ずいきの葉と葉柄(ようへい)は、地下茎の小芋(サトイモ)からのびているとは思えないほど大きく太い。品種の多いサトイモ類のうち、葉柄の部分を食用とするのは、ヤツガシラ、エビイモ、ハスイモが主で、これらを総じて「ずいき」と呼んでいる。漢字では芋茎か芋苗。大きな葉柄であれば、長さは1メートル以上に達する。表面が緑色をしたずいきを「はすいも」、赤色をしたものを「赤ずいき」といい、日干しした乾物を「いもがら」という。赤ずいきを軟白栽培した「白ずいき」は、高級な食材として用いられる。

 「ずいき」は夏から収穫を始め、10月半ばまで市販されている旬の短い野菜である。葉柄のところはスポンジのような独特の食感で、この部分にだしをたっぷり含み、京都らしい味わいを高めている。葛餡の椀物、すまし汁、酢とごまの和え物、酢味噌和えなどに料理し、夏から秋にかけておばんざいに欠かせない食材である。灰汁が強いので、料理するときは皮をむいてしっかり水に晒(さら)してから、さっと茹でる。茹でるときに酢を入れ、赤みをぐっと出してきれいに仕上げるのがコツ。古来「古血を洗う」食べ物として珍重されており、鉄分やカルシウム、食物繊維、カリウム、アントシアニンなどが豊富に含まれている。

 10月1日から5日は平安中期から続く北野天満宮(上京区)の瑞饋祭(ずいきまつり)。還幸の行列には、一風変わった意匠が凝らされた瑞饋神輿(みこし)が加わる。この神輿が祭りの名称の由来ともなったといわれている。神輿はなんと屋根が「ずいき」で葺かれており、柱や壁面は野菜や穀物で色とりどりの装飾が施されている。さらに、神輿の四面には人物花鳥獣を穀物や果物、麩や海苔などの食材で模(かたど)った額が飾り付けられている。収穫を祝い、秋の実りの作物で趣向を凝らして、風流を競いあった古くからの営みが伝わってくる祭りである。


ずいきで屋根を葺いた瑞饋神輿。物語などを題材に工夫を凝らし、野菜や木の実などを使って装飾されている。



食用として一般的に売られている赤ずいき。


京都の暮らしことば / 池仁太   



 ここでも何度か書いているように、私の経済の知識は中学生レベルもおぼつかない。その私もこのところの急激な円安には首を傾げないわけにはいかない。

 円が安くなるということは国の価値が落ちていくことと同義語ではないのか。そんな政策を取り続ける安倍首相や黒田日銀総裁への批判の声が、メディアを中心に大きくならないことが不思議でならない。

 たしかに日銀がジャブジャブお金をつぎ込んでいるため株価は1万6000円前後まで上がったが、円安は予想以上に速いスピードで110円に迫る勢いである。

 『週刊ポスト』(10/3号、以下『ポスト』)によれば、それなのに安倍・黒田コンビはさらなる円安へ誘導するため「口先介入」を繰り返しているというのだ。

 9月4日に黒田日銀総裁は「円安が日本経済にとって好ましくないとは思わない」と発言し、11日に安倍首相と会談した後にも黒田総裁は、2%の物価目標達成が困難になれば「躊躇なく追加の金融緩和を行なう」と話している。

 その“甲斐”あって株価は少し上がったが、官邸筋は消費税を10%に引き上げるには1万7000円を超える必要があると言っているそうである。

 しかし急激な円安によって国民の生活はどんどん苦しくなってきている。日本総合研究所調査部主席研究員の藻谷浩介氏は「安倍政権下の2年弱で、円相場はドルに対して2割強下落した。つまり輸入品価格が20数%上昇したことを意味する」と指摘している。

 電気代をはじめ食料品から衣料品まで値上げラッシュである。したがって実質賃金は1年以上にわたって下がり続けているのだ。これほどの賃金減が続いたのはリーマン・ショック前後の19か月連続以来だそうである。

 賃金減、生活コスト増で国民の生活水準は25年前に戻ってしまった

 おかげでドル建てGDPで2010年に中国に逆転されたが、安倍政権下ではとうとう中国の5割以下に縮んでしまったという。つまり「日本は中国の半分以下の経済規模しかない国」に成り下がってしまったのである。

 『ポスト』は、こんな国は世界から相手にされなくなっていくだろうと嘆息している。

 『週刊現代』(10/4号)の座談会で経営コンサルタントの鈴木貴博氏が大手スーパーのイオンの業績をこう言っている。

 「直近の3-5月期決算(決算)で、純利益が前年同期比で9割も減りましたね」

 日本の場合、食卓で輸入食品の占める割合は7割になるというから、円安の影響は計り知れない。

 経済アナリストの中原圭介氏もこう切り捨てる。

 「アベノミクスというのは円安で輸出が伸びれば設備投資が増えて、ひいてはわれわれの所得が上がるということを喧伝していましたが、これはデタラメだということです」

 鈴木氏は霞ヶ関の官僚たちはこんな悪巧みを考えているのではないかと言う。

 「そうしたことは頭のいい財務官僚などはとっくにわかっていると思うのです。それなのに、円安に誘導しようとするのはなぜかと考えると、彼らは1ドル=200円くらいまで持っていきながら、物価を年率3~5%と上げていき、最終的に物価を倍くらいにしようとしているのではないでしょうか。そうなれば、日本の借金の価値が半分になるわけですから」

 こんな恐ろしいシナリオが実現したら貧乏人は死ねといっているのも同じである。

 先日『日本経済が何をやってもダメな理由』(日本経済新聞出版)、『日本経済の呪縛』(東洋経済新報社)を書いたニッセイ基礎研究所の櫨(はじ)浩一氏とビジネス情報誌『エルネオス』で対談した。櫨氏もこの円安は想定外だと言っている。少し引用してみよう。

 「櫨 問題は円安です。私はせいぜい90円~90円台半ばぐらいまでいけばいいかなと思っていたのが、100円を軽く超えて105円(9月29日現在109円)にまでなりました。でも、これだけ円安になったにも関わらず輸出は伸びていません。アベノミクスで金融緩和すれば円安になって、そのプラス効果があると主張していた人たちにとっても、やや批判的だった私にとっても誤算です。こんなに効かないとは思わなかった。それは誰もが共有している驚きだと思うんです。(中略)

 日本企業っていいながらグローバル企業、多国籍企業なわけです。大きなメーカーになると従業員の過半数が海外の人たちですから、少し円安になったからといって海外の工場を畳んで日本に戻っては来ません。予測が甘かった。

 2007年頃も1ドル120円ぐらいになってますけれど、あのときに比べても明らかに効果がない」

 『週刊新潮』(10/2号)はこの円安を「劇症円安」と名付けて、資産防衛をせよと言っている。

 急激な円安の背景にはアメリカ経済の好調があり、さらに金利政策を話し合うFOMC(米連邦公開市場委員会)が10月に量的緩和策を終わらせると正式発表したから、来年からは利上げになるそうである。すると2017年に向けて円が120円になる可能性まであると見るエコノミストがいる。

 そうなれば物価上昇に歯止めがきかなくなる。手持ちの資金はどんどん目減りするから、資産防衛を考えないとエラいことになるというのだ。

 まずは資産の半分は外貨預金にしておく。そうすれば円安でもそっちで防衛できる。米ドルがポピュラーだが、ユーロ、ポンドでもいい。もうひとつオーストラリアドルが値上がりするとみる経済ジャーナリストもいる。

 東南アジアの国を対象にしたドル建てファンドも考えてみるべきだという。

 しかしここまでは初歩的な資産防衛術で、上級編は「海外不動産投資」だそうだ。それも現物不動産投資なら、賃貸にして家賃を取ってもいいし、値上がりも見込める。

 アリゾナ州やテキサス州ならまだ安いから、いい物件を選んで賃貸に回すと10%弱の利回りが期待できるかもしれないそうだ。その際の注意点は、必ず自分で見に行くこと。

 この時代、「何もしないのが最大のリスク」だそうだ。そういわれても競馬で1万円を10万にする夢しか描けない「老後貧乏」の私には、まったく縁遠い話でしかないのだが。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3

 離婚と結婚は誰にとっても人生の中で特別な意味を持つが、今週は人生いろいろある人間たちの悲喜こもごもを3本選んでみた。

第1位 「涙撮! 番長・清原和博離婚発表前日 ベッピンの嫁・息子と『別れの現場』」(『フライデー』10/10号)
第2位 「『宇津井健』未亡人と長男が揉める相続」(『週刊新潮』10/2号)
第3位 「銀座に高級クラブ開店で伝説の芸妓『佳つ乃』は一旗揚げるか?」(『週刊新潮』10/2号)

 第3位。佳つ乃という名前を久々に見た。だいぶ昔になる。たしかダービーの日だったと記憶している。作家の伊集院静氏が当時付き合っていた祇園の名妓・佳つ乃を競馬場の貴賓室に連れてきたことがある。
 すぐ近くで見た着物姿の彼女は大輪の花が咲いたような美しさだった。不思議に伊集院氏への嫉妬の感情は湧かなかった。自分とは縁遠い世界の人間という感じがしたからだろう。
 その後ときどき名前を見かけたが、ここしばらくは聞くことがなかった。伊集院のほかにも郷ひろみや高橋克典などと浮き名を流した佳つ乃も御年50歳。
 その彼女が銀座に高級クラブを開くというのである。祇園ではクラブをオープンしたり和風ラウンジを開いたりと、順調だったようだが、一昨年に芸妓を引退して、最初のクラブも閉店したそうだ。
 新しい店は銀座8丁目にあり、銀座でも1、2を争う賃料が高いところだそうだ。月100数十万になるというが、佳つ乃は夏前から家賃を払い、クラブへの挨拶回りをしているそうだ。
 このクラブは祇園と同じように「一見さんお断り」。移転するのは元々東京からの財界人や芸能人が多かったからで、東京に出てくれば客との繋がりは強くなるからだそうである。
 佳つ乃は『新潮』の取材に対してこうはんなりと答えている。

 「お稽古事に礼儀作法と、祇園町でご指導いただき学んできました経験を、東京で少しでも活かせられるようにと思っています」

 彼女見たさの客も行くだろうから当座の繁盛は見込めるとは思うが、東京は何かと口うるさいしメディアも京都のようにほっといてはくれない。それにいくらキレイでも女の盛りは過ぎつつある。意外に苦戦するかもしれないと思うのは、そんな高級な店に行けるわけがないこちとらの僻みかね。

第2位。『新潮』が報じている「宇津井健未亡人と長男」の相続を巡る争いは、人生の後始末の付け方を考えさせてくれる。
 名古屋の高級クラブ「なつめ」の名物ママ・宇津井文恵さん(旧姓加瀬・80)は、長い間同棲していた俳優・宇津井健(享年82)が亡くなる5時間前の死の床で入籍した。
 文恵さんは渋っていたが宇津井のたっての頼みだったため、互いに遺産相続放棄を約束して了解したという。
 だがやはり宇津井の死後、財産目当ての結婚ではないかと言われ出し、息子夫婦と揉めているというのである。
 宇津井のお別れ会の案内状にも彼女の名前が入ってなかったことなどもあって、彼女は、「私はもう、遺産を放棄するとは、絶対、言わない。これは女の意地なのよ」と言い出している。
 彼女が遺産などアテにしないという根拠のひとつは、クラブ経営でためたカネで名古屋に2棟のビルを所有しているからで、「私の方が、財産があると思います」と語っている。
 だが『新潮』が確認したところ、ビルはすでに売却されており、彼女には更地の160平方メートルの土地があるだけだそうだ。
 彼女の言い分もだいぶ怪しくなってくるのだが、所属事務所や宇津井健の息子の反論を総合するとだいたいこうなる。
 宇津井健との同棲は死ぬ最後の半年だけ。婚姻届を出すための戸籍謄本や住民票をスタッフが宇津井の病床へ届けると、すでに酸素マスクを付けて虫の息だったという。息子は今後できるだけ本人と直接会い、話し合いを進めていくと答えている。
 問題の宇津井の財産は土地と建物で、大手不動産会社によると実勢相場で2億から2億5000万円近くだという。財産を息子と文恵さんで相続するとなると、それなりの金額を息子側が彼女に支払わなくてはならない。
 宇津井と40年来の付き合いがあった橋田壽賀子さんはこう言う。

 「お別れ会は、彼女と宇津井さんの結婚報告会じゃないんだから。それにしても本当に、“渡る世間は鬼ばかり”ねぇ。ただ、この場合の鬼は、加瀬さんでも息子さんでもなく、お金そのもの。そして厳しいようだけど、一番悪いのは、お金を遺して、こういう亡くなり方をされた宇津井さんだと思います」

 私のように遺すものとてほとんどない身でも、死んだ後に災いを残さないために「遺言」は書いておいたほうがいいのだろう。読後、そう考えた。

 第1位。よくやったで~『フライデー』! 『フライデー』といえば番長・清原和博(47)との付き合いは長い。あの「ワイはの~」という番長言葉は『フライデー』の編集者が考えついたもので、相当誇張した物言いになってはいるが、清原のキャラクターとぴったり合っていたし、本人も気に入っていたという。
 そうでなくては講談社から本まで出すことを認めなかっただろう。その清原だが、少し前に薬物疑惑を報じられたが、今回は自ら報道陣へFAXを送り、カミさんと離婚したことを発表した。
 女癖の悪さと薬物ときては、どんなに惚れている亭主であっても愛想尽かしするのは当然であろう。この亜希夫人(45)はメチャメチャきれいなので、清原の哀れさが、いや増すのである。
 2人には12歳と9歳の息子がいるが、カミさんが一緒に連れて行ってしまったそうだ。
 離婚発表の前日、レインボーブリッジに近い野球場にいた亜希夫人は、試合が終わった次男と一緒に近くの路上に止めてあった愛車ポルシェ・カイエンの中で弁当を食べようとしていたらしい。
 ポルシェで弁当? 何と優雅なことか。そこへ黒いワンボックスカーが走ってきて反対側に止まる。
 息子がポルシェから飛び出して道を横切り、クルマから出てきた清原に「パパ~ッ!」と飛びつく。
 清原は抱き上げて「(おそらく)涙を浮かべながら」(『フライデー』)高い高いをしていた。泣けるね~、いい写真だ。その間わずか5分。息子は母親の元へと走り去ってしまった。
 その後、長男の試合を亜希夫人も見に行き、清原もそこにいたのだが「二人の距離は20m。目を合わせることすらなかった」(同)
 離婚発表で親権も奪われたことを明かした清原はこう語った。

 「いまは自由に子供に会えへんのが一番ツライ。毎日、子供の写真を眺めてはひとりで泣いてんねん……」

 落語の「子別れ」を地でいくような噺である。落語では心を入れ替えた父親がカミさんに詫びを入れて元の鞘に戻るのだが、亜希夫人ほどの美人で生活力のある魅力的な女性を周りが放っておくはずはない。
 カネも底をついたといわれる清原の後半生は、栄光とは無縁の厳しいものになるのかもしれない。西武で大活躍した頃を知っている巨人ファンとしては寂しい限りだ。

(編集部註)『エルネオス』の引用部分、漢数字を算用数字に変更しています。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 都市型の生活にストレスを感じている社会人が、週末に寺や自然の中で「プチ修行」に挑戦するのがちょっとした流行だという。座禅や写経などを通して仏の教えに触れることは、精神修養というよりも、日本らしい「癒し」、あるいは「リフレッシュ」の方法であろう。仏教になじみがない現代人が増えてきているので、お寺の側も、もっと外に開いていきたい思いから企画することが多い。

 いま、特に注目されているプチ修行が「滝行(たきぎょう)」である。白装束に着替え、滝に打たれて精神統一する。実際にやってみると、水の勢いはあまりに激しく、また冷たさも半端なものではないので、耐えるのが精一杯となってしまう。だが、その余計なことを考えられない時間こそが、こころが無になっている貴重な体験といえるのではないか。

 俗な説明をすれば、かつてバラエティ番組で「究極の罰ゲーム」扱いだったバンジージャンプがいまやポピュラーなレジャーと化しているように、何度もテレビで放送されるうちに滝行も「ハードルが低くなり」、チャレンジする人が増えているのだろう。だが、「プチ」とはいえ、おいそれとはできない「修行」だ。一皮むきたいあなた、ぜひ挑戦してみてはいかがだろうか。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 9月12日、兵庫県神戸市の先端医療振興財団先端医療センター病院で、目の難病患者に対して、iPS細胞を使った世界初の臨床試験が行なわれた。

 iPS細胞は、人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cell)の略語で、人間の皮膚などの体細胞に特定の遺伝子を入れることで、さまざまな組織や臓器の細胞に成長する。「万能細胞」とも呼ばれており、病気やケガで失われた身体機能を回復させる「再生医療」のほか、病気の原因解明や新薬の開発のための研究分野にも利用できるのではないかと期待されている。

 世界中でiPS細胞の作製方法は研究されてきたが、はじめて作られたのは2006年8月。京都大学の山中伸弥教授がマウスでの実験で作製方法を確立させ、翌2007年11月に人間の皮膚からiPS細胞を作製することに成功した。

 それから7年を経て、iPS細胞を使った再生医療研究は、人体での臨床試験が行なわれる段階まで進んできた。今回、手術を受けたのは加齢黄斑(おうはん)変性という目の疾患をもつ70歳代の女性。加齢とともに網膜の近くに血管が入り込み、細胞が圧迫される病気で、視野の真ん中が見えにくくなったり、モノがゆがんで見えたりする。症状が進むと失明の恐れもあるという。現在は、注射薬などで病気の進行を抑える治療が行なわれているが、完治する方法は見つかっていない。

 今回行なわれた臨床試験は、この加齢黄斑変性の患者の皮膚からiPS細胞を作って、網膜の細胞シートに成長させ、目の奥に移植するというもの。理化学研究所と先端医療振興財団の共同プロジェクトで、iPS細胞は理研の高橋政代プロジェクトリーダーが作製し、手術は先端医療センター病院の栗本康夫眼科統括部長が担当した。

 具体的な移植方法は、患者の皮膚からiPS細胞を作り、これを分化・増殖させて縦約1.3㎜×横3㎜のシート状の網膜細胞を作製。細胞を圧迫している原因となっている血管などを取り除いたあとで、iPS細胞から新たに作った網膜細胞を移植した。手術をした栗本医師は、手術後の記者会見で記者からの「手術は成功か?」との問いに、「そのように理解してよい」と回答。翌日、患者は「見え方が明るくなった」と話しており、経過は良好で6日後の18日に退院した。

 ただし、今回の手術は、あくまでも臨床試験で、今後1年程度かけて移植した細胞ががん化しないかなど、安全性の確認が行なわれる。症状の進行が止まる可能性はあるが、大幅な視力回復は見込めないとされている。また、今回のiPS細胞の作製には、全遺伝情報の解析を含め数千万円のコストがかかっており、2例目の臨床試験の予定は決まっていない(臨床試験は、患者に費用負担はかからない)。すぐに医療の現場で誰もが利用できる治療になるわけではなく、実用化までには長い道のりになりそうだ。

 再生医療をめぐっては、「病気で困っている人を助けたい」「患者の命を救いたい」という純粋な思いを超えて、国や経済界などさまざまな人々の利害が複雑に絡み合い、産業としての側面が大きくなっている感もある。だが、研究によって、どんなに素晴らしい技術や薬ができたとしても、一部の富裕層しか利用できないものであれば、もはや「医療」ではなくなってしまうだろう。

 そんな中、理研の高橋リーダーが記者会見で、今回のiPS細胞を使った治療を「(健康保険が適用される)標準治療にしていきたいと決意した」と言った言葉は、病気で苦しむ多くの患者の救いになるのではないだろうか。iPS細胞が、誰もが使える治療法として普及していくことを願いたい。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 人通りもまばらで、少し薄暗い印象のあった鉄道のガード下が、物件不足に悩む都市部においては出店の狙い目となっているらしい。いかにも「ガード下の飲み屋」といった店舗に代わって、若者向けのこじゃれた店も次々と開店している。立地的には、駅と駅との間にあるので「駅間」→「駅カン」と呼ばれることが多い。

 マイナス面として、電車の通過する音とともに室内が揺れる「あの感じ」があるわけだが、近年の技術によってだいぶ抑えられるようになった。とはいえ、絶好の環境ともいえないので、賃料が安い。そこは考えようによってはメリットだ。この立地でも商売が成功することは、駅周辺の活性化にもつながるので、鉄道会社にとってもありがたい。「駅カン」は、いま東京でもビジネス的に要注目のスポットなのだ。

 ちなみに、利用はビジネスだけにとどまらない。学童保育や図書館の窓口といった、公共的な施設が設けられる動きも出てきた。地域住民の生活を充実させる「駅カン」の利用は、都心の鉄道の高架化(踏切がなくなるので交通の流れがスムーズになる)にともなって、ますます増えていきそうである。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 昭和天皇実録が完成した。宮内庁が四半世紀の時間をかけて編修したもので、神代を除き歴代天皇で最長寿だった昭和天皇(1901~1989)の生涯を克明に記述したものだ。わかりやすくいえば、昭和天皇の「公式記録」。その分量は全61巻、約1万2000ページ、約980万字に及ぶ。来春から5年の歳月をかけて出版される。

 「昭和史を大きく塗り替える事実」はないものの、これまで未公開だった侍従日誌など3000点の史料などを引用しており、「2・26事件」(1936年)や終戦(1945年)など時々の昭和天皇の心情や考え方が行間から浮かび上がってくる。とくに、2・26事件や終戦の「聖断」のときの様子が時系列で記されているのが興味深い。

 靖国神社へのA級戦犯合祀をめぐっては、1988年4月28日に当時の富田朝彦(ともひこ)宮内庁長官にA級戦犯合祀と自らの参拝の関係について述べたことが書かれている。ただ、その内容には触れていない。
   

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 すでに終了しているフジテレビ系列の木曜劇場ドラマ『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』の影響で、普通に不倫している人妻のことを「(平日)昼顔妻」と呼ぶことが定着したようだ。

 なぜ「普通に~」なのかと問われれば、いくら共働きの夫婦が増えて、妻の夜遅くの帰宅やたまの外泊などの自由がある程度許されるようになったとはいえ、やはり今でも人妻のディープな部類の浮気の多くは、“昼”に行なわれているからだ。

 ただ最近は、女子メンバーがオール既婚者といった「人妻合コン」も決して珍しくはなく、左薬指に指輪をつけた女性の小集団が、堂々と独身女性の数倍もはしゃぎまくりながら普段の家事や子育てや親の介護……といったさまざまな煩い事で溜まったストレスを発散している光景によく出会したりもする。

 しかし、こういった人妻たちは得てして健全であるケースが大半で、どんなに泥酔していても終電の時間になれば、「今日は楽しかったですー」とスイッチがいきなり切り替わり、お泊まりもOKのディープな部類の「夕顔妻」現象がちまたに浸透するにはまだ、しはらくの期間を要すると推測される。

 単に筆者まわりの男子たちの初歩的な戦略ミスによる“不甲斐なさ”だけなのかもしれないが……?
   

   

ゴメスの日曜俗語館 / 山田ゴメス   


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