒高跳びの場合と同様,かつて硬い砂場だった落下場所がソフトラバーを敷き詰めた柔らかいピットに変わったという着地面の改良がなければ実現しなかったことであろう。1950年代に砲丸投げで後ずさりにステップする投法を考え出したオブライエンW.P.O'Brien(アメリカ)や,ハンマー投げでの4回転ターンの技術開発などの成果は記録向上に多大の貢献をした。
タイムの計測,距離の測定も驚異的な進歩を遂げた。かつてタイムの計測といえば,ゴールに居ならぶ計時員がスターターのピストルから上がる煙を見てストップウォッチを押し,ゴールのテープを切った瞬間止めるという手作業(手動計時)で行い,計時も10分の1秒単位であった。ところが1964年の東京オリンピック大会から全自動電気計時による写真判定が採用された。スターターのピストルが撃たれると同時に電気で連動して時計が動き始め,決勝線では,100分の1秒単位の目盛が記された写真の画面に競技者の走姿が写るしくみとなっている。自動タイム測定装置でタイムと順位は即座に出るが,接戦で判定が微妙なときは,審判はこの写真を見て順位とタイムを決める。最近では,オリンピックなど公式の大会のすべてにこの電気計時が採用されている。投てき種目の距離測定も,従来は巻尺で投げた地点から落下地点までを計っていたが,東京オリンピック大会では全距離を計測せず,途中のポイントから落下地点までを短い巻尺で計測するカンタブリアンシステムが採用された。また72年のミュンヘン大会では落下地点にプリズム反射鏡を置き,スタンドから望遠鏡つきの計測器で三角測量形式にコンピューターで距離を測るなどの新技術が開発された。走幅跳び,三段跳びでも砂場の横に平行に測定器を置き,ただのぞくだけで距離が測定できる。このような技術や用具の進歩とともに,欧米を中心に冬季にも室内競技会が可能となり,競技者は年間を通じて競技を行うようになっている。
古代オリンピックでは女子の参加は禁止されていたが,近代オリンピックでの女子の参加は1928年のアムステルダム大会からだった。当時は男子の22種目に対し女子はわずか5種目。しかも800mはレース後選手が次々と倒れたため,60年のローマ大会に800mが復活するまで女子の種目は200mの距離が最高とされた。しかし第2次世界大戦後の女子の体力向上は目覚ましく,1960年代から80年代にかけて長距離種目が相次いで増え,84年のロサンゼルス・オリンピック大会ではマラソンまでが新種目として登場した。最近では男子は24種目でほとんど増えていないのに対し,女子は88年ソウル大会で1万m,92年バルセロナ大会で10km競歩(2000年シドニー大会から20km競歩),96年アトランタ大会で三段跳びと5000m,2000年シドニー大会で棒高跳びとハンマー投げ,08年北京大会で3000m障害が追加され,計23種目となった(表
日本に陸上が伝わったのは明治時代で,競技会としては1874年東京の海軍兵学寮で開かれたものが最初である。イギリスから指導者を招いての運動会だったが,短距離走,走幅跳び,砲丸投げなどの種目があった。その後78年には札幌農学校で,83年にはイギリス人のF.W.ストレンジによって東京大学でそれぞれ第1回の運動会が開かれた。以後東大の運動会は年々盛んとなり,一高,学習院,早大,慶大など他校の選手を招く競技会も行うなど,東大が陸上競技の中心となった。この東大運動会で好記録を出した藤井実(東大)が大きな話題となった。1911年には大日本体育協会(現在の日本体育協会)が組織され,オリンピック予選会が開かれた。これが大学を離れて開かれた最初の陸上競技会だった。12年のストックホルム・オリンピック大会には短距離の三島弥彦,マラソンの金栗四三の陸上選手2人が参加したが,結果は惨敗だった。しかしこれ以後,陸上競技は日本でもオリンピックの中心を占めることになった。13年には第1回の日本陸上競技選手権大会が開かれた。
1924年のパリ・オリンピック大会では織田幹雄が三段跳びで6位に初入賞。25年には日本陸上競技連盟が創設され,28年のアムステルダム・オリンピック大会では織田が三段跳びで待望の金メダルを獲得,陸上競技は黄金時代に入っていった。ことに三段跳びでは織田に続き,南部忠平(1932年ロサンゼルス大会),田島直人(1936年ベルリン大会)が金メダルをとり,オリンピック3連勝,女子ではアムステルダム大会の800mで人見絹枝が2位に入ったほか,棒高跳びの西田修平,大江季雄,三段跳びの原田正夫,大島鎌吉など多くのメダリストが輩出した。第2次世界大戦後はしばらく低迷が続いたが,やがてマラソンを中心に活躍が見られるようになった。オリンピックのマラソンでは男子は64年の東京大会で円谷幸吉(3位),68年メキシコ大会の君原健二(2位),92年バルセロナ大会の森下広一(2位)の3人がメダルを獲得した。女子では有森裕子が92年バルセロナ大会(2位)と96年アトランタ大会(3位)で連続メダリストとなり,2000年シドニー大会で高橋尚子,04年アテネ大会で野口みずきがいずれも優勝し,オリンピック2連勝を果たした。また世界選手権でも男子は谷口浩美が91年の第3回大会,女子は93年の第4回大会で浅利純子,97年の第6回大会で鈴木博美が優勝した。また,これまで外国選手の前に問題にならなかったトラック種目でも97年の世界選手権1万mで千葉真子が3位,96年のアトランタ・オリンピックでは5000mで志水見千子が4位に入賞するなど最近は女子長距離選手の躍進が特に目だっている。
大別すると,(1)競技場内の走路(トラック)を使ってタイムを競うトラック競技,(2)走路以外のフィールド上で距離や高さを競うフィールド競技,(3)それ以外の競歩,クロスカントリー・レース,道路競走となる。トラック競技とフィールド競技の複数種目で得点を争うものを混成競技という。
ピストルの発射音でスタート,競技者の胴体(頭,首,腕,手,脚,足は含まれない)がフィニッシュラインの垂直面に到達したところまでのタイムを測定,順位を決める。400mまでの競走はスターティング・ブロックを用いるが,スターターのピストルが鳴る以前に競技者の足がブロックを蹴ると,フライング(不正出発)とわかるようにセットされている。現在は2回目にフライングを犯した選手が失格となる。種目としては,競走競技,ハードル競走,障害物競走,リレー競走がある。トラックは通常1周400mで,レーンの幅は日本では1.25mと統一されており,400mまでのレースはすべて各人の決められたレーン内を走らなければならない(セパレート)。200m,400m,800m,400mハードル,4×100mリレー,4×400mリレーは階段式スタートで,800mは最初の120mまでセパレート,あとはオープンとし,4×400mリレーでは第1走者がセパレート,第2走者もバックストレートに入るまでセパレートであとはオープンとなる。また200mまでのすべてのレースでは追風が平均秒速2mを超えた場合,記録は公認されない。タイムの測定は(1)手動計時,(2)電気計時の二つがある。手動計時では1人の競技者のタイムをとるために3人の計時員を置く。3人の時計のうち2人が一致したときはそのタイム,3人とも違った場合はその中間のタイムが正式計時となる。時間はすべて10分の1秒単位で計時される。国際競技会や国内選手権クラスの大会ではほとんどの場合電気計時を採用している。この場合,1万m以下のすべてのレースでは,100分の1秒表示の全自動電気計時装置により計時され,100分の1秒単位で表示される。競技場外で行われるレース(たとえばマラソン)はすべて100分の1秒単位で計時し,秒単位に繰り上げられる。
短距離sprintingとして100m,200m,400mなど,中距離middle distanceとして800m,1500m,3000mなど,長距離long distanceとして5000m以上の競走がある。100mは直走路を走り,スタート技術の巧拙が大きく影響する。
男子110m,400m,女子100m,400mなどがある。ハードルは金属製の支柱に木製の横木を渡したものが多く,10個を跳び越す。高さは競技によって異なる。故意でなければハードルを倒しても失格ではないが,足が外側にはみ出て横木より低いところを通過すると失格となる。
男女とも3000mなど。3000mの場合,トラック1周上に,男子が高さ91.4cm,女子が76.2cmの障害物4個と水濠(深さ70cm)1個を設け,7周する間に障害物を28回と水濠を7回跳び越える。1周の4番目に水濠を越えるようにするが,水濠はトラックの内,外どちらに設置してもよい。水濠の手前にも障害物が置かれ,競技者は水濠を越えるか中に入って進まなければならない。
男女とも4×100m(400m),4×400m(1600m)など。いずれも4人の走者がバトンをパスしながら継走する。バトンは必ず手で持ち運び,落としたときは落とした走者が拾わなければならない。他のレーンに落とした場合でも他の走者を妨害せず,拾い上げて自分のレーンに戻った場合は失格とならない。バトンの受渡しは発走線の前後10m,計20mのテークオーバーゾーン内で完了しなければならない。
男女とも跳躍競技(走高跳び,走幅跳び,三段跳び,棒高跳び)と投てき競技(砲丸投げ,円盤投げ,ハンマー投げ,槍投げ)に分かれる。
走幅跳びlong jumpと三段跳びtriple jumpは水平方向の距離を競う種目。距離は踏切板の砂場側の線(踏切線)と着地点までの距離を計測する。競技者には3回の試技が許され,8位(ベストエイト)まではさらに3回の試技を許される。助走の長さに制限はないが,踏切板をはみ出した場合は無効試技(ファウル)となる。両種目とも2mを超える追風がある場合,記録は公認されない。三段跳びは踏切板で第1歩(ホップ)を踏み,同じ足で第2歩を着地,さらにその足で跳躍(ステップ)に移り,反対側の足で第3歩を着地して最後の跳躍(ジャンプ)に入るため,かつてはhop, step, and jumpといわれた。跳躍中踏み切った足でない方が地面に触れると無効試技となる。走高跳びhigh jumpと棒高跳びpole vaultは,垂直方向,つまり高さを争う種目で,一つの高さに対し競技者は3回の試技が与えられる。3回とも失敗すれば次の高さへの権利を失い,成功すれば次の高さへの挑戦権を得る。同記録の場合は,その高さの試技数が最も少なかった者,それでも決まらないときは同記録に至るまでの全体の無効試技数が最も少ない者が上位になる。助走の長さに制限はない。バーを落とすほか,走高跳びではバーの下をくぐりぬけると無効試技となり,棒高跳びではポールを箱に突っこんだあと両足が地面を離れたら,体がバーまで届かなくても無効試技に数えられる。棒高跳びのポールの材質や長さ,太さに制限はない。試技中にポールが折れたときは無効試技とはならず,やり直しができる。
投げられた物体の到達距離を競う。砲丸投げshot putは肩から片手だけで投げる。構えたときは,砲丸をあごにつけるか,まさにつけようとする状態を保持しなければならない。砲丸の重量は男子7.260kg,女子4kg以上,直径男子110~130mm,女子95~110mmである。円盤投げdiscus throwは木製の胴に金属製の輪をつけたものを片手で投げる。円盤の重量は男子2kg,女子1kg以上,直径男子219~221mm,女子180~182mmである。ハンマー投げhammer throwは金属球に鋼鉄線をつなぎ,その端のハンドルを両手に持って振りまわし,遠心力を利用して投げる。ハンマーの全長は男子117.5~121.5cm,女子116.0~119.5cm,総重量は男子7.260kg,女子4kg以上。砲丸投げ,円盤投げ,ハンマー投げともコンクリート,アスファルトなどでつくられたサークルから投げ,前方左右34.92度の範囲に落ちたものを有効とする。サークルは砲丸投げとハンマー投げが直径2.135m,円盤投げは直径2.5m。円盤投げ,ハンマー投げは危険防止のため,U字形のかこい(金網)を設ける。槍投げjavelin throwは,金属製の柄の先端に金属製の穂先が固定された槍を片手で投げる。その場合,必ず握りの部分を持って助走し,肩または投げる方の腕の上で投げる。振り回したり,回転したりして投げてはならない。前方29度が有効角度で,その範囲内で穂先から落下しないと記録は認められない。槍は全長が男子260~270cm,女子220~230cm,重量が男子800g以上,女子600g以上。投てき競技は,走幅跳び,三段跳びと同様3回の試技が許され,上位8位までがさらに3回の試技を許される。記録の測定にあたっては,いずれも1cm未満を切り捨てる。
競歩の定義は,いずれかの足が,常に地面から離れないようにして前進することをいう。したがって,競技者の前足は後足が地面から離れる前に必ず地面に接していなければならない。また,支持脚は地面に垂直になったときに,少なくとも一瞬の間はまっすぐになっていなければならない。つまり,その瞬間,支持脚のひざは曲がっていてはいけない。一般に3000m~50kmの距離で行われ,トラックまたは道路を用いる。なお,オリンピックの20km競歩,50km競歩は道路競技であるため,世界公認記録とはならず,〈世界最高〉などと表現する。
丘や野山をかけめぐる競走。トラックシーズンが終わった冬季に長距離選手がトレーニングの一つとして行うことが多い。
一般の道路を走る競技。マラソンや日本の駅伝競走がこれにあたる。道路競走は下り坂の多い一本道コース,追風の多いコースあるいはその逆など,道路の状況,コースの選び方など条件が一定していないため記録の公平な比較ができず,世界記録としては公認しない。〈世界最高〉などの表現で競技場内でのレースの公認記録とは別扱いにしている。
トラック競技とフィールド競技を組み合わせた複数種目を一人で行い,その成績を点数に換算して合計点を争う競技。走る,跳ぶ,投げるのオールラウンドの能力が要求されるため〈キング・オブ・スポーツ〉ともいわれている。現在のオリンピックでは男子は十種競技decathlon(第1日=100m,走幅跳び,砲丸投げ,走高跳び,400m。第2日=110mハードル,円盤投げ,棒高跳び,槍投げ,1500m),女子は七種競技heptathlon(第1日=100mハードル,走高跳び,砲丸投げ,200m。第2日=走幅跳び,槍投げ,800m)を記載の順番に行う。
混成競技の起源は古く,古代オリンピックでは男子のみだったが五種競技pentathlonが,短距離,幅跳び,円盤投げ,槍投げ,レスリングの5種目で行われていた。近代オリンピックでも1912年のストックホルム大会からすでに十種競技として行われている。64年の東京オリンピックからは女子の五種競技pentathlon(80mハードル(1972年から100mハードル),砲丸投げ,走高跳び,走幅跳び,200m)が登場。その後女子は体力の向上に伴い,84年ロサンゼルス大会からは2種目を増やし七種競技に変更された。
いずれも,記録に応じて点数を列記した混成競技採点表に従い,各種目の合計点で順位を決める。走幅跳びと投てき種目は3回だけの試技が許され,そのうちのベスト記録が採用される。棒高跳び,走高跳びは一つの高さに3回ずつの試技が許される。フライングは2回目に失格となる。200mまでの種目のうち,どれかで追風が平均秒速4mを超えた場合,全体の記録も公認されない。
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