1. ほんごうきくざかまち【本郷菊坂町】東京都:文京区/旧本郷区地区地図
日本歴史地名大系
[現]文京区本郷五丁目 持組大縄地などを隔てて本郷五―六丁目の西方に位置する拝領町屋。町屋は真光寺の裏手から備中福山藩阿部家の下屋敷まで南東―北西に走る通り(現
2. こいしかわまるやまたまち【小石川丸山田町】東京都:文京区/旧本郷区地区地図
日本歴史地名大系
[現]文京区西片一丁目・本郷五丁目 本郷菊坂田町の東に位置する片側町。北は備中福山藩阿部家中屋敷、南は本郷菊坂町など、東は同町。かつては小石川村の百姓地であった
3. じょしびじゅつだいがく【女子美術大学】
国史大辞典
変更して新たに再出発、同年四月日本画・裁縫・刺繍各科最初の卒業生合わせて十四名を送り出した。同四十一年本郷菊坂町に移転、昭和四年(一九二九)女子美術専門学校に昇
4. 日本談義集 337ページ
東洋文庫
そのとき大震災後のめざましい復興ぶりにはもとより感服しながらも、わざわざ地震の破壊を免れた地域をさがして、本郷菊坂町の宿屋に落ち着いたのは、日本へ行って洋間でパ
5. 樋口一葉
世界大百科事典
歌的な抒情の世界になずんだ習作の域を出ていない。93年小説を生計の資とする困難を自覚して,本郷菊坂町から吉原遊廓に接する下谷竜泉寺町に転居,雑貨屋を開業した。こ
6. ぶんきようく【文京区】東京都地図
日本歴史地名大系
漱石・樋口一葉・石川啄木・坪内逍遥、小石川区では泉鏡花・幸田露伴・永井荷風などが知られる。本郷菊坂町の菊富士楼(のち菊富士ホテル)は多くの文人が定宿とし、本郷界
7. ほんごう【本郷】東京都:文京区/旧本郷区地区地図
日本歴史地名大系
の様相を強くした。また森鴎外・夏目漱石など多くの文学者が居を構え、文士の街としても聞えた。本郷菊坂町の菊富士楼(のち菊富士ホテル)は文学者愛顧の旅館として高名で
8. ほんごうきくざかたまち【本郷菊坂田町】東京都:文京区/旧本郷区地区地図
日本歴史地名大系
[現]文京区本郷四丁目・西片一丁目 通りを隔てて本郷菊坂町・小石川丸山田町の西に位置する両側町。北は備中福山藩阿部家の下屋敷、南は上野高崎藩松平(大河内)家の中
9. ほんごうきくざかだいまち【本郷菊坂台町】東京都:文京区/旧本郷区地区地図
日本歴史地名大系
[現]文京区本郷五丁目 菊坂(現在の胸突坂)の通りを隔てて本郷菊坂町の北に位置する拝領町屋。北は三河岡崎藩本多家の下屋敷、東は本郷六丁目続横町と喜福寺など。当地
10. ほんごうきくざかみちづくりやしきざんち【本郷菊坂道造屋敷残地】東京都:文京区/旧本郷区地区地図
日本歴史地名大系
[現]文京区本郷四丁目 菊坂町の通りを隔てて本郷菊坂町の南西に位置する。東は本妙寺坂の通りを隔てて武家屋敷で、西も南も武家屋敷。本郷菊坂道造屋敷は、元禄一〇年(
11. ほんごうごちようめ【本郷五丁目】東京都:文京区/旧本郷区地区地図
日本歴史地名大系
東は加賀金沢藩前田家上屋敷、西は持組大縄地。持組屋敷を挟んでさらに西方に代地が一ヵ所あり、代地の北は本郷菊坂町代地、南は旗本屋敷、西は本郷四丁目代地。町立ての時
12. ほんごうごちようめだいち【本郷五丁目代地】東京都:文京区/旧本郷区地区地図
日本歴史地名大系
[現]文京区本郷四丁目 本郷四丁目代地の東に位置する。通りを隔てて北は本郷菊坂町、南は旗本屋敷、東は持組屋敷。元禄一〇年(一六九七)本郷五丁目西側南木戸際の地主
13. ほんごうよんちようめ【本郷四丁目】東京都:文京区/旧本郷区地区地図
日本歴史地名大系
西は真光寺および持組大縄地。また持組屋敷を挟んでさらに西方に代地が一ヵ所あり、代地の北と西は本郷菊坂町代地、南は旗本屋敷、東は本郷五丁目代地。町立ての時期などは
14. ほんごうよんちようめだいち【本郷四丁目代地】東京都:文京区/旧本郷区地区地図
日本歴史地名大系
本妙寺坂の通りおよび旗本屋敷を隔てて本郷菊坂道造屋敷残地の東方に位置する本郷四丁目の代地。通りを隔てて北は本郷菊坂町、東は本郷五丁目代地。元禄一〇年(一六九七)
15. 宮沢賢治画像
日本大百科全書
会(こくちゅうかい)に入会、父にも改宗を迫るがいれられず、翌1921年1月に突如無断上京、本郷菊坂町に下宿して筆耕をしながら、布教活動等に加わり、夜は猛然と童話
16. めいわのえどたいか【明和の江戸大火】
国史大辞典
翌晦日の申中刻(午後四時ごろ)にようやく鎮火した。またこの火災とは別に酉刻(午後六時ごろ)本郷菊坂町からも出火、駒込・千駄木・谷中方面に延焼、上野寛永寺内にも及