1. 気仙沼[市]
世界大百科事典
が陸中海岸国立公園に指定されている。商工業はふるわず,隣接する旧気仙沼市,陸前高田市に依存している。千葉 立也 気仙沼 気仙沼市中西部の旧市。1953年気仙沼町
2. 気仙沼(市)画像
日本大百科全書
宮城県北東部、三陸海岸にある市。1953年(昭和28)気仙沼町、鹿折ししおり町、松岩村が合併して市制施行。1955年階上はしかみ、新月にいづき、大島おおしまの3
3. けせんぬまし【気仙沼市】宮城県
日本歴史地名大系
鹿折村が町制施行、同二八年気仙沼町・鹿折町・松岩村が合併して気仙沼市が誕生。同三〇年に新月村・大島村・階上村を加えて現在の気仙沼市となり、漁業と観光を中心とした
4. けせんぬまし【気仙沼市】[変更地名 2006年3月31日]宮城県(旧唐桑町・旧気仙沼市)
日本歴史地名大系
2006年3月31日:気仙沼市と本吉郡唐桑町が合併 ⇒【唐桑町】宮城県:本吉郡 ⇒【気仙沼市】宮城県
5. けせんぬまし【気仙沼市】[変更地名 2009年9月1日]宮城県(旧本吉町・旧気仙沼市)
日本歴史地名大系
2009年9月1日:気仙沼市が本吉郡本吉町を編入 ⇒【本吉町】宮城県:本吉郡 ⇒【気仙沼市】[変更地名]宮城県
6. 気仙沼市史[文献解題]宮城県
日本歴史地名大系
八冊(既刊一冊) 気仙沼市総務部市史編さん室編 昭和六一年―(刊行中) 構成 (一)自然編(既刊)、(二)考古・古代・中世編、(三)近世編、(四)産業編、(五
7. 気仙沼市の要覧
日本大百科全書
面積:332.44平方キロメートル総人口:6万4988人(男:3万1772人、女:3万3216人)世帯数:2万4152戸※面積は国土交通省国土地理院『平成27年
8. 宮城県気仙沼市位置図[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
©Shogakukan 作図/小学館クリエイティブ
9. 明治時代の気仙沼市街[百科マルチメディア]画像
日本大百科全書
高台から気仙沼けせんぬま港を望む。『東宮行啓記念宮城県写真帖』(1908年〈明治41〉)国立国会図書館所蔵
10. あかいわたてあと【赤岩館跡】宮城県:気仙沼市/月館村
日本歴史地名大系
[現]気仙沼市 松川 松川地内の北方、高さ八〇メートルほどのやや切立った高台にある。「仙台領古城書上」に「赤岩城 城主熊谷太郎左衛門」とある。「月館村安永風土記
11. あかいわむら【赤岩村】宮城県:気仙沼市
日本歴史地名大系
[現]気仙沼市 赤岩牧沢・同大滝・同物見・同館森・同館下・同前田・同迎前田・同平貝・同泥ノ木・同杉の沢・同小田・同石兜・同老の松・同港・同上羽田・同羽田・同高前
12. あゆかいじょうあと【鮎貝城跡】山形県:西置賜郡/白鷹町/鮎貝村
日本歴史地名大系
移封に伴って堤村(現宮城県柴田郡大河原町)に移り、のち宗定の系統は松崎村・気仙沼本郷(現同県気仙沼市)に居を構え、伊達家に仕えている(「伊達世臣家譜」など)。天
13. あんばやま【安波山】宮城県:気仙沼市/気仙沼本郷
日本歴史地名大系
気仙沼市街の北面にある山で、標高二三九メートル。さして高くはないが、気仙沼湾最奥に屏風のようにそびえ立つので、その眺望の広大さで広く親しまれてきた。眼下には気仙
14. いしのまきけん【石巻県】
国史大辞典
戊辰戦争の結果、明治元年(一八六八)十二月十二日六十二万石の仙台藩は二十八万石に削封され、現在の気仙沼市、石巻市、本吉・桃生・牡鹿の三郡は、高崎藩(大河内氏)の
15. いしわりとうげ【石割峠】宮城県:気仙沼市/鹿折村
日本歴史地名大系
気仙沼市鹿折地区から本吉郡唐桑町の宿浦方面へ越す峠。標高一八八メートルにすぎないが、海浜から海浜への急峻な上り下りの山道で、久しく車が通ぜず、唐桑―気仙沼間の交
16. いそくさかいづか【磯草貝塚】宮城県:気仙沼市/大島村
日本歴史地名大系
[現]気仙沼市 磯草 亀山の西麓、気仙沼湾に突き出した海岸段丘上に位置する。発掘調査は昭和三七年(一九六二)に実施され、四貝層が確認された。縄文前期大木6式を主
17. いちのせきし【一関市】岩手県
日本歴史地名大系
―盛岡間が開通、一ノ関駅が開業した。大正九年(一九二〇)国鉄(現JR)大船渡線一ノ関―宮城県気仙沼市間が着工、同一四年一ノ関―摺沢(現東磐井郡大東町)間が開通、
18. いまいずみむら【今泉村】岩手県:陸前高田市
日本歴史地名大系
天正一五年(一五八七)には浜田安房守・横沢信濃と今泉氏の三氏が連合して岩付(月)の地(現宮城県気仙沼市)を奪取した(同年二月三日「葛西晴信書状」一関石川文書)。
19. いわいさき【岩井崎】宮城県:気仙沼市/波路上村
日本歴史地名大系
[現]気仙沼市 波路上岩井崎 気仙沼湾西岸最先端にある。北上山地の一部を形成する古生代二畳紀の石灰岩地層の岩礁で、付近の海中まで岩礁地帯をなしている。同地層には
20. いわじりむら【岩尻村】宮城県:本吉郡/本吉町
日本歴史地名大系
南は太平洋に面し、西は平磯村、北は松崎村(現気仙沼市)、東は波路上村(現同上)に接し、村内を気仙道が通る。かつては平磯村や波路上村・長磯村・最知村・岩月村・松崎
21. いわつきむら【岩月村】宮城県:気仙沼市
日本歴史地名大系
[現]気仙沼市 岩月箒沢・同長平・同寺沢・同星谷・同宝ヶ沢・同台ノ沢・同千岩田 北から西にかけて松崎村と境し、東は気仙沼湾に臨む。気仙道が現国道四五号の東、海岸
22. うすぎぬじょうあと【薄衣城跡】岩手県:東磐井郡/川崎村/薄衣村
日本歴史地名大系
の陸奥桃生郡の山内定通と葛西宗清との合戦では、同月一九日薄衣などの軍勢が柳沢・太田(現宮城県気仙沼市)に着陣した(「永正年間戦乱記」人首菊池文書)。天正一四年(
23. うちのさてつやまあと【内野砂鉄山跡】岩手県:東磐井郡/大東町/大原村
日本歴史地名大系
石余、最も少ない延享三年は二三四石余。採掘者(山先)は本吉郡月館村二名・同郡鹿折村(現宮城県気仙沼市)一名、気仙郡矢作村(現陸前高田市)二名、下折壁村(現室根村
24. えのしまれっとう【江島列島】宮城県:牡鹿郡/女川町/江島
日本歴史地名大系
藤原基衡の孫樋詰五郎季衡は、文治五年(一一八九)源頼朝に捕らえられたのではなく、本吉郡大島(現気仙沼市)に隠れ、追手が厳しいので江島に渡り、君ヶ磯から上陸した。
25. おうしゅうかいどう【奥州街道】宮城県:総論
日本歴史地名大系
前者は北目町より高城(現宮城郡松島町)を経由する石巻街道、金華山道(現牡鹿郡牡鹿町方面)、気仙道(現気仙沼市方面)。出羽方面への道は、築館から発する仙北通、吉岡
26. 大島(宮城)
世界大百科事典
宮城県北東部,気仙沼市に属し,気仙沼湾口を扼(やく)する島。東西約3km,南北約5km,丘陵性の地形を有する。面積約9km2の島には4243人(1995)が住み
27. 大島(宮城県)
日本大百科全書
宮城県北東部、気仙沼湾けせんぬまわんにある島。気仙沼市に属す。県下最大の島で、面積9.05平方キロメートル、海岸延長24.3キロメートル。古くは薬師島といい島名
28. おおしまごう【大島郷】岩手県:陸奥国/気仙郡
日本歴史地名大系
陸奥国桃生郡(現宮城県)六座のうちの計仙麻大島神社所在地とされる近世の本吉郡大島村(現宮城県気仙沼市)を当郷の比定地とする説もあるが、「日本地理志料」は否定して
29. おおしまむら【大島村】宮城県:気仙沼市
日本歴史地名大系
[現]気仙沼市 横沼・駒形・中山・三作浜・浅根・要害・長崎・高井・廻館・浦ノ浜・田尻・外畑・磯草・亀山・外浜・大向・大初平 気仙沼湾中央にある大島一島を占める村
30. 大谷鉱山
日本大百科全書
宮城県北東部、気仙沼市けせんぬまし南部の旧本吉町もとよしちょう地区にあった鉱山。平安時代末期に金の採掘が行われ、平泉藤原氏の黄金文化を支えたといわれている。鎌倉
31. おさきじんじゃ【御崎神社】宮城県:本吉郡/唐桑町/唐桑村
日本歴史地名大系
立した(奥州仙台御崎宮略縁起「唐桑町史」所収、「観蹟聞老志」)。しかし計仙麻大島神社は一般に気仙沼市大島の大島神社にあたるとされ、そのほかにも諸説があり、いずれ
32. おちあいなおぶみ【落合直文】
国史大辞典
二十六歳ごろ直文と改称。号は萩之家(旧号、桜舎)。文久元年(一八六一)十一月十五日、陸奥国本吉郡松岩村(宮城県気仙沼市字松崎片浜)の煙雲館に生まれた。父は仙台藩
33. おなりあな【鳴洞窟】宮城県:気仙沼市/気仙沼本郷
日本歴史地名大系
[現]気仙沼市魚町二丁目 釜前の湾口北側、神明崎西側崖下の波打際にある鍾乳洞。音鳴穴・うなり穴ともいわれ、管絃洞という雅名もある。海水の干満にしたがって窟内を去
34. おりたてむら【折立村】宮城県:本吉郡/志津川町
日本歴史地名大系
が、乳母のはかりごとで着物に刺した針の毒気で死んだ。鱈の死骸は小川を流れ下り、同郡松崎村(現気仙沼市)に流れ着き、それを運ぶのに五駄を要したので、その地を五駄鱈
35. かみありすじょうあと【上有住城跡】岩手県:気仙郡/住田町/上有住村
日本歴史地名大系
天正一六年(一五八八)浜田安房守が葛西氏に反逆したときの戦いでは、浜田氏方の有住下野守は鹿折(現宮城県気仙沼市)で奮戦、結局葛西氏方の大槻但馬守らによって下野守
36. かみありすむら【上有住村】岩手県:気仙郡/住田町
日本歴史地名大系
もつ供養塔があったが、紛失して今はない。また根岸の遠野へ向かう道沿いに平田城跡がある。宮城県気仙沼市の加藤家蔵の文書によれば城主は及川氏家臣内藤豊前で天正末に没
37. 唐桑画像
日本大百科全書
現在は気仙沼けせんぬま市の東部を占める地域。旧唐桑町は1955年(昭和30)町制施行。2006年(平成18)気仙沼市に合併。国道45号が通じる。旧町域は太平洋に
38. からくわちょう【唐桑町】宮城県:本吉郡
日本歴史地名大系
笹長根山(五一九・九メートル)・霧立山(四二九・八メートル)などが連なり、北は岩手県陸前高田市、西は気仙沼市鹿折地区に接する。半島部は北部中央の早馬山(二二〇・
39. 唐桑半島画像
日本大百科全書
宮城県北東端、太平洋に突き出た半島。気仙沼市けせんぬましに属する。北東は広田湾、西は気仙沼湾の支湾の東湾とうわんに面し、長さ約20キロメートル。おもに中生代の岩
40. かんのんじ【観音寺】宮城県:気仙沼市/気仙沼本郷
日本歴史地名大系
[現]気仙沼市本町一丁目 海岸山普門院と号し天台宗、本尊阿弥陀如来(内刳寄木造坐像)。「封内風土記」は弘仁年中(八一〇―八二四)慈覚大師の草創と伝え、江戸寛永寺
41. きのみじょうあと【黄海城跡】岩手県:東磐井郡/藤沢町/黄海村
日本歴史地名大系
月からの葛西宗清と山内定通の合戦では、同月一九日黄海などの軍勢二千余騎が柳沢・太田(現宮城県気仙沼市)に出陣している(「永正年間戦乱記」人首菊池文書)。天正七年
42. 救急医療情報キット[イミダス編 社会・健康]
イミダス 2018
本人がシートに記入するので、最新の情報への書き換えも容易であることなどのメリットもある。11年11月、宮城県気仙沼市は10年から試験的に導入していたキットを、市
43. 気仙(地域)
日本大百科全書
本吉郡もとよしぐん一帯の旧称。現在の大船渡おおふなと市、陸前高田市、住田すみた町(岩手県)、気仙沼市、登米とめ市の東部、南三陸みなみさんりく町(宮城県)の地域で
44. けせんぐん【気仙郡】岩手県
日本歴史地名大系
中の気仙沼・赤岩・新城・月館・鹿折(現気仙沼市)、唐桑・小原木(現本吉郡唐桑町)の七ヵ村を加え三〇ヵ村、また有住村を上下二村に数え最知・波路上(現気仙沼市)を加
45. けせんどう【気仙道】宮城県:本吉郡
日本歴史地名大系
町)、二里小泉宿(現本吉町)、一里津谷宿(現同上)、二里半大谷宿(現同上)、三里気仙沼宿(現気仙沼市)、五里今泉宿(現岩手県陸前高田市)、五里盛宿(現同県大船渡
46. けせんぬましゅく【気仙沼宿】宮城県:気仙沼市/気仙沼本郷
日本歴史地名大系
[現]気仙沼市三日町一―三丁目・八日町一―二丁目など 小野本郷(現桃生郡鳴瀬町)で石巻街道から分岐して北上、伊里前(現本吉郡歌津町)、小泉・大谷(現同郡本吉町)
47. けせんぬまほんごう【気仙沼本郷】宮城県:気仙沼市
日本歴史地名大系
[現]気仙沼市化粧坂・三日町一―三丁目・沢田・八日町一―二丁目・魚町一―三丁目・入沢・太田一―二丁目・陣山・南町一―四丁目・南町海岸・浜見山・笹が陣・柏崎・港町
48. けせんぬまわん・けせんぬまのつ【気仙沼湾・気仙沼津】宮城県:気仙沼市
日本歴史地名大系
気仙沼市と本吉郡唐桑町に挟まれた湾で、鼎ヶ浦の称もある。湾入口の西に岩井崎、東に御崎岬(唐桑町)があり、湾中央部に浮ぶ大島によって東西二つ、内湾(西側)・外湾(
49. こはらぎむら【小原木村】宮城県:本吉郡/唐桑町
日本歴史地名大系
最高峰に、不動山・霧立山などの山岳で覆われ、北は気仙郡長部村(現岩手県陸前高田市)、西は鹿折村(現気仙沼市)、南は唐桑村に接し、東は海で広田湾に面する。道は三筋
50. さいちむら【最知村】宮城県:気仙沼市
日本歴史地名大系
[現]気仙沼市 最知南最知・同森合・同川原・同北最知・同荒沢 岩月村の南、気仙沼湾に面した海岸および海岸段丘上に立地。気仙道が南北に通りそれに沿って集落が形成さ