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  11. 大東町(静岡県小笠郡)

大東町(静岡県小笠郡)

ジャパンナレッジで閲覧できる『大東町(静岡県小笠郡)』の日本歴史地名大系のサンプルページ

大東町
だいとうちよう

面積:四五・九九平方キロ

小笠郡の西部にあり、南は遠州灘に面し、北は掛川市・袋井市、西は大須賀おおすか町、北東は菊川きくがわ町、東は小笠町・浜岡はまおか町に接する。町の北西は小笠山丘陵、北東は牧之原まきのはら台地丘陵部の一部から構成され、海岸部は天竜川の運んだ砂が堆積して砂丘地帯を形成している。また牧之原台地を水源とし、町域を縦貫して遠州灘に注ぐ菊川と、小笠山丘陵から流れる支流の下小笠川・佐束さづか川、牧之原台地から流れる支流の牛淵うしぶち川が下流部で合流するため、昭和になって河川改修が進むまで菊川はしばしば氾濫した。一方、これらの河川の恩恵を受けられない中央部の丘陵地帯には江戸時代から明治期にかけて灌漑用溜池が多数作られ、下小笠川右岸には北から小笠池・西にし池・はやし池・渡辺わたなべ池・長谷ながや池・しん池・居沼いぬま池などがあり、下小笠川左岸と佐束川右岸の丘陵には北から堂西どうざい池・かい沢奥さわおく池・かい沢口さわくち池・日向ひなた池・尾沢おざわ池・近江おうみ池・毛森奥けもりおく池・西之谷東にしのやひがし池・西之谷西池・池・兼政かねまさ池などがあり、また佐束川左岸にも山田やまだ池などがみられる。

古代は城飼きこう(のち城東郡と改称)に属し、土形ひじかた郷・狭束さづか郷に含まれたとみられる。北部にある比奈多乃ひなたの神社は延喜式内社と目されており、土方ひじかたの地名も応神天皇の長子大山守命の子孫である土形君にちなむとされ、町の北西部、掛川市境に位置する小笠山には文武天皇の意向により熊野三山の那智神社を勧請したと伝えられる小笠神社がある。同丘陵を南下した所に高天神たかてんじん城跡があり、今川氏没落ののち遠州の地で攻防戦を繰返した武田氏・徳川氏は、最前線である同城の攻防を繰返した。江戸時代は城東きとう郡に属し、天保郷帳によると二八村が町域に含まれた。横須賀藩領の村が多かったが、旗本領の村もあった。浜野はまの村出身の国学者八木美穂により記録された横須賀藩内の地誌「郷里雑記」によれば、遠州灘の砂丘地帯の開発は同藩の奨励のもとに行われ、寛政四年(一七九二)藩主西尾忠移が藩士塩田信助を讃岐国高松藩に派遣し、甘蔗栽培と製糖法を学ばせたとされ、また遠浅の海岸を利用しての地引網漁も、藩主西尾忠善が文化年間(一八〇四―一八)に安房国から漁師を招請し、領内の漁民に伝習させたとされる。明治二二年(一八八九)の町村制施行により千浜ちはま村・三俣みつまた村・三浜みはま村・大坂おおさか村・なか村・岩滑いわなめ村・佐束村・土方村が成立、同二九年小笠郡に所属。昭和一七年(一九四二)三俣村と三浜村が合併して陸浜むつはま村、同一八年岩滑村と佐束村が合併して佐束村が成立。同三〇年大坂村と陸浜村が合併して大坂村、同年佐束村と土方村が合併して城東村が成立。同三一年大坂村と千浜村が合併して大浜町が成立。同年城東村に中村が合併、同四八年城東村と大浜町が合併して大東町が成立した。現掛川市の大日本報徳だいにほんほうとく(明治四四年社名変更により発足)を中心とした報徳社運動は、明治六年以降急速に県内各地に普及したが、なかでも小笠郡は磐田郡と並び群を抜いて第一次世界大戦前一四九社に及んでいる。当地に星川ほしかわ報徳社が永井貞次郎ら一三人でつくられたのが明治二八年で、三二年には入山瀬いりやませ報徳社、三三年中方なかほう報徳社、三六年嶺向みねむかい報徳社、三九年落合おちあい報徳社・下土方報徳社が相次いでつくられている。

江戸時代には相良さがら(現相良町)への横須賀よこすか街道が南部を東西に横断していたが、現在ではこれに代わり国道一五〇号が浜松―静岡を結んでいる。また主要地方道相良―大須賀線、同掛川―大東線、県道掛川大東―大須賀線、同中方なかほう―千浜線、同大東―菊川線、同大東―相良線、同袋井―小笠線などが近隣市町村への主要道路として利用されているが、昭和四四年の東名高速道路菊川インターチェンジ、同四七年の国道一五〇号小笠バイパス、同年の掛川インターチェンジの開設、小笠山へのサッカー場などの誘致により南北の交通路が発展した。昭和五二年二月静岡県大井川広域水道企業団の大井川広域水道が設立され、一県四市一〇町が構成団体となり、大東町もこれに加盟した。また昭和五三年には本川根ほんかわね町の長島ながしまダムの水を利用した灌漑用水給水の計画が立てられ、当町もダム完成の後はこの恩恵を受けることとなる。

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大東町(静岡県小笠郡)の関連キーワードで検索すると・・・
検索ヒット数 387
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検索コンテンツ
1. おおひがしちょう【大東町】京都市:上京区/仁和学区地図
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2. だいとうちょう【大東町】岩手県:東磐井郡
日本歴史地名大系
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3. だいとうちょう【大東町】静岡県:小笠郡
日本歴史地名大系
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4. だいとうちょう【大東町】島根県:大原郡
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5. いちのせきし【一関市】[変更地名 2005年9月20日]岩手県(旧室根村・旧千厩町・旧川崎村・旧東山町・旧大東町・旧花泉町・旧一関市)
日本歴史地名大系
川崎村・東山町・大東町、西磐井郡花泉町が合併 ⇒【室根村】岩手県:東磐井郡 ⇒【千厩町】岩手県:東磐井郡 ⇒【川崎村】岩手県:東磐井郡 ⇒【東山町】岩手県:東磐 ...
6. いちのせきし【一関市】[変更地名 2011年9月26日]岩手県(旧藤沢町・旧一関市)
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7. うんなんし【雲南市】[変更地名 2004年11月1日]島根県(旧大東町・旧加茂町・旧木次町・旧三刀屋町・旧掛合町・旧吉田村)
日本歴史地名大系
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8. かけがわし【掛川市】[変更地名 2005年4月1日]静岡県(旧大東町・旧大須賀町・旧掛川市)
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9. 大東町史[文献解題]岩手県
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10. 大東町誌[文献解題]静岡県
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11. 大東町誌[文献解題]島根県
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13. あねだいとうちょう【姉大東町】京都市:中京区/柳池学区地図
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15. あおじま【青島】静岡県:藤枝市
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16. あおやぎ【青柳】静岡県:富士宮市/大宮町
日本歴史地名大系
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17. あかいむら【赤井村】大阪府:大東市地図
日本歴史地名大系
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18. あかがわむら【赤川村】大阪府:大阪市/旭区地図
日本歴史地名大系
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19. あかさかしんまちさんちようめ【赤坂新町三丁目】東京都:港区/旧赤坂区地区地図
日本歴史地名大系
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20. あかつちむら【赤土村】静岡県:小笠郡/小笠町
日本歴史地名大系
書)。「遠淡海地志」によると曹洞宗安興寺(飛鳥村永江院末)がある。同寺には寛政九年成行村(現大東町)大工出野利八が京都に学んで建てたと伝えられる六角堂がある。文 ...
21. あさばちょう【浅羽町】静岡県:磐田郡
日本歴史地名大系
に氏真から安堵されている。今川氏没落後は徳川家康の支配下に入り、武田軍が攻略した高天神城(現大東町)に対する備えとして馬伏塚城が修築された。江戸時代初期の浅羽町 ...
22. あさひなごう【朝夷郷】静岡県:小笠郡/浜岡町
日本歴史地名大系
年鼻連神田増分以朝比奈専念寺分雖令寄進」とあり、この「朝比奈」も当地と推測される。鼻連崎(現大東町)の高松社神田の検地増分は本来当地の専念寺領となるべきものだっ ...
23. あしのとうざん【蘆野東山】
国史大辞典
蘆野と改め、のちまた蘆と称した。元禄九年(一六九六)十一月二十三日仙台藩領磐井郡渋民村(岩手県東磐井郡大東町)に生まれる。諱は徳林、初諱は胤保、字は世輔、または ...
24. あたらしまち【新シ町】山形県:鶴岡市/鶴ヶ岡城下
日本歴史地名大系
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25. あねやこうじどおり【姉小路通】京都市:中京区
日本歴史地名大系
桶樽や(堀川西入)をあげる。近世、本通に面した町々は、宝暦一二年(一七六二)刊「京町鑑」によれば、姉小路大東町・菊屋町・木之下町・車屋町・西姉小路町・神明町・宮 ...
26. あまがさきしんしんでん【尼ヶ崎新々田】大阪府:大東市地図
日本歴史地名大系
[現]大東市三箇一―六丁目・大東町・御領一丁目 尼ヶ崎新田の造成により無用になった深野池堤を開墾したもので、東の三箇村大箇の西縁部と西の八箇所の東縁部に分れ、と ...
27. あまがさきしんでん【尼ヶ崎新田】大阪府:大東市地図
日本歴史地名大系
[現]大東市三箇一―六丁目・大東町・御領一丁目 大和川付替え直前の元禄一五年(一七〇二)深野池のうち上三箇の西側の部分を尼ヶ崎屋又右衛門が開墾し、その名をもって ...
28. あようごう【阿用郷】島根県:出雲国/大原郡
日本歴史地名大系
神亀三年(七二六)阿用に改めたという。同書にあげる阿用社は現大東町東阿用の阿用神社とされる。中世には阿用庄が成立し、江戸時代には東阿用村・西阿用村(現大東町)と ...
29. あようしもぶんむら【阿用下分村】島根県:大原郡/大東町
日本歴史地名大系
[現]大東町下阿用 西阿用村の北東、赤川の支流阿用川下流域の東側に位置する。北は大東本郷村・大木原村。正保国絵図に村名がみえる。元禄十年出雲国郷帳によると高六一 ...
30. あようのしょう【阿用庄】島根県:大原郡/大東町
日本歴史地名大系
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31. あんじょうむら【安城村】愛知県:安城市
日本歴史地名大系
[現]安城市安城町・新田町・弁天町・池浦町・明治本町・昭和町・大東町・桜町・御幸本町・朝日町・相生町・今池町・今本町・末広町・花の木町・小堤町・錦町・日の出町・ ...
32. あんようじまち【安養寺町】滋賀県:彦根市/彦根城下
日本歴史地名大系
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33. いいだむら【飯田村】島根県:大原郡/大東町
日本歴史地名大系
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34. いけだむら【池田村】静岡県:静岡市/旧有渡郡・庵原郡地区
日本歴史地名大系
行中の日蓮に米・野菜を差入れた日禅尼(日位の母)、今川家旧臣でのち武田氏に仕えて高天神城(現大東町)を守った岡部丹波守らの墓がある。大慈悲院はもと真言宗で、天文 ...
35. いけみやじんじゃ【池宮神社】静岡県:小笠郡/浜岡町/佐倉村
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36. いしのごう【石野郷】静岡県:袋井市
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37. いずものくに【出雲国】島根県
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佐陀庄、持田庄・長海本庄・長海新庄・岡本庄・大野庄(現松江市)、淀本庄(牛尾庄)・大原庄(現大東町)、林木庄(現出雲市)、吉田家領神西庄(園山庄、現同上)、摂関 ...
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日本古典文学全集
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「大東町(静岡県小笠郡)」の情報だけではなく、「大東町(静岡県小笠郡)」に関するさまざまな情報も同時に調べることができるため、幅広い視点から知ることができます。
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面積:四五・九九平方キロ 小笠郡の西部にあり、南は遠州灘に面し、北は掛川市・袋井市、西は大須賀町、北東は菊川町、東は小笠町・浜岡町に接する。町の北西は小笠山丘陵、北東は牧之原台地丘陵部の一部から構成され、海岸部は天竜川の運んだ砂が堆積して砂丘地帯を形成している。
中京区(京都市)(日本歴史地名大系)
面積:一二三・三二平方キロ 京都市の中央部に位置し、北は丸太町通北及び二条城北側を回って千本通西側を境として上京区に接し、東は鴨川を境に東山区及び左京区に、南は四条通北及び大宮通以西では松原通を境に下京区に、西は北側が西小路通西、南側が西大路通東を境に右京区に接する。
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