難波の葦は伊勢の浜荻
Series5-3
今回は『重訂本草綱目啓蒙』をめぐっていろいろなことを述べてみよう。『本草綱目』は明の李時珍(1518-1593)が編んだ薬物書(本草書)で、万暦18(1590)年に刊行を開始している。その『本草綱目』に基づき、和名、説明を加えたものが『重訂本草綱目啓蒙』で、弘化4(1847)年の序が附されている。前々回に述べたように、「日本古典全集」はこの『重訂本草綱目啓蒙』を活字翻刻したテキストである。
筆者は植物が好きなので、植物名にも興味がある。ジャパンナレッジの『日本国語大辞典』の検索機能を使って、検索範囲を「用例(出典情報)」に設定して文字列「重訂本草綱目啓蒙」で検索をすると2866件がヒットする。『日本国語大辞典』において、ある程度使われている文献であることがわかる。『日本国語大辞典』をよみだして、そのことに気づき、インターネットで調べて、48巻が揃っている写本を見つけて購入した。「弘化四年」の「序」や「小野蘭山先生伝」「蘭山先生肖像」も写されているので、弘化4年に出版された版本の写本であることがわかる。版本の48巻セットは40万円ちかくしており、とても購入することができないので、写本であっても所持できたのは嬉しかった。
「本草(ほんぞう)」を『日本国語大辞典』で調べると、
(1)植物。
(2)薬用のもとになる草。薬草。転じて、その他の玉石、禽獣、虫魚、亀貝(きばい)、果蓏(から)などの薬用となる動植鉱物。
(3)「ほんぞうしょ(本草書)」の略。
(4)「ほんぞうがく(本草学)」の略。
と説明されている。つまり「薬用となる動植鉱物」について述べられているのが「本草書」ということになる。
したがって、『重訂本草綱目啓蒙』では、例えば「巻之四」は「金石部」、「巻之五」から「巻之七」までは「石部」というように、植物だけではなく鉱物や動物についての記事も収められているが、今ここでは話題を植物に絞ることにする。
『重訂本草綱目啓蒙』では漢字列「桔梗」を見出しにして、「アリノヒフキ 和名鈔 アリノヒアフギ ヲカトヽキ 古歌 ヒトヱグサ 同上 キチカウ 仏吉草 和方書 クハンサウ 信州 セイネイ 江州 今ハ通名キキヤウ」(巻之八・山草)と説明している。『日本国語大辞典』は「ありのひふき」「ありのひおうぎ」「おかととき」「ひとえぐさ」「きちこう」「かんそう(クヮンソウ)」を見出しとし、語釈として「植物「ききょう(桔梗)の古名」」を示す(「ひとえぐさ」「かんそう」では異名)。しかし「セイネイ」に対応しそうな見出しはない。
934(承平4)年頃に成ったと推測されている辞書、『和名類聚抄』(二十巻本)は「桔梗」を見出しとし、語釈中に「和名阿里乃比布木」と記している。「阿里乃比布木」は「アリノヒフキ」を書いたものとみるのがもっとも自然である。しかし『日本国語大辞典』の見出し「ひふき」の語釈には「火を吹きおこすのに用いる道具。火吹だるま、火吹竹など」と記されており、使用例として「*実隆公記‐文明一八年〔1486〕五月六日「自龍翔院有二書状一錫物一被恵レ之、在宗入道火吹、火筋恵レ之」と「*俳諧・類柑子〔1707〕上・いなつかの灯「破魔弓の矢筒ところはげたるを火吹とし」」とがあげられている。「アリノヒフキ」が「蟻の火吹き」である可能性はあまり高くないように思われる。
筆者などは、もう一つあげられている「アリノヒアフギ」と「アリノヒフキ」とは語形がちかいように感じられ、それが気になる。もしかすると何らかの錯誤があって、二つの語形が示されているということはないのだろうか、などとあらぬ想像をする。『日本国語大辞典』の見出し「ありのひおうぎ」に示されている使用例も18世紀以降の例で、こちらも古くからある語形ではなさそうだ。『日本国語大辞典』のあちらこちらをみて、こんなことをあれこれと探ることも楽しいかもしれない。
植物や「本草」にかかわる情報を提供しているテキストとしては他には『本草和名』(528件)、『大和本草』(966件)、『多識編』(252件)、『日本植物名彙』(2745件)などがある。検索範囲を「用例(出典情報)」に設定してそれぞれの書物名を検索をすると何件ヒットするかを丸括弧内に示した。松村任三『日本植物名彙』は1884(明治17)年に出版されている。こうしてみると、『重訂本草綱目啓蒙』と『日本植物名彙』とは『日本国語大辞典』において「活躍」している文献といえそうだ。
思いついて見出し「ひまわり」を調べてみると、そこには使用例として
*花壇地錦抄〔1695〕四、五「日廻(ヒマハリ) 中末 葉も大きく草立六七尺もあり。花黄色大りん」
*日本植物名彙〔1884〕〈松村任三〉「ヒマワリ 向日葵」
があげられていた。前者『花壇地錦抄』は「主要出典一覧」にも記載がない。使用例として44回使われている。数としては、多くないためか見出しになっていない。一つの提案であるが、『日本国語大辞典』が使用例として示している文献については、一定数以上ということでもいいが、見出しとして採用し、どのような文献であるか記しておくというのはどうだろうか。あるいはすでにそのようになっているのかもしれない。例えば、100回以上使った文献は見出しとして採用するといったようなかたちで『日本国語大辞典』を整えるのはどうだろう。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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