特別篇
サミュエル・スマイルスの『Self-Help』を中村正直(1832~1891)が翻訳した『西国立志篇』は明治4(1871)年に11冊仕立てで出版されている。
中村正直が生まれた1832年は日本の年号でいえば天保3年にあたる。明治20(1887)年に刊行された『新日本之青年』(集成社書店)において、徳富蘇峰は「我カ明治ノ青年ハ。却テ天保ノ老翁ヨリモ先進ト云ハサル可ラス。故ニ明治ノ青年ハ天保ノ老人ヨリ導カルヽモノニアラスシテ。天保ノ老人ヲ導クモノナリ。豈ニ唯タ彼ノ老人ノミナランヤ。我カ明治ノ社会モ亦タ其の指麾中ニ存スルモノナリ」と述べている。
徳富蘇峰は文久3(1863)年に生まれ、昭和32(1957)年に没しているので、江戸時代の生まれではあるが、中村正直とは31歳年が隔たっている。親子といってもよい。つまり世代が違う。『新日本之青年』が出版された明治20年に、徳富蘇峰は25歳、その時に中村正直は56歳であった。
中村正直は、幕府同心中村武兵衛の長男として生まれ、築地にあった井部香山の塾で漢学を学び、桂川甫周から蘭学を学んでいる。嘉永元(1848)年には昌平坂学問所に入り、佐藤一斎に儒学を、箕作奎吾に英語を学ぶ。そして慶應2(1866)年に幕府のイギリス留学生とともにイギリスに渡る。慶應4(1868)年には帰国して静岡学問所の教授となり、この教授時代に『西国立志篇』を出版する。
幼い頃から漢学を学び、蘭学を学ぶことを経て英語も学び、海外経験もある。明治のリーダーたちは、皆こうした経歴をもっている。しかしそうしたリーダーたちも、明治二十年頃には、「天保の老人」と呼ばれるようになっていた。
木戸孝允が天保4(1833)年、福沢諭吉が天保5年、山縣有朋が天保9年、大隈重信が天保9年、伊藤博文が天保12年生まれで、中村正直は「天保の老人」の筆頭といってもよいだろう。
国木田独歩(1871~1908)が明治36(1903)年に『中学世界』に発表した「非凡なる凡人」の中に、次のようなくだりがある。語り手である「僕」が「桂正作」という24歳の電気技手に話しかけているという設定になっている。
僕は其傍に行つて、
『何を読んで居るのだ』と言ひながら見ると、洋綴の厚い本である。
『西国立志編だ』と答へて顔を上げ、僕を見た其の眼ざしは未だ夢の醒めない人のやうで、心は猶ほ書籍の中にあるらしい。
『面白いかね?』
『ウン、面白い』
『日本外史と何方が面白い』と僕が問ふや、桂は微笑を含んで、漸く我に復り、何時の元気の可い声で、
『それやア此の方が面白いよ。日本外史とは物が異ふ』
「桂正作」が仮に明治36年に24歳だとすると、「桂正作」は明治13(1880)年生まれということになる。中村正直とは48歳差で、一世代半ほど年齢が隔たっている。中村正直の『西国立志編』は明治13年生まれの「桂正作」にとっても「面白い」テキストであり、頼山陽(1780~1832)の『日本外史』はそうではなかった。国木田独歩が明治に生まれ、明治に没していることになぞらえて表現するならば、頼山陽は江戸時代に生まれ、江戸時代に没している。中村正直が生まれた年に頼山陽は没している。「天保の老人」、明治のリーダーたちは『日本外史』でいわば育った。中村正直は『日本外史』を読んで『西国立志編』をあらわしたというと、語弊がありそうだが、漢語に関していえば、『日本外史』の漢語は中村正直の「脳内辞書」に蓄積されているといってよいだろう。
「範囲」を「用例(出典情報)」にして、「日本外史」に検索をかけると、1077件ヒットする。同様にして「西国立志編」に検索をかけると、3467件がヒットする。では、両者を「AND」でつないで、すなわち「日本外史」「西国立志編」をともに使用例として掲げている見出しを検索すると、64件がヒットする。その中には、次の見出しのように、『日本外史』と『西国立志編』のみが使用例としてあげられているものもある。この例をもって、ただちに、『日本外史』をよんで得た語を中村正直が『西国立志編』の翻訳に使ったとはいえないけれども、語の継承ということを意識することで、日本語の歴史は、いくぶんなりとも「立体的」にみえてくるのではないだろうか。『日本国語大辞典』はそうしたきっかけを(今でも)与えてくれるし、さらに強化されてそうしたきっかけをより多く与えてくれるようになることを期待したい。
かいしょく【戒嘱】
〔名〕
(「嘱」は言い含める意)いましめて言うこと。言いつけること。
*日本外史〔1827〕一五・徳川氏前記「皇家之邑、莫二敢或一侵。侵者相共誚二責之一、戒二嘱子孫一、莫二敢或一渝」
*西国立志編〔1870~71〕〈中村正直訳〉「沙伯(シャープ)は監獄の長に、この黒人を決して他人の手に渡すべからずと戒嘱(〈注〉イヒツケ)し」
はいそ【廃沮】
〔名〕
くじけてやめること。また、やめさせること。
*日本外史〔1827〕一二・足利氏後記「僧恵瓊素悪レ於二吉川氏一。乃与二石田三成一倶廃二沮其議一」
*西国立志編〔1870~71〕〈中村正直訳〉一・三一「廃沮せずして、功夫を続きたり」
▶「来たるべき辞書のために」は月2回(第1、3水曜日)の更新です。次回は12月6日(水)、新シリーズスタートです。清泉女子大学教授今野真二さんの担当です。
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“国語辞典の最高峰”といわれる、国語辞典のうちでも収録語数および用例数が最も多く、ことばの意味・用法等の解説も詳細な総合辞典。1972年~76年に刊行した初版は45万項目、75万用例で、日本語研究には欠かせないものに。そして初版の企画以来40年を経た2000年~02年には第二版が刊行。50万項目、100万用例を収録した大改訂版となった
1958年、神奈川県生まれ。早稲田大学大学院博士課程後期退学。清泉女子大学教授。専攻は日本語学。『仮名表記論攷』(清文堂出版)で第30回金田一京助博士記念賞受賞。著書は『辞書をよむ』(平凡社新書)、『百年前の日本語』(岩波新書)、『図説 日本語の歴史』(河出書房新社)、『かなづかいの歴史』(中公新書)、『振仮名の歴史』(集英社新書)、『「言海」を読む』(角川選書)など多数。
1953年、宮城県生まれ。東北大学文学部卒業。小学館に入社後、尚学図書の国語教科書編集部を経て辞書編集部に移り、『現代国語例解辞典』『現代漢語例解辞典』『色の手帖』『文様の手帖』などを手がける。1990年から日本国語大辞典の改訂作業に専念。『日本国語大辞典第二版』の編集長。元小学館取締役。
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