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風土記

ジャパンナレッジで閲覧できる『風土記』の世界大百科事典・日本古典文学全集のサンプルページ

改訂新版・世界大百科事典
風土記
ふどき

奈良の地に壮大な都城(平城京)が造営され,大化改新後の地方制度も整備された元明天皇時代に,諸国の国司・郡司を総動員して作成させた郷土誌的文書をいう。中国の制度文物の移植に熱心な時代だから,中国で多く作られた地誌類に範をとったものであろうが,とくに南北中国を統一した隋代に《諸郡物産土俗記》151巻があったということ(《隋書》経籍志)は,もっとも注意さるべきであろう。

《続日本紀》和銅6年(713)5月2日条に〈畿内七道諸国は,郡郷の名は好き字を著け,その郡内に生ずるところの銀銅,彩色,草木,禽獣,魚虫等の物は具(つぶさ)にその品目を録し,及び土地の沃塉(よくせき),山川原野の名号の所由(いわれ),また古老相伝の旧聞異事は,史籍に載せて言上せよ〉とある。この命令を大きく分ければ,前半は物産関係条項,後半は土俗関係条項となるが,これを風土記撰進のことであるとしたのは,平安時代の天台の学僧阿闍梨皇円述作の《扶桑略記》(1094ころ)である。彼がどんな資料によったかは不明だが,現在からみても妥当である。ただ発令の当初から風土記という書名がつけられていたかどうかは定かでない。むしろ下命された各条項を一括して上級官司(太政官または民部省)に奉答するという形で,当時の法律用語では解(げ)とよばれる報告書として上申された公文書であるとするのが穏当であろう。すなわち現存の《常陸国(ひたちのくに)風土記》の冒頭に〈常陸国司解(げ)し申す,古老相伝の旧聞の事〉と書かれているのがその適例である。

これらの報告文書は,和銅(708-715)当時の日本の総国数を62国とすれば60巻を越す大集成となり,そのころ編修されていた《日本書紀》を縦糸とすれば,これは横糸となるはずのものであった。この時期のもので比較的まとまった形で現存しているのは常陸と播磨(はりま)の2国分だけだが,いずれも715年(霊亀1)以前の姿を伝え,下命後4~5年で成立したものと見ることができる。この文書は2通か3通作られ,それぞれ地元の国庁と中央の官庁に保存されていたが,これに風土記の名称が与えられるようになったのは,中国の風土記に魅せられた平安時代の学者文人たちによるものであり,平安初期から鎌倉時代にかけ定着したようである。貞観(859-877)ころ成立の《令集解》仮寧(けによう)令には,風土と郷土を同一視した例も見えている。だが風土記とよばれるものには和銅度のもののほかに,20年後の733年(天平5)に成った《出雲国(いずものくに)風土記》もあるが,これは節度使が編修主体となったもので,軍事的要素が加味されて実用性の強い地誌としてあらわれている。〈和銅風土記〉とはやや異質のものだが,この期のもの(豊後(ぶんご)・肥前(ひぜん)の風土記など)を含めて〈古風土記〉とよんでいる。記紀には見ることのできない地方民衆の風俗や民間伝承が豊富に盛られている点できわめて貴重な古典である。しかし,現在残っているのは以下に記す5国分だけであり,それ以外の国のものは,今では,平安末から鎌倉末にかけて輩出した古典注釈家その他の著書に部分的に引用された文章を通じて知りうるのみである。それらの引用された文章は〈風土記逸文〉とよばれているが,山城国の賀茂伝説,丹後国の浦島子(浦島太郎)伝説など,逸文にみえる貴重な伝承は少なくない。

《常陸国風土記》

713年の風土記撰進の官令に答えて国司から中央官庁に提出された報告書の形式をとっており,とくに古老相伝の語りごとに重きをおいて書いたものであることを冒頭で述べている。事実,物語性に富む説話や歌謡が多いことでは現存風土記中抜群である。倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)の巡幸伝説をはじめ,祖神巡幸譚,嬥歌(かがい)や歌垣をめぐる恋愛伝説,巨人伝説,白鳥伝説,夜刀神(やとのかみ)伝承など,東国の民間伝承の宝庫の観がある。しかもその文章は当時の文人たちに愛用された四六〓驪(べんれい)体とよばれる華麗な漢文を用い,神仙思想で装われていて,一種の文学的世界を形づくっている。成立は713年からほど遠からぬところにあり,718年(養老2)を下らぬであろうとするのが普通である。この時期の国司には阿部狛朝臣秋麻呂,石川朝臣難波麻呂,藤原宇合がいるが,そのいずれを撰者と見るかは確定しえない。ただ現伝本は鎌倉時代末期に省略の手が加えられ,白壁,河内の2郡をまったく欠き,省略がないのは総記と行方(なめかた)郡の分だけである。

《播磨国風土記》

713年の風土記撰進の官命に応じて中央官庁に提出された文書(解)で,官命に指定された条項にもっとも忠実に答えようとしており,山川原野・里名の由来はあまねく採集し,土壌の品質についても上ノ中,中ノ下,下ノ中などと分類していちいち注記しているのは注意すべきである。土地の生産性の高低はそこに生活する人たちの生産性を規定せずにはおかないし,播磨には鉄の生産地や土器や石材の生産地が存在することと関係して考えさせるものがあるからである。ことに帰化人の移動についての記事も多く,文章も平明な漢文でつづられ,民衆の伝承を素直に写している点では希有なものといってよい。天皇としては景行の巡幸伝説が多く,神には天日槍(あめのひぼこ)や大汝(おおなむち)命,少日子根(すくなひこね)命が活躍することも注意される。成立は和銅6年に近い時期で,国司としては守(かみ)に巨勢朝臣邑治,その部下に百済の帰化人の子楽浪河内がいる。両者の合作と見てよかろう。ただ本書は巻首部と明石郡の部を欠失し,赤穂郡の分がないのは惜しまれる。

《出雲国風土記》

略して《出雲風土記》ともいう。現存する奈良時代成立の風土記のなかでは首尾完備した唯一の完本として有名である。巻末には〈天平五年二月三十日勘造〉と明記され,その責任者国造出雲臣広島以下諸郡司の署名がある。本書の成立については江戸時代から,和銅の風土記撰進の官命によるものとする説と,天平の再撰とする説とがあったが,現在では,地方軍政の整備のために732年(天平4)8月に諸道に設置された節度使(せつどし)の派遣と関係づけてとらえる説が有力であり,これを〈和銅風土記〉に対して〈天平風土記〉とよぶことがある。出雲では天平4年に山陰道節度使となった民部卿多治比真人県守が作成に関与したと見られる。本書は国内のすべての通路や山の高さや川幅が歩をもって厳密に計測され,烽(とぶひ)や関や戍(まもり),軍団などの軍事施設が列挙され,軍用地図の記録化といった観がある。なお本書の巻首には出雲の版図の成立を神話的に語った国引き神話があって,古代文学の原型的なものとして注目されるが,その一面では本草学や測量術の高度な知識で記載されていることも注意してよい。

《豊後国風土記》

〈とよくにのみちのしりのふどき〉ともよむ。成立については定かではないが,732年に藤原宇合が西海道節度使となったとき,大宰府管下の諸国に風土記の撰進を命じたものを,大宰府官人が抄録して1冊の本にまとめたものと見られる。本書には《日本書紀》の文章と近似するものが多いが,これは抄録の過程で官人たちによって《書紀》に依拠して構文されたからであるらしい。

《肥前国風土記》

〈ひのくにのみちのくちのふどき〉ともよむ。本書は《豊後国風土記》と同様の過程をとって編纂されたものと考えられ,抄録であることも記載形式も近似している。両者とも景行天皇の西征伝説を中心において,土蜘蛛(つちぐも)や熊襲(くまそ)の討伐を語ることが多く,《日本書紀》の文章を借用したものがある点も同様である。この点で早くから偽書とする説もあったが,在地伝承もあるから単純に偽書とすべきではない。なお両書を含めて西海道風土記,九州風土記などとよばれることもある。
[吉野 裕]

[索引語]
扶桑略記 和銅風土記 古風土記 風土記逸文 倭武天皇 天日槍 大汝(おおなむち)命 少日子根(すくなひこね)命 出雲国風土記 天平風土記 豊後国風土記 肥前国風土記 西海道風土記


新編 日本古典文学全集
風土記
ふどき
【閲覧画面サンプル】
風土記 全体

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【現代語訳】
〔一〕
賀古の郡。…天皇が、まわりを遠く見わたしておっしゃったことには、「この国土は、丘と原と野とがとても広々としていて、この丘を見るとまるでカコ(鹿の子)がひとりで立っている姿のようだ」と仰せられた。それでこの地を名づけて賀古の郡というのである。

日岡。〔この丘に鎮座なさっている神は、大御津歯の命の子である伊波都比古の命である〕狩りをなさった時に、逃げてきた鹿がこの丘に走り登って悲しげに鳴いた。その声はピーと聞こえた。それでこの丘をピーの岡、つまり日岡と名づけたのである。

この岡に比礼墓がある。褶墓と名

【目次】
目次
古典への招待
凡例

播磨国風土記(扉)
〔一〕賀古の郡
〔二〕餝磨の郡
〔三〕揖保の郡
〔四〕讃容の郡
〔五〕宍禾の郡
〔六〕神前の郡
〔七〕託賀の郡
〔八〕賀毛の郡
〔九〕美嚢の郡
播磨の国の地名(南)
播磨の国の地名(北)
出雲国風土記(扉)
〔一〕総記
〔二〕意宇の郡
〔三〕嶋根の郡
〔四〕秋鹿の郡
〔五〕楯縫の郡
〔六〕出雲の郡
〔七〕神門の郡
〔八〕飯石の郡
〔九〕仁多の郡
〔一〇〕大原の郡
〔一一〕巻末記
出雲の国の地名(北)
出雲の国の地名(南)
豊後国風土記(扉)
〔一〕総記
〔二〕日田の郡
〔三〕球珠の郡
〔四〕直入の郡
〔五〕大野の郡
〔六〕海部の郡
〔七〕大分の郡
〔八〕速見の郡
〔九〕国埼の郡
豊後の国の地名
肥前国風土記(扉)
〔一〕総記
〔二〕基肆の郡
〔三〕養父の郡
〔四〕三根の郡
〔五〕神埼の郡
〔六〕佐嘉の郡
〔七〕小城の郡
〔八〕松浦の郡
〔九〕杵嶋の郡
〔一〇〕藤津の郡
〔一一〕彼杵の郡
〔一二〕高来の郡
肥前の国の地名
常陸国風土記(扉)
〔一〕総記
〔二〕新治の郡
〔三〕筑波の郡
〔四〕信太の郡
〔五〕茨城の郡
〔六〕行方の郡
〔七〕香島の郡
〔八〕那賀の郡
〔九〕久慈の郡
〔一〇〕多珂の郡
常陸の国の地名
逸文(扉)
〈摂津の国〉
住吉
比売嶋の松原
長楽【断片】
山背との堺(水無瀬)【断片】
夢野 刀我野
波比具利の岡 歌垣山
美奴売の前の神【断片】
美奴売の松原
塩之原山 塩の湯(有馬の湯) 久牟知の川
下樋の山
稲倉の山
稲椋の山
土蛛
〈山背の国〉
賀茂の社
三井の社
宇治
木幡の社
荒海の社
南郡の社
水渡の社
伊勢田の社
可勢の社
〈伊勢の国〉
伊勢の国の号(一)
伊勢の国の号(二)(石城)
的形の浦
〈尾張の国〉
吾縵の郷
熱田の社
〈駿河の国〉
富士の山の雪【断片】
〈相模の国〉
見越の崎 伊曽布利
〈常陸の国〉
新治・白壁・筑波・香嶋・那賀・多珂【断片】
大神の駅家
枳波都久の岡【断片】
信太の郡 日高見の国
信太の郡の由縁
賀久賀の鳥【断片】
大谷の村(琴瑟 比佐頭)【断片】
久慈理の岳【断片】
道の後 桁藻の山【断片】
三柱の天皇【断片】
賀蘓理の岡【断片】
尾長鳥 酒鳥【断片】
伊福部の岳(績麻)【断片】
〈陸奥の国〉
八槻の郷
飯豊の山
〈越の国〉
八坂丹【断片】
八掬脛【断片】
〈丹後の国〉
天の椅立 久志浜
筒川の嶼子(水江の浦の嶼子)
比治の真奈井 奈具の社
〈伯耆の国〉
粟嶋
震動の時【断片】
〈播磨の国〉
尓保都比売の命
明石の駅家 駒手の御井 速鳥
〈美作の国〉
美作の国の守 上毛野の堅身【断片】
勝間田の池【断片】
〈備中の国〉
迩磨の郷
〈備後の国〉
疫隅の国つ社 蘇民将来
〈淡路の国〉
鹿子の湊【断片】
〈阿波の国〉
中の湖【断片】
勝間井の冷水【断片】
奈汰の浦(奈佐の浦)【断片】
三柱の天皇【断片】
アマノモト山【断片】
〈伊予の国〉
御嶋(大山積の神)
熊野の岑
湯の郡 伊社迩波の岡
二の木【断片】
後の岡本の天皇の御歌(みぎたづに…)【断片】
息長足日女の命の御歌(橘の…)【断片】
天山
〈土左の国〉
土左の高賀茂の大社
土左の大神の子(御子神)
鴨部の郷【断片】
朝倉の郷
玉嶋
神河(三輪川)
〈筑紫の国〉
か襲の宮【断片】[乙類か]
子饗の原 芋み野[乙類]
塢舸の水門 阿斛嶋 資波嶋[乙類]
西海の道の節度使 藤原宇合【断片】[乙類]
磐井の墓[乙類]
自然の氷室【断片】[乙類]
ひれ揺の岑[乙類]
杵嶋[乙類]
閼宗の岳[乙類]
水嶋[乙類]
吐濃の峰 韜馬の峰【断片】[乙類か]
韓のくし生の村【断片】[乙類か]
沙虱 耆小の神【断片】[乙類か]
閼駝の郡の竹屋の村【断片】[乙類か]
常世の祠 朴樹【断片】[乙類か]
寄柏 御津柏【断片】[乙類]
長木綿 短木綿【断片】[乙類]
〈筑前の国〉
資珂の嶋[甲類]
瀰夫能泉[甲類]
怡土の郡[甲類]
児饗野 児饗の石[甲類]
大三輪の神社[甲類]
〈筑後の国〉
筑後の国の号[甲類]
生葉の郡[甲類]
三毛の郡[甲類]
〈豊前の国〉
鹿春の郷[甲類]
鏡山[甲類]
〈肥後の国〉
肥後の国の号 火の国[甲類]
長渚の浜 尓陪の魚[甲類]
阿蘇の郡[甲類]
〈日向の国〉
日向の国の号[甲類]
知鋪の郷[甲類]
高日の村 三輪の神の社[甲類]
〈大隅の国〉
必志の里[甲類]
串卜の郷[甲類]
〈壱岐の嶋〉
鯨伏の郷[甲類]
〈筑前の国〉
胸肩の神躰【断片】[甲乙不明]
〈筑後・肥後の国〉
腹赤の魚【断片】[甲乙不明]
〈大隅の国〉
クチカミノ酒(醸酒)【断片】[甲乙不明]
逸文参考
〈大和の国〉
御杖神宮
大口真神原
三山
天津神命 石津神命(三都嫁)
〈河内の国〉
百済村
〈摂津の国〉
難波高津
味耜山(大小橋山)
形江
吹江(深江)
難波堀江の歌(堀江の一橋)
味野原
味経原
八十頭島(八十島)
御魚家
御津のうみ(不載)
籤稲村
広田明神 御前浜 武庫
〈山背の国〉
鎮火
賀茂祭祀 乗馬始源
桂里
南鳥部里 的餅化鳥
伊奈利社
宇治橋姫
八十氏防人
宇治隴津屋
石田
〈伊賀の国〉
伊賀国号
伊賀津姫 伊賀国号
カラコト
〈伊勢の国〉
度会郡
度会 佐古久志呂
五十鈴
宇治郷
滝原神宮
八尋機殿
多気郡
服機社(不載)
麻績郷(不載)
安佐賀社
稲生社
〈志摩の国〉
吉津島
〈尾張の国〉
尾張国号
川嶋社
福興寺(三宅寺)
玉置山 星池(星石)
阿波手の森(咲ふ山)
宇夫須那社(不載)
葉栗尼寺(不載)
大呉里(不載)
張田邑(不載)
藤木田(不載)
登々川(不載)
徳々志(不載)
〈参河の国〉
豊河(不載)
矢作河
〈遠江の国〉
白羽官牧(不載)
〈駿河の国〉
駿河国号
神女羽衣(三保松原)
てこの呼坂 不来見の浜
〈伊豆の国〉
伊豆国 奥野神猟(猟鞍)
奥野 伊豆船(造船)
日金嶽
伊豆温泉
〈甲斐の国〉
菊花山
〈相模の国〉
足軽山
〈下総の国・上総の国〉
下総・上総国号
〈常陸の国〉
かひや
沼尾池(不載)
係蘇(不載)
〈近江の国〉
淡海国号(細浪国)
八張口神社 左久那太李神
息長川(不載)
伊香小江
竹生島
注進風土記事(不載)
〈美濃の国〉
金山彦神 一宮
〈飛騨の国〉
飛駄国号
〈信濃の国〉
その原ふせや はゝき木
〈陸奥の国〉
浅香沼(不載)
塩竈明神(不載)
〈若狭の国〉
若狭国号
〈越前の国〉
気比神宮
〈佐渡の国〉
針原(不載)
〈丹波の国〉
注進風土記事(不載)
〈丹後の国〉
丹波国号
匏宮 与佐郡由縁
凡海
常世嶋 男嶋女嶋
〈因幡の国〉
稲葉国
宇倍神社(武内宿祢)
白兎(不載)
〈伯耆の国〉
伯耆国号
〈石見の国〉
人丸(不載)
〈播磨の国〉
八十橋
藤江浦(不載)
〈備前の国〉
牛窓
〈備中の国〉
松岡(今新造)御宅
宮瀬川
〈長門の国〉
赤間関
〈紀伊の国〉
アサモヨヒ
手束弓
〈阿波の国〉
波高
〈讃岐の国〉
阿波嶋 屋嶋
〈伊予の国〉
湯桁の数(不載)
天山 香山
〈土佐の国〉
土左国号
土左高賀茂大社 一言主神鎮座
十市池
〈筑前の国〉
宗像郡 身形郡
宗像大神
うちあげ浜 狭手彦連
三石
神石
大城山
上座郡
〈豊前の国〉
宮処郡
菱形山 広幡八幡大神(不載)
〈豊後の国〉
餅ノ的、白鳥トナル
〈肥前の国〉
鏡の渡り 袖ふる峰
与止姫神
〈肥後の国〉
益城郡 大伴君熊凝
〈日向の国・大隅の国・薩摩の国〉
隼人
〈壱岐の島〉
新羅烏
〈所属国不明〉
妙野

紫草
ヱグ

解説
一 風土記撰進の官命と諸国の反応
二 各国風土記の書誌
三 風土記は文学書か
四 訓読について
五 逸文について
六 索引について
参考文献
付録(扉)
風土記逸文地図
「逸文」所収文献解題
奥付

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デジタル大辞泉
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7. ふどき【風土記】
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10. 風土記
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26. いずもふどき[いづもフドキ]【出雲風土記】
日本国語大辞典
官命に応じて出雲国九郡の地理、産物、古伝承などを各郡ごとに記す。現存する五つの風土記のうち唯一の完本。出雲国風土記(いずものくにのふどき)。→古風土記(こふどき ...
27. 出雲風土記(いずもふどき)
古事類苑
地部 洋巻 第1巻 106ページ ...
28. いづものくにふどき【出雲国風土記】
全文全訳古語辞典
[作品名]和銅六年(七一三)の詔によって作られた風土記の一つ。一巻。天平五年(七三三)成立。出雲国九郡の地理・産物を記し、出雲系神話も多く収められている。現存す ...
29. 近江國風土記(おうみのくにのふどき)
古事類苑
神祇部 洋巻 第1巻 1583ページ ...
30. かずさふどき【上総風土記】
デジタル大辞泉
村上元三の小説。昭和15年(1940)発表。同年、第12回直木賞受賞。  ...
31. 『紀伊続風土記』
日本史年表
1839年〈天保10 己亥〉 この年 仁井田好古ら編 『紀伊続風土記』 成る。  ...
32. 紀伊続風土記
日本大百科全書
幕末の紀伊藩の地誌。本編97巻、付録は古文書と神社が17巻、高野山(こうやさん)60巻、総分方21巻、聖方からなる。1806年(文化3)に幕府の命を受け、紀伊藩 ...
33. 紀伊続風土記
世界大百科事典
本もある。また高野山の部のみは,新版が《続真言宗全書》に収められて公刊中。小山 靖憲 紀伊続風土記 ...
34. きいぞくふどき【紀伊続風土記】
デジタル大辞泉
紀伊国の地誌。文化3年(1806)、江戸幕府の命により、紀州藩が藩内学者に編ませたもの。儒学者、仁井田好古を主任とし、仁井田長群・本居内遠・加納諸平などが編纂( ...
35. きいぞくふどき【紀伊続風土記】
国史大辞典
。近世農村史料を採訪にゆくと、今日も『紀伊続風土記』編纂に関係したものをしばしば発見する。内容は巻一・二・三からなる提綱から始まり、総論・古風土記逸文・国造・国 ...
36. 吉備路風土記の丘県立自然公園
日本大百科全書
岡山県南部、岡山市北区、総社(そうじゃ)市にまたがる自然公園。面積8.9平方キロメートル。旧山陽道に沿い、吉備地方の文化財が群集している。吉備史跡県立自然公園の ...
37. こ‐ふどき【古風土記】
デジタル大辞泉
和銅6年(713)の元明天皇の詔によって編集された諸国の風土記。後世のものと区別していう語。→風土記  ...
38. こ‐ふどき【古風土記】
日本国語大辞典
命によって撰進せられた諸国の風土記を、後世所撰のものと区別していう語。現存するものは、「出雲風土記」、「播磨風土記」、「常陸風土記」、「豊後風土記」、「肥前風土 ...
39. さんていこふどきいつぶん【纂訂古風土記逸文】
日本国語大辞典
栗田寛編。明治三一年(一八九八)刊。風土記の逸文一八三条を集録、各国別に分類し諸書によって校訂した書。付録として伴信友の著「前後風土記概論」、平租衡の「弁日本総 ...
40. 『新編会津風土記』
日本史年表
1809年〈文化6 己巳〉 4・16 会津藩主松平容衆、 『新編会津風土記』 を幕府に献上(続実紀)。  ...
41. 新編会津風土記
日本大百科全書
江戸時代の代表的な地誌。会津藩祖保科正之(ほしなまさゆき)の『会津風土記』を改訂増補したもの。1803年(享和3)から編纂(へんさん)が始められ、09年(文化6 ...
42. 新編会津風土記
世界大百科事典
主松平容衆の09年(文化6)の序がある。120巻。寛文年間に保科正之の命により撰ばれた《会津風土記》を改訂増補したもの。界域・山川・寺社・戸数等が記され,またそ ...
43. しんぺんあいづふどき【新編会津風土記】
国史大辞典
端郷・道路・社寺・古跡などについて風土記の草稿をまとめ提出した。これに山崎闇斎が手を加え、序文をつけて完成したのが『会津風土記』であるが、『新編会津風土記』とは ...
44. 『新編相模国風土記稿』
日本史年表
1841年〈天保12 辛丑①〉 この年 間宮士信・松崎純庸ら27人編 『新編相模国風土記稿』 脱稿。  ...
45. 新編相模国風土記稿
日本大百科全書
1830年(天保1)『新編武蔵国(むさしのくに)風土記稿』編纂の事業が終わると、引き続いて本稿の編纂を開始し、1841年に完成した。編纂の主旨も、その体裁も『新 ...
46. 新編相模国風土記稿
世界大百科事典
1841年(天保12)成立。昌平黌地理局総裁林述斎編。全126巻。相模国の総国図説から建置沿革,山川,名所,産物,芸文と各郡村里に分かれている。文書や記録も収録 ...
47. しんぺんさがみのくにふどきこう【新編相模国風土記稿】
国史大辞典
網羅した地誌。百二十六巻。『新編武蔵風土記稿』を完成した天保元年(一八三〇)に着手し、同十二年に脱稿した。編集に携わったのは間宮士信・松崎純庸・三島政行ら二十七 ...
48. 新編武蔵国風土記稿
日本大百科全書
江戸幕府編纂(へんさん)の武蔵国の地誌。新編風土記編纂の資料とする目的で編まれたためにこの書名となった。大学頭(だいがくのかみ)林述斎を総裁として間宮庄五郎士信 ...
49. 『新編武蔵風土記稿』
日本史年表
1826年〈文政9 丙戌〉 この年 間宮士信ら 『新編武蔵風土記稿』 成る。  ...
50. 新編武蔵風土記稿
世界大百科事典
1828年(文政11)成立。昌平黌地理局総裁林述斎編。全265巻。武蔵国の総国図説から建置沿革,山川,名所,産物,芸文と各郡村里に分かれている。文書や記録も収録 ...
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