専門用語
Series15-1
『日本国語大辞典』の「凡例」の「編集方針」の2には次のように記されている。
採録した項目は、古来、国民の日常生活に用いられて、文献上に証拠を残すところの一般語彙のほか、方言、隠語、また、法律・経済・生物・医学・化学・物理等、各分野における専門用語、地名・人名・書名などの固有名詞を含んでいる。
この2によれば、「採録した項目」は「一般語彙」「方言」「隠語」「専門用語」「固有名詞」に分かれることになる。今回はその「専門用語」を話題にしたい。上では「法律」「経済」「生物」「医学」「化学」「物理」が具体的な分野としてあげられている。
『広辞苑』第7版と対照してみよう。「凡例」の「編集方針」の一で「この辞典は、国語辞典であるとともに、学術専門語ならびに百科万般にわたる事項・用語を含む中辞典として編修したものである」とあり、『日本国語大辞典』と比べると、「学術専門語」を見出しとして採りあげることに積極的であるようにみえる。「編集方針」の六には「百科的事項の収載範囲は、哲学・宗教、歴史・地理、政治・法律・経済、教育、数学・自然科学・医学、産業・技術・交通、美術・芸能・体育・娯楽、語学・文学などの万般にわたり、地名・人名・書名・曲名・年号などの固有名詞にも及ぶ」とある。
『日本国語大辞典』があげる「分野」と『広辞苑』があげるそれとはほぼ重なっている。『広辞苑』には「略語表」が示されており、「品詞」「活用の種類」「学術語・専門語」の三つに分けて略語(というよりは符号)が示されている。「凡例」では「学術専門語」で「略語表」では「学術語・専門語」であることは気になるが、今は措く。この「略語表」において、「哲学」から「建築・土木」まで30の分野とその「略語」が示されている。そこには『日本国語大辞典』があげている「法律・経済・生物・医学・化学・物理」がすべて含まれている。
『広辞苑』で「くもまく」を調べると、次のように記されている。『日本国語大辞典』の見出し「くもまく(蜘蛛膜)」を併せて示す。
〔医〕脳脊髄膜のうち、中間にあるもの。ちしゅまく。(広辞苑)
〔名〕哺乳類の脳と脊髄をおおう三層の髄膜のうち、中間にある膜。(日本国語大辞典)
『日本国語大辞典』は小型辞書あるいは中型辞書のように、略語や符号を多用していない。小型辞書や中型辞書は限られた紙幅の中で、多くの情報をいわば「さばく」必要があり、略語や符号はそのために必須のものといってよい。そういう「さばきの手筋」は大型辞書である『日本国語大辞典』においてはあまり必要ないのかもしれない。しかしまた、〔医〕とあることによって、これは医学の専門用語として(も)使われている語であることが辞書使用者にわかるということは、一つの「情報」といってよい。
筆者は辞書の見出しがバランスよく採られていることは大事だと考えている。『日本国語大辞典』の場合は、「一般語彙」「方言」「隠語」「専門用語」「固有名詞」の見出しがそれぞれ幾つ採用されているか、という数値がわかれば、バランスはすぐにわかる。それは辞書編集者にとっても、意義のある数値ではないだろうか。一般にこの辞書は項目数がこれだけであることを謳うが、その中で「固有名詞」の占める割合が非常に高い、となれば、「そういう辞書だ」ということになる。項目に「タグ」をつける作業は大変だろうが、いったんつけてしまえば、電子的に検索をする際にも必ず役立つ。電子版は「検索」を意識する必要がある。そのことからすると、電子版が辞書の主流になっていくのであれば、こうした「タグ」付けは必要になるはずだ。それによって、あまり見出しになっていないのはどの分野の「専門用語」か、ということもわかるようになる。
『日本国語大辞典』の見出し「けっせつ(結節)」は次のように記されている。『広辞苑』の記事も併せて示す。
〔名〕(1)むすばれたようにかたまって、節(ふし)ができること。また、そのもの。
*医語類聚〔1872〕〈奥山虎章〉「Tuberosity 結節」*植学訳筌〔1874〕〈小野・田中・久保〉「Jointed 結節(茎の)」
*死〔1964〕〈北杜夫〉「右肺には結節が集まり鶏卵に近い硬化巣を形成していた」
(2)皮膚から隆起する充実性の発疹のうち、丘疹よりいくらか大きくえんどう豆大以上の発疹。
*いのちの初夜〔1936〕〈北条民雄〉「仰向いてゐる貌は無数の結節で荒れ果ててゐた」
(3)結び合わせること。
(日本国語大辞典)
①むすぼれて節(ふし)ができること。また、その節。
②〔医〕えんどう豆やクルミの実程度の大きさの、限局した隆起性の病巣の総称。
③結び合わせること。
(広辞苑)
『広辞苑』は語義を三つに分けて記述し、その②を「医学用語・薬学」とする。『日本国語大辞典』も語義を三つに分けて記述しているが、「専門用語」の表示がない。語義から(2)が「医学用語」ではないかという推測はできる。しかしその一方で、(1)の使用例としてあげられている『医語類聚』や北杜夫の「死」における「結節」が非「医学用語」であるかどうかという疑問も生じる。だから、「専門用語」の表示にはあまり意義がない、という「みかた」もあるかもしれない。「専門用語」が「一般語彙」として使われるようになるという「道筋」は容易に推測できる。しかし、だからこそ、その「道筋」をはっきりさせるために「専門用語」表示をしたほうがよい、という「みかた」もありそうだ。
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は9月15日(水)、今野真二さんの担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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