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  11. 祇園

ジャパンナレッジで閲覧できる『祇園』の辞書・事典・叢書別サンプルページ

日本大百科全書・国史大辞典・世界大百科事典

日本大百科全書(ニッポニカ)

祇園
ぎおん

京都市中央部、東山 (ひがしやま)区の八坂 (やさか)神社を中心とする地区。祇園という地名は八坂神社の旧称祇園社(祇園感神院 (かんしんいん))にちなむ。八坂神社西門前から鴨 (かも)川以東の四条通南北両側一帯で、京都の代表的な花街である。戦国期には荒廃したが、江戸初期ごろから、八坂神社や清水 (きよみず)寺への参詣 (さんけい)者を相手に水茶屋が軒を並べて門前町を形成するようになった。茶くみ女が妍 (けん)を競い、1713年(正徳3)には祇園町北側の内六町が開かれ、やがて京都の遊里の中心は島原から祇園に移った。1872年(明治5)には、東京遷都によって打撃を受けた京都復興策の一つとして、京都に観光客を集めるために花見小路に祇園歌舞練場を建てて、「都をどり」が始められた。

 現在は茶屋、料亭のほかにバーも多く、昔のおもかげは薄らいだが、格子戸の続く家並みには往時の風雅と格調がしのばれ、路地に聞こえる三味線の音や、舞妓 (まいこ)や芸妓 (げいぎ)の姿に花街の風情が感じられる。四条通と花見小路の赤壁の万亭は大石良雄 (よしお)の故事を伝える一力茶屋 (いちりきぢゃや)である。また4月の都をどりは、先斗 (ぽんと)町の鴨川 (かもがわ)をどりとともに京の春の華やかな行事であり、7月の祇園祭は平安時代に始まった祭礼である。また祇園の北側を流れる白川の河畔には、吉井勇の「かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水のながるる」の歌碑が立ち、また祇園新橋一帯は、国の重要伝統的建造物群保存地区となっている。また祇園縄手・新門前と祇園町南が京都市の歴史的景観保全修景地区に指定されている。

[織田武雄]



花見小路通[百科マルチメディア]
花見小路通[百科マルチメディア]

祇園(ぎおん)のほぼ中央を南北に貫く通り。北の三条通から南の安井北門通まで、全長約1km。東西に走る四条通より北側はビルの建築などによって昔のおもかげが薄らいだが、往時のたたずまいを残す茶屋や料亭が並ぶ南側では、いまなお花街の風情が感じられる。京都府京都市©藤野優哉


明治時代の祇園[百科マルチメディア]
明治時代の祇園[百科マルチメディア]

八坂(やさか)神社側から見た四条通。京都府京都市下京(しもぎょう)区祇園(ぎおん)町(現在の東山区祇園町北側・祇園町南側)。『日本之名勝』(1900年〈明治33〉)国立国会図書館所蔵


国史大辞典

〓
ぎおん
京都市東山区円山公園西方一帯の呼称。その中心に祇園社(八坂神社)があり、社の西大門に達する四条通りの南北にわたる花街を祇園町という。これらの地はもと山城国愛宕郡八坂郷に属し、早く平安奠都以前から開けていたところであるが、貞観年間(八五九―七七)藤原基経がそこに、天竺舎衛国の須達長者が逝多太子と謀って釈尊のために建てたと伝えられる祇園精舎に倣い、精舎を建てて牛頭天王を祀るようになって以来、その社を祇園社または祇園感神院と呼ぶようになった。すなわち今の八坂神社の起源とされるもので、その祭はまた祇園会もしくは祇園御霊会と呼ばれた。平安時代中、末期以来その信仰が盛んとなり、社運が隆昌をきたすに伴って、その付近、特に西大門前大路には漸次門前町風のものが形成されて行ったらしく、鎌倉時代の初め寛元元年(一二四三)正月の火災には、その西大門前大路の南北両面の在家のみで数百戸が焼亡したという(『百錬抄』)。しかし中世末期には戦乱も多く、天正元年(一五七三)織田信長が将軍足利義昭進攻のため入京の際には、祇園一帯の地は白河・粟田口などとともに、その軍陣の屯するところとなった。近世の初め豊臣秀吉の手によって京都の町々が復興・整理せられた際にもこのあたりはもちろん洛外として直ちに市街化したわけではなかった。しかし寛文十年(一六七〇)には賀茂川の東、大和大路に沿って祇園外六町が開かれ、四条河原芝居町が著しく発展したのに呼応して、正徳三年(一七一三)祇園町の北に内六町(元吉町・末吉町・清本町・富永町・橋本町・林下町)が開かれて、茶屋や旅籠屋が軒を並べるようになり、そこにもとは島原のみに限られていた遊女がましいものが現われ、しばしば取り締まられていたが、寛政二年(一七九〇)以後、遊女屋が公認されるに至った。爾来島原と並ぶ京都の代表的花街として発展し、明治維新後、「都をどり」の創案などによっていよいよ繁栄し、現在も特殊な京情緒を遺すところとして、観光客に珍重されている。
[参考文献]
『京都の歴史』、京都府編『京都府下遊廓由緒』
(柴田 実)


世界大百科事典

祇園
ぎおん

京都市東山区内の地名で,八坂神社(通称,祇園)と祇園町,祇園新地や周辺の祇園廻りなど一帯の総称。〈祇園〉の語は仏教でいう〈祇樹給孤独園(ぎじゆぎつこどくおん)〉〈祇園精舎(ぎおんしようじや)〉に発するが,当該の地名としては,いわゆる御霊(ごりよう)信仰の弘通と,八坂郷の鎮守であった祇園社(八坂神社の旧称)の発展に応じて,平安時代の半ばころから用いられるようになり,人々に近しくなった。このあたりの地は祇園社領として,平安時代末期より門前町化の萌芽を示していたが,鎌倉時代に入ると祇園社の南(正面に当たる下河原,八坂の方面)と西(西大門に面する四条通の方面)とを中心にしだいに市街地化しはじめ,ことに西方での人家の増加がいちじるしかったようである。《百錬抄》の寛元1年(1243)1月4日条によると〈祇園西大門前大路在家南北両面〉の大火で〈数百家〉が焼失したという。その後は,あいつぐ戦乱にもまれて衰微を余儀なくされ,多くは田畑地と化し,市街地としての再興は江戸時代初期における茶屋,水茶屋,旅籠(はたご)などを主とする再開発をまたねばならなかった。
[横井 清] 祇園社,円山,清水寺などへの道筋に当たるため,この地域には近世初期から茶屋,水茶屋があった。慶長年間すでに祇園社境内の遊女が問題になったこともあり,元和以降茶立女も見られた。町並はまず四条通に面した祇園町北側,同南側などに始まり,寛文期に入って本格的な開発が行われるようになった。すなわち,1670年(寛文10)ごろには大和大路沿いに三条方面から町並が南下,四条通南の団栗(どんぐり)の辻子(ずし)までの間に〈祇園外六町(そとろくちよう)〉が形成され,1713年(正徳3)には白川沿いに町地が造成されて〈祇園内六町〉が出現した。四条河原にあった芝居小屋もすべて外六町のうちの〈中之町(なかのちよう)〉に移り,元禄期には四条通をはさんで5棟の芝居小屋が立ち並んだ。こうして茶屋,水茶屋,旅籠屋などに芝居町を合わせて,一大遊興地帯となった祇園の繁盛は,公許の島原遊廓をしのぐほどになった。祇園豆腐や祇園香煎(こうせん)などの名物も生まれ,〈一力茶屋(いちりきぢやや)〉として《仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゆうしんぐら)》に登場して人口に膾炙(かいしや)した〈万亭(まんてい)〉のような茶屋もある。明治になって祇園は甲部と乙部に分かれ,膳所裏(せぜうら)と呼ぶ一区域を除いた祇園甲部は,日本で最も格式の高い花街とされ,その温習会である〈都をどり〉は陽春の京都の景物となっている。舞妓という呼称も祇園だけのものと錯覚されるほどであるが,そうした憧憬のごとき感覚の形成にとって,吉井勇の歌集《酒ほがひ》や長田幹彦の小説《祇園夜話》や歌謡曲《祇園小唄》の果たした役割も忘れることができない。
祇園信仰
[編集部]

[索引語]
祇園祇園外六町 祇園内六町 中之町 祇園豆腐 祇園香煎 一力茶屋 万亭 祇園甲部 都をどり 酒ほがひ 祇園夜話 祇園小唄
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検索ヒット数 5231
検索コンテンツ
1. 祇園
世界大百科事典
れることができない。→祇園信仰編集部 祇園社 祇園外六町 祇園内六町 中之町 祇園豆腐 祇園香煎 一力茶屋 万亭 祇園甲部 都をどり 酒ほがひ 祇園夜話 祇園
2. ぎ‐おん[‥ヲン]【祇園】
日本国語大辞典
「摩訶陀国に邪を防ぎて祇園(ぎをん)を構へ」〔三〕「ぎおん(祇園)の神」の略。〔四〕京都市東山区の祇園社(祇園感神院)の略称。また、それを改称した今の八坂神社の
3. ぎおん[ギヲン]【祇園】
日本国語大辞典
姓氏の一つ。〓[0]
4. ぎおん【〓園】
国史大辞典
と伝えられる祇園精舎に倣い、精舎を建てて牛頭天王を祀るようになって以来、その社を祇園社または祇園感神院と呼ぶようになった。すなわち今の八坂神社の起源とされるもの
5. ぎ‐おん【祇園】
仏教語大辞典
1 祇園精舎のこと。 正法眼蔵 行持・下 「芙蓉高祖の芙蓉山に修練せし行持、(略)それすなはち祇園の正儀なり」 2 転じて、釈尊をさす。 永平広録 三・一九〇
6. 祇園(京都市)画像
日本大百科全書
事であり、7月の祇園祭は平安時代に始まった祭礼である。また祇園の北側を流れる白川の河畔には、吉井勇の「かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水のながるる」の歌碑
7. 祇園(広島市)
日本大百科全書
広島市北部、安佐あさ南区の一地区。旧祇園町。地名は、平安時代にこの地に勧請かんじょうした祇園社(現在は安やす神社)にちなむ。西部の武田山には中世に広島湾一帯を支
8. ぎ-をん【祇園】
全文全訳古語辞典
、釈迦に寺を建てて寄進した所。「祇陀林」とも。多くの説法がここでなされた。 ❷京都の東山にある祇園社(=八坂神社)。また、その付近の地名。また、その近くの遊里。
9. 【祇園】ぎおん(をん)
新選漢和辞典Web版
①祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)の略。昔、インド、マガダ国の須達長者(すだつちょうじゃ)が釈迦(しゃか)のために建てた寺の名。 ②京都の八坂(やさか)神
10. 祇園(著作ID:843072)
新日本古典籍データベース
ぎおん 謡曲 能の本 
11. 祇園(著作ID:843083)
新日本古典籍データベース
ぎおん 狂言 能狂言 
12. ぎおん【祇園】[方言]
日本方言大辞典
(1)七月十五日の農家の休みの日。 岐阜県大野郡502飛驒のことば(土田吉左衛門)1959(2)祭り。 群馬県勢多郡237勢多郡方言資料 =稿(3)リボン。 大
13. ぎおんいせき【祇園遺跡】熊本県:阿蘇郡/白水村/下市村
日本歴史地名大系
[現]南阿蘇村一関 北方一〇〇メートルにある二本木前遺跡と併せて、南郷谷にあった阿蘇家の南郷大宮司家館跡と推定される遺跡。南に白川の本流、北にその支流高木川に挟
14. ぎおん‐いっさいきょうえ[ギヲンイッサイキャウヱ]【祇園一切経会】
日本国語大辞典
〔名〕京都の祇園社(今の八坂神社)の一切経会。経典を書写、奉納する経供養として、平安期に恒例となった法会。《季・春》*拾芥抄〔13~14C〕中・年中行事部「三月
15. ぎおん‐いっさいきょうえ【祇園一切経会】
仏教語大辞典
京都の祇園社(今の八坂神社)の一切経会。経典を書写、奉納する経供養として、平安期に恒例となった法会。 拾芥抄 中・年中行事部 「三月十五日 祇園一切経会」
16. ぎおん‐え[ギヲンヱ]【祇園会】画像
日本国語大辞典
古くは、陰暦六月七日から一四日まで行なわれた。祇園御霊会。祇園祭。屏風祭。祇園の会。ぎおん。《季・夏》*古今著聞集〔1254〕二〇・六九一「祇園会を菅博士行衡、
17. 祇園会[図版]画像
国史大辞典
都名所図会 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. 
18. 祇園会[図版]画像
国史大辞典
都名所図会 (c)Yoshikawa kobunkan Inc. 
19. 祇園会
日本史年表
1500年〈明応9 庚申〉 6・7 祇園会 再興(後法興院政家記)。
20. ぎおんおおつかやまこふん【祇園大塚山古墳】千葉県:木更津市/祇園村地図
日本歴史地名大系
[現]木更津市祇園 沖 小櫃川下流域左岸の沖積地(久留里線祇園駅北東)に所在した前方後円墳。墳丘は現存しないが、地積図の検討から墳丘長は七〇―一〇〇メートルと推
21. ぎおんかいづか【祇園貝塚】千葉県:木更津市/祇園村地図
日本歴史地名大系
骨角製の釣針・銛・ヤス状刺突具は十数点、土器片土錘は四点と漁労具の出土が比較的少ないといえる。(「祇園貝塚発掘調査概報」千葉県教育委員会・一九七〇年)
22. 祇園梶子[文献目録]
日本人物文献目録
【書誌】:0件 【図書】:1件 【逐次刊行物】:1件 『近世女流文人伝』会田範治等(編)『祇園梶女』森銑三
23. ぎおんかぶれんじょう‐しぎょうしき[ギヲンカブレンヂャウシゲフシキ]【祇園歌舞練場始業式】
日本国語大辞典
〔名〕京都祇園の甲部歌舞練場で、正月一六日に八坂女紅場の生徒である芸妓、舞子が学業、技芸の授業を受ける始業式。《季・新年》
24. ぎおんがわ【祇園川】佐賀県:小城郡
日本歴史地名大系
小城川ともいう。石体・江里山・清水の三水系を集めて南流し、須賀神社(旧祇園社)前を流れて東南に向かい、三日月町の織島・三ヶ島・道辺・堀江を経て平川と合して嘉瀬川
25. ぎおん‐ぐるい[ギヲンぐるひ]【祇園狂】
日本国語大辞典
〔名〕京都祇園町の遊女におぼれ、夢中になること。*浄瑠璃・長町女腹切〔1712頃〕上「どこへうせた。又ぎをん狂ひか、宮川町か」ギオン
26. ぎおん‐こう[ギヲン‥]【祇園講】
日本国語大辞典
〔名〕京都祇園の八坂神社を信仰する者の寄合。*浮世草子・風流曲三味線〔1706〕二・一「其外は銀貸(かねかし)中間(なかま)の寄合、祇園講(ギヲンカウ)大黒講万
27. ぎおん‐こうせん[ギヲンカウセン]【祇園香煎】
日本国語大辞典
〔名〕京都祇園の付近で売った香煎。大唐米、陳皮、山椒などを粉にして混ぜ合わせたもので、白湯(さゆ)に入れて飲む。*滑稽本・東海道中膝栗毛〔1802~09〕七・上
28. ぎおんごはっこう【〓園御八講】
国史大辞典
祇園社の宝前において修せられる法華八講。『本朝世紀』に久安四年(一一四八)二月二十日、鳥羽法皇が感神院宝前においてこれを修した記事があり、「可
29. ぎおん‐ごりょうえ[ギヲンゴリャウヱ]【祇園御霊会】
日本国語大辞典
〔名〕「ぎおんえ(祇園会)」に同じ。*中右記‐寛治六年〔1092〕六月一四日「祇園御霊会、無馬長童部、依天下大穢也」*永昌記‐嘉承元年〔1106〕六月一四日「今
30. 祇園御霊会
日本史年表
970年〈天禄元(3・25) 庚午〉 6・14 初めて 祇園御霊会 を行う(二十二社註式)。
31. 祇園祭礼信仰記
日本大百科全書
』に取材、作中の小田春永はるながが信長、此下東吉このしたとうきちが木下藤吉郎秀吉を示す。春永が祇園牛頭天王ごずてんのうの祭礼を再興する話(二段目)が名題なだいの
32. 祇園祭礼信仰記
世界大百科事典
京都高台寺の秀吉の木像に似せて造ったこと(《浄瑠璃譜》)などが人気を呼んだ。絵尽しにあるように,初め《祇園祭礼信長記》といったが,のちに改めた。《大和怪談頃日全
33. ぎおんさいれいしんこうき[ギヲンサイレイシンカウキ]【祇園祭礼信仰記】
日本国語大辞典
浄瑠璃。時代物。五段。中邑阿契(なかむらあけい)・豊竹応律・黒蔵主らの合作。宝暦七年(一七五七)、大坂豊竹座初演。「信長記」に題材をとり、足利家に逆心を抱く松永
34. ぎおんさいれいしんこうき【祇園祭礼信仰記】
歌舞伎事典
京都高台寺の秀吉の木像に似せて造ったこと(《浄瑠璃譜》)などが人気を呼んだ。絵尽しにあるように、初め《祇園祭礼信長記》といったが、後に改めた。《大和怪談頃日全書
35. ぎおん‐さしがみ[ギヲン‥]【祇園差紙】
日本国語大辞典
〔名〕京都祇園町で、芸妓のひろめの時、その名などを書いて茶屋へ配る紙。糊入れ紙を用いる。*随筆・羇旅漫録〔1802〕中「祇園に、祇園さし紙といふものあり、是は祇
36. ぎおん‐さん[ギヲン‥]【祇園様】
日本国語大辞典
京都祇園の八坂神社の通称。*京都故事物語〔1983〕〈奈良本辰也他〉京の年中行事・いざ見にごんせ東山(八坂神社)「八坂神社、などと、京の人はあまりいわない。祇園
37. ぎおんしぎょうにっき【〓園執行日記】
国史大辞典
京都市東山区の八坂神社(祇園社)に伝来する同社執行の日記で全九巻。「社家記録」と題された一―七と元亨三年(一三二三)の『社家条々記録』、ならびに貞治四年(一三
38. ぎおん‐しゃ[ギヲン‥]【祇園社】
日本国語大辞典
「ぎおんじんじゃ(祇園神社)」に同じ。
39. 祇園社
日本史年表
1148年〈久安4 戊辰⑥〉 3・29 祇園社 焼亡(台記)。 1220年〈承久2 庚辰〉 4・13 祇園社 焼亡(百練抄)。 1654年〈承応3 甲午〉 この
40. ぎおんしゃのしょざ【〓園社の諸座】
国史大辞典
祇園社すなわち感神院は行疫神として畏敬され、三条―五条間の鴨河原と、堀川十二町を領知した。のち山門の末寺となり、その権力を背景とし、みずからも犬神人を従えて中
41. 祇園社綿神人
日本史年表
1343年〈【北朝】康永2・【南朝】興国4 癸未〉 11・8 検非違使庁, 祇園社綿神人 の相論を裁許し,新座の営業を認可(祇園執行日記)。
42. 祇園社感神院
日本史年表
974年〈天延2 甲戌⑩〉 5・7 祇園社感神院 ・ 観慶寺 を延暦寺別院とする(紀略・二十二社註式)。
43. 祇園執行日記
日本大百科全書
長く祇園社(現八坂やさか神社、京都市東山区)の執行(庶務管掌)を勤めた顕詮けんせんの日記を中心とする、執行家の日記の通称。原題は『社家記録』。全7冊のうち134
44. 祇園執行日記
世界大百科事典
南北朝期,京都祇園社執行の日記。原本は八坂神社に所蔵されており,〈社家記録〉の表題をもつ康永2年(1343),貞和6年(1350),文和1年(1352),応安4
45. 祇園精舎
日本大百科全書
ここが舎衛城であり、その中のサヘート村が祇園精舎であると比定した。この遺跡は現在インド政府によって保存され、公園として管理されている。『平家物語』冒頭の句「祇園
46. 祇園精舎
世界大百科事典
近年の発掘等により,現在の北インド,ウッタル・プラデーシュ州北部にあるサヘート・マヘートの遺跡が祇園精舎の跡とされている。三友 量順 Sudatta 給孤独長者
47. 祇園精舎
世界大百科事典
平曲の曲名。小秘事物。《平家物語》全編の総序となる短い文章だが,平曲では特に大切に扱われる。釈迦説法の地祇園精舎の鐘の音には,諸行無常の響きがあり,その臨終の地
48. ぎおん‐しょうじゃ[ギヲンシャウジャ]【祇園精舎】
日本国語大辞典
[ショ]書言【祇園精舎・祇〓精舎】書言
49. ぎおんしょうじゃ【祇園精舎】[頭見出し]
故事俗信ことわざ大辞典
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘(かね)の声(こえ)諸行(しょぎょう)無常(むじょう)の響(ひび)きあり
50. ぎおんしょうじゃ【〓園精舎】
国史大辞典
また祇樹給孤独園(ぎじゅぎっこどくおん)などとも呼ばれる。古代インド、コーサラ国舎衛城の南に在った僧園で、仏陀説法の遺蹟としてマガダ国王舎城の竹林精舎と並んで
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