昔の京都では「厄払い」のことを、「やっこはらい」と呼んでいた。そして、節分の夜になると、「やっこはらい」という人が「やっこはらいまひょ」と声を立てながらやってきて、家々で厄払いをしていたそうである。大正の終わりごろに見られなくなり、今となってはどのような様子だったのか、あまり詳しくはわからなくなっている。

 『日本国語大辞典』で「厄払い」をひくと、意味の一つに「大晦日または節分などの夜に、厄年に当たる人の家の門などで厄難を払うことばを唱えて銭を請い歩くこと。また、その人。昔の追儺(ついな)の遺風という」とある。また、上方落語には「厄払い」という噺があり、その中に「やっこはらい」が登場している。噺の中で「やっこはらい」は、家人から金銭や米、豆などが渡されると、「さぁて、めでたいめでたいなぁ、めでたいことで祓おうなら、鶴は千年亀万年、浦島太郎は八千歳」などと唱えながら、厄払いの門付けを披露していたそうである。

 さて、京都の節分の日に食べる厄払いの晩ごはんは、恵方巻きもよいけれど、塩いわしと祝い菜のおひたし、麦ごはんにとろろ汁といったところが定番である。食事が終わったら豆まきだ。日の暮れないうちに大豆を煎っておき、家中の戸や窓を開け放って「鬼は外、福は内」と豆をまく。大豆を煎ってからまくのは、外で芽が出ないようにするため。まいた豆から芽が出ると、その家に災いが起きるという言い伝えがあるのだ。また、節分には名称に「ん」が二つある食べ物を7種類食べると、運が開けるともいわれている。平等寺(下京区)には、節分の夜の食物として、「なんきん、ぎんなん、れんこん、いんげん、にんじん、きんかん、かんとん(さつまいも)」の7種が伝えられている。


廬山寺(上京区)の追儺式鬼法楽より。


   

京都の暮らしことば / 池仁太   



 自由民主党所属の衆議院議員、11期。慶應義塾大学卒業。66歳。自由民主党政務調査会長、労働大臣、経済産業大臣、内閣府特命担当大臣(規制改革)、内閣府特命担当大臣(経済財政改革)等を歴任した。特にTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)交渉が大筋合意に達することができた功労者として、安倍首相の覚えが目出度い。

 だが、『週刊文春』(1/28号、以下『文春』)で、千葉県内の建設会社(薩摩興業)の総務担当者(一色武氏)が、独立行政法人都市再生機構(UR)が行なっている道路建設の補償を巡り、甘利事務所に口利きを依頼し、過去3年にわたり、甘利大臣や地元の大和事務所所長・清島健一氏(公設第一秘書)や鈴木陵允(りょうすけ)政策秘書に資金提供や接待を続け、総額は証拠が残るものだけで1200万円に上っていると告発した。

 2013年11月14日には、大臣室で甘利大臣に面会。桐の箱に入ったとらやの羊羹と一緒に、封筒に入れた現金50万円を「これはお礼です」と渡したと言う。

 『文春』の取材に対して面会をセットした清島所長は、「献金という形で持ってきたのではないですか」と回答した。だが甘利氏の政治資金収支報告書に記載はなかった。

 安倍首相の盟友で重要閣僚。今国会でTPP審議が始まる直前のスキャンダル発覚で、自民党は大きく揺れた。議員宿舎でのオフレコ取材で菅官房長官は「(一色氏は)その筋の人らしいね」と発言し、自民党の高村正彦副総裁は「罠を仕掛けられた感がある」などと、告発者を貶(おとし)め甘利氏を擁護する発言を繰り返した

 『週刊新潮』(2/4号、以下『新潮』)も「『甘利大臣』を落とし穴にハメた『怪しすぎる情報源』の正体」という特集を組み、甘利氏の援護射撃をした。

 たしかに一色氏はやや胡散臭いところがある人物ではあるが、甘利氏や彼の秘書たちが、一色氏の依頼に食らいつきカネを貪ったことは間違いない。元東京地検特捜部の郷原信郎(ごうはら・のぶお)弁護士は「『絵に描いたようなあっせん利得』をどう説明するのか」と自身のブログに書いた。

 「あっせん利得処罰法」について弁護士・櫻井滋規(さくらい・しげのり)氏のHPから概略を抜き出してみよう。

 「(1)公職にある者(国会議員、地方公共団体の議会の議員又は長)が
 ・国若しくは地方公共団体が締結する契約又は特定の者に対する行政庁の処分に関し
 ・請託を受けて
 ・その権限に基づく影響力を行使して
 ・公務員にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことの報酬として財産上の利益を収受したときは、3年以下の懲役に処する」
 同様に、「(2)公職にある者が、国又は地方公共団体が資本金の2分の1以上を出資している法人が締結する契約に関して、当該法人の役職員に対し、(1)と同様のあっせん行為の報酬として財産上の利益を収受した場合も(1)と同様に処罰する」「公設秘書によるあっせん利得については、2年以下の懲役に処する」

 URは国交省が100%出資している独立行政法人であり、清島氏は公設秘書である。したたかさにおいても一色氏ははるかに甘利側より上であった。連続追及第2弾の『文春』(2/4号)で一色氏はこう話している。

 「実名で告発する以上、こうした攻撃を受けることは覚悟していました。その団体(某右翼団体=筆者注)に所属し、三年ほど政治活動していた時期もありましたが、私は過去に逮捕されたこともありませんし、“その筋の人”でもありません」

 一色氏と甘利氏との関係は、金銭授受をする以前にさかのぼるという。

 「私は二十代の頃から主に不動産関係の仕事をしており、甘利大臣のお父さんで衆議院議員だった甘利正さんとも面識がありました。明氏と初めて会ったのは、まだ大臣がソニーに勤めていらっしゃった頃かと思います」

 一色氏が、録音や渡した札のコピーなど、多数の物証を残していることについていぶかしむ声もあるが、こう反論する。

 「口利きを依頼し金を渡すことには、こちらにも大きなリスクがあるのです。依頼する相手は権力者ですから、いつ私のような者が、切り捨てられるかわからない。そうした警戒心から詳細なメモや記録を残してきたのです。そもそも、これだけの証拠がなければ、今回の私の告発を誰が信じてくれたでしょうか?
 万一、自分の身に何かが起きたり、相手が私だけに罪をかぶせてきても、証拠を残していれば自分の身を守ることができる。そして、その考えは間違っていませんでした」

 一色氏は、約1200万円を甘利大臣や秘書たちに渡したと証言したが、それは確実な証拠が残っている分だけで、一色氏の記憶では、渡した金銭や接待の総額は数千万円に上るはずだという。

 また『新潮』は現金授受現場の写真や甘利事務所がURとの交渉に関与している現場の写真を『文春』が掲載したことについて疑問を呈しているが、『文春』はこう説明している。

 『文春』が一色氏から、甘利事務所への口利きに関する具体的な話を聞いたのは、昨年8月27日のことだという。

 その裏付けのため一色氏と秘書たちの行動確認を続けるうちに、彼らが行きつけの居酒屋からフィリピンパブへと流れる姿が複数回確認できたという。

 10月19日、一色氏と清島氏が毎週ほぼ同じ時間に現れる喫茶店「F」で張り込んでいたところ、現金授受の瞬間をカメラでとらえることに成功したというのである。

 一色氏は、結局、彼らに騙されていたことに気づき、「彼らにとって、私はキャッシュディスペンサーに過ぎなかった。彼らはフィリピンパブやキャバクラ、銀座に行きたくなると、『URの件で打ち合わせしましょう』と私を呼び出し、金を払わせるのです」とも語っている。

 秘書の一人、清島氏はフィリピンパブ好きが高じて、一色氏と店を共同経営する話に乗り気になっていたそうだから、開いた口がふさがらない。

 『文春』によれば一色氏の持っている膨大な録音記録は、甘利事務所の行為が単なる問い合わせではなく、口利きであることを物語っていると書いている。この時点で、一連の交渉についてUR側に確認を求めたが、調査中との回答だったとしている。

 追い詰められた甘利氏は『文春』が発売された1月28日に記者会見を開き、涙を浮かべながら辞任することを発表した。

 甘利氏が辞職をするとすぐに、UR側は10回以上にわたる甘利氏の秘書たちとの交渉記録を出してきた。役所にとってもはや彼は利用価値なしと見なしたのだろう。

 ひと言で言ってしまえば『新潮』で全国紙の社会部記者が語っているように、千葉県白井市にある「薩摩興業」と一色氏は補償交渉でURから多額のカネを取ろうと甘利氏を利用しようとしたが、動きがよくなかったために切り捨て、『文春』に垂れ込んだという構図なのであろう。

 一色氏のやり方が汚いという見方もあるだろうが、その請託に乗り、自分たちの立場をわきまえずにたかった秘書たちや、それをおそらく知っていたのに一色氏の持ってきたカネをポケットにしまい込んだ甘利氏は、公人として政治家として失格である。

 東京地検が動き出した。秘書はもちろんだが、甘利氏まで司直の手が伸びるかどうかは、「彼が認識していたことの証拠」が得られるかどうかがカギである。

 それにしても『文春』畏るべしである。かつては政治家のスキャンダルは週刊誌を含めた雑誌の独壇場だった。だが、個人情報保護法や名誉毀損の賠償額の高額化、ノンフィクションの停滞で、そこへ使うカネを出し惜しみ「死ぬまでSEX」などという色物でページを埋める週刊誌が多くなってしまった。

 その中で『文春』だけが一誌気を吐いている。歌手・ASKAや2月2日に覚せい剤所持容疑で逮捕された元プロ野球選手・清原和博についてもいち早く報じた。そして今回、安倍内閣の重要閣僚の首をとった。

 週刊誌の役割、存在価値とは何かを、もう一度他の週刊誌諸君は真剣に考えたほうがいい。そうでなければ、この分野では『文春』一誌しか生き残れはしまい。

元木昌彦が選ぶ週刊誌気になる記事ベスト3
 甘利スキャンダルのように、週刊誌の原点は「新聞・テレビにはできないことをやる」ことだ。今週は、甘利ほどではないが、週刊誌ならではの相撲界、独自スクープ、司法を抉った記事を3本選んでみた。自分が担当した記事で世を震撼させる。そういう気概がなければ週刊誌に明日はないはずだ。今年を週刊誌復活の年にしてもらいたいものである。

第1位 「東京地検がフタ!『企画調査課長』とNHK記者の不倫」(『週刊新潮』2/4号)
第2位 「小保方晴子『ハシゴを外した人たちへ』『ウソを書いた人たちへ』」(『週刊現代』2/13号)/「小保方晴子『告白本』の矛盾と疑問と自己弁護」(『週刊ポスト』2/12号)
第3位 「『八角理事長』の狡猾なやり口に怒った『貴乃花理事』」(『週刊新潮』2/4号)

 第3位。10年ぶりの日本出身の関取・琴奨菊の優勝に沸く相撲界だが、その陰で理事長のやり方がおかしいという怨嗟の声が上がっていると『新潮』が報じている。
 『新潮』によれば、昨年11月に急逝した北の湖前理事長の後を継いで、理事長代行を務めてきた八角親方の形(なり)振り構わないやり方に、貴乃花親方が待ったをかけているというのである。
 八角親方は今年3月末に任期切れとなり、そこで新しい理事長を選ぶことになる。だが、理事長の椅子に固執する八角親方は、汚い手を使ってでも自分が理事長職に残ろうと、ごり押ししているというのだ。
 そのやり方に批判の声を上げているのが貴乃花親方
 『新潮』によれば、八角親方が正式に理事長に就任したのは昨年12月18日。その日に行なわれた理事会は非常に問題が多かったと、事情を知る親方の一人はこう語る。

 「通常、理事会の議題は事前に決めて、理事らに知らせます。あの日の場合、事前に決まっていたのは、『事業計画』や『決算』、そして『その他』という議題があったのですが、これがクセモノだったのです。
 理事会が始まってから、出席者の1人が“『その他』って何ですか?”と八角親方に聞いたところ、“理事長を決めることです”と言う。そんな重要議案は事前に知らせておくべきですが、彼はそれ以外にも出席者を驚かせることを口にした。何と“理事長を決める際には、外部理事の方は退席して欲しい”と言い出したのです」(同)

 外部理事の中に反八角親方派がいるからだが、理事長を決めることが「その他」の議題とは、さすがに呆れる。そうした強引なやり口が貴乃花をはじめ多くの親方衆の反対にあい、山口組と神戸山口組をも凌ぐ内部抗争になっているというのだ。
 よほど居心地がいいのだろう、理事長職というのは。この抗争、どう決着が付くのだろうか。どうみても白鵬の衰えは隠せない。そうなれば再び国技館に閑古鳥ということにもなりかねない。早くリーダーシップとビジョンのある理事長を選ばなければいけないはずだが、政界と同じように、人材がいないのだろう。

 第2位。次はお懐かしい小保方晴子さんの登場だ。彼女が出した新刊について『現代』と『ポスト』が特集を組んでいるが、版元の講談社の『現代』は、当然ながらヨイショ記事にならざるを得ない。小学館側は悔しさ(?)もあるのだろうか、書いていることは矛盾と自己弁護ばかりだとケチを付ける。
 私はこの本が講談社から出ることを知らなかったが、なかなかやるもんだと正直思った。内容はどうでもいい。どこの出版社でも狙っていたはずの小保方本を取ったのだから。
 未読だが、読まなくてもわかるし、『ポスト』の言い分のほうが的を射ていると思う。共同研究者であった若山照彦・山梨大学教授に責任転嫁したり、毎日新聞の須田桃子記者の取材攻勢を「殺意すら感じるものがあった」と難じ、他のメディアにも敵意を剥き出しにしているのはいただけない。
 そして最大のポイントは、『ポスト』が指摘しているように「自らの口で発表した『STAP細胞はある』ことを科学者として示すこと」にあるのは言うまでもない。
 そこをスルーしてどんな弁明を述べても、受け入れる人はいないはずだ。

 第1位。『新潮』が、東京地検が「企画調査課長とNHK記者の不倫」の事実にフタをしたと報じている。
 年明け早々、東京地検である職員の処分が下された。関係者がこう明かす。

 「1月4日付で、総務部の企画調査課長であるベテラン事務官が『パワハラ』を理由に、部内でヒラ事務官に2段階降格となりました。この事実は、司法記者クラブはおろか、一切公表されていません」

 だが、この処分自体がカモフラージュであり、実際にはパワハラなどではないと追及する。

 「実際にはパワハラなどではなく、司法クラブに所属するNHK女性記者との“不適切な関係”が処分の理由だったのです」(同)

 司法記者もこう話す。

 「彼女が来てから、NHKは特ダネの連発でした。司法試験問題漏洩事件や旧『村上ファンド』の村上世彰(よしあき)元代表への証券取引等監視委員会の強制捜査、そして就学支援金を不正受給した三重の高校運営会社の事件など。クラブ内では『どんなネタ元をつかんでいるのだろう』と、たびたび話題になっていました」

 女の武器を使ってネタを取る。どんな女性なのか見てみたいね。
   

   

読んだ気になる!週刊誌 / 元木昌彦   



 コンビニフードから海外店の日本進出まで、マスコミにとっては食べものの話題に事欠かなかった2015年。ご飯系からとパン系からでバランスよくブレイクしたとでも言うべきか、「おにぎらず」と並びよく紹介されたのが「沼サン」である。

 沼サンの生みの親は、岩手県在住の陶芸家・大沼道行氏。もともとは食えない時代に、「お金をかけずに栄養があるものを」と考案したという。いつも朝食として作っている奥さんが、インスタグラムに投稿したことから注目された。その名前は、大沼氏の愛称「沼夫」と「サンドイッチ」から来ている。

 沼サンは、基本のレシピが発表されて以来、日に日に新しいアレンジが加えられているが、基本のものを紹介しておこう。食パンを2枚使い、一方にチーズとベーコンをのせてトーストする。焼き上がったら、もう一方のパンにはマスタードを塗る。具は山盛りの千切りキャベツとスライスしたタマネギ少々を、マヨネーズと黒コショウであえたもの。パンに挟んだら、押しつぶすようにして完成だ。真ん中で切ると、その断面も美しい。もとは男性らしい豪快かつ手軽な料理といえそうだが、現在はオシャレなメニューとしても紹介されているようだ。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 「祖父母手帳」は、いうなれば「孫育て」の手引き書で、祖父母世代の人が乳幼児の世話をするときに役立ててほしいと、2015年12月にさいたま市が発行した。

 女性の社会進出によって、子育てしながら共働きする夫婦が増えている。そうした現役世代の父母に変わって、孫を一時的に預かったり、保育園のお迎えに行ったりするなど、日常的に孫の世話をする祖父母もいるだろう。だが、自分たちが子育てしてから時間も経過しているし、時代も変わっている。

 そこで、「祖父母手帳」では、祖父母世代が忘れてしまった育児の基礎、昔とは違う最近の育児事情などを紹介するほか、祖父母世代と親世代の上手な付き合い方なども提案している。

 たとえば、「ここが変わった! 子育ての昔と今」というコーナーでは、昔は「頭の形がよくなる」とされていたうつぶせ寝も、現在は乳幼児突然死症候群(SIDS)から赤ちゃんを守るために、現在は避けられていることが紹介されている。

 また、子どもを不慮の事故から守るために、「ベランダには踏み台になるものは置かない」「公園では首回りにフードやひものついた服は着せない」など、具体的なアドバイスもあり、子育てに役立つ手引き書になっている。

 だが、家族にはさまざまな形があり、頼れる祖父母がいる家庭ばかりではない。

 そもそも実家が遠ければ、祖父母に協力を頼むのは難しい。すべての親子が円満な関係を築いているわけではないし、なかには過去の経緯から絶縁している親子関係もある。

 また、孫育てをするには祖父母世代に経済的余裕があることが期待されるが、「下流老人」という言葉に象徴されるように、最近は高齢者の貧困が問題になっている。経済的な事情から、祖父母に孫育てをお願いできない家庭もある。孫は可愛くても、高齢になると体力的に面倒をみるのが辛いという人もいるだろう。

 負担に感じない範囲で、それぞれの家庭の状況に合わせて、祖父母が孫の面倒をみられるならいい。だが、「祖父母手帳」ができたことで、祖父母は孫の面倒を見なければならないという無言のプレッシャーになりはしまいか。

 「祖父母手帳」では、祖父母が孫育てをすることのメリットとして、子どもに「社会性が育まれる」「より多くの愛情を受け、情緒が安定する」としている。

 だが、祖父母に限らず、子どもは多くの他者と関わることで、さまざまな人生があることを知り、情操を深めていく。それは、保育所や児童館の先生であるかもしれないし、近所のおじさんやおばさんであるかもしれない。子どもに影響を与えるのは、祖父母に限定されるものではないはずだ。

 そもそも、児童福祉法や子ども子育て支援法では、親が働いている子どもの面倒は保育所などでみることを市区町村に義務付けている。行政がやるべきなのは、待機児童をなくし、希望するすべての子どもが保育を受けられる環境を整えることで、祖父母に孫育てを促すことではない。

 こうした孫育ての手引書が作成されるのは、2015年3月に閣議決定した少子化社会対策大綱で、子育ての経済的負担を軽減させるために、「三世代同居・近居の促進」「孫育てに係る支援」が打ち出されたことも無関係ではないだろう。

 閣議決定を主導した自民党の憲法草案では、家族や婚姻の基本原則を決めた第24条に、新たに「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という条文を加え、国民に対して家族間の自助を義務づけようとしている。

 これは、戦前の家族制度の復活とも見られており、多様化する家族の姿を否定することにつながりかねない。

 この憲法草案の実現を待たずとも、第2次安倍政権になってから、介護や生活保護といった社会福祉の場において、国の責任の範囲を狭めて、家族による自助を求める傾向は強まっている。

 「祖父母手帳」が、家族制度の復活に直結するわけではないだろう。だが、祖父母が孫の面倒をみるかどうかは、それぞれの家庭で決めればいいことで、国や行政が口を出すことではない。

 この国の未来を背負う子どもたちの面倒は、誰がみるべきなのか。「祖父母手帳」の発行をきっかけに、基本に立ち返った議論が起こることを期待したい。
   

   

ニッポン生活ジャーナル / 早川幸子   



 1990年代、東京の映画ファンのあいだでは「ミニシアター」がブームだった。大手が上映しないチャレンジングな作品が見られる、小規模な劇場。そこには、娯楽性一辺倒のハリウッド映画には見られない「アート」の愉悦がたしかに存在したのだ。

 2016年1月7日。ミニシアター文化を牽引する存在であった、渋谷・スペイン坂上のシネマライズが閉館した。これは一つの劇場が幕を閉じたというだけではなく、シネフィルのメッカとしてのシブヤにとどめをさした重大事であったろう。最盛期、このエリアには20館近くのミニシアターがあったが、ここ数年は閉館のニュースが相次いでいた。

 『アメリ』『トレインスポッティング』『ムトゥ 踊るマハラジャ』……。映画史の上で、「ミニシアターからヒットした映画」として名前を挙げられる作品の多くが、シネマライズ発であった。建築家・北川原温(きたがわら・あつし)氏がデザインした外観も評価が高く、誘蛾灯のように銀幕を愛する若者たちを暗やみに誘い込んだ。この劇場から巣立っていった映画人も多い。

 幸か不幸かわからないのが、ミニシアター系映画の人気が高まりすぎたことだ。客が入りそうにない作品だからこそ、買付価格は安く抑えられ、そのぶん利益が出るという寸法だったが、ヒットすることが業界に理解されれば競合が始まる。昨今はシネコンでもアート系作品が上映される機会が多く、これではミニシアターがかなうはずもない。時代の趨勢と言ってしまえばそれまでだが、文化の発信基地としてのシブヤの凋落と相まって、往事を知る者にはつらい一件であった。
   

   

旬wordウォッチ / 結城靖高   



 政府の成長戦略の一つ。2014年度全都道府県にそれぞれ導入された。正式には「農地中間管理機構」という。小規模農家から農地を借り上げ、まとめて大規模農家や企業などに貸し出す。

 農業を巡っては、2016年中にもTPP(環太平洋経済連携協定)の発効が見込まれており、農地集積バンクはTPP対策の側面もある。安倍政権は「農地集積バンクを活用し、大規模農家や企業に農地を集約すれば、農業生産性が増し、国際競争力も強化できる」と期待を寄せる。

 もっとも、導入初年度である2014年度の貸し出し実績は面積にして2.4万ヘクタールと目標(15万ヘクタール)の16%にとどまっている。2015年度については、8万ヘクタールと大幅に伸びる見通しだが、それでも目標の半分を超えた程度だ。

 導入を後押しするため、政府は2016年度から貸し出した農家の固定資産税を半分に減らすとともに、遊休農地への課税を現行の約1.8倍に強化する方針だ。

 「攻めの農業」がキャッチフレーズの安倍政権だが、そうした税制的な施策とともに、意欲を持って農業に携わる人材を育成する施策も必要ではないか。
   

   

マンデー政経塾 / 板津久作   



 ベッキーみたいな女性のことをここ最近はこう呼ぶらしい(男性なら「ベキ夫(男)」)。もっともベッキー本人が「べき子」とも称している(公式サイトは「べき子製鉄所」)。しかしここでの話題はあくまでも「ベキ子」なのである。

 では「ベッキーみたいな女性」とは、具体的にはどういう女性のことを指すのかと言えば、一般的にはベッキーと「ゲスの極み乙女。」川谷絵音(かわたに・えのん)による不倫騒動から、「パブリックな場での品行方正・清廉潔白・天真爛漫なイメージとは真逆の腹黒い内面を持つ子」のことを指していると思われるが、今回の一連の報道によって、ベッキーに抱く印象は人さまざまだったりするので、「ベキ子」の“正解”もまた複数にわたっているのが現状である。

 たとえば「じつは恋愛経験が乏しくて、一度惚れてしまえば周囲が見えなくなる子」という解釈もあれば、「しっかりしてそうに見えて、じつはダメンズに引っ掛かりやすい子」という解釈もあり、さらには「一瞬で天国から地獄に突き落とされた悲劇のヒロイン」や「とにかく打たれ強い子」や「長嶋茂雄張りのヘンな外来語を多用する子」などを「ベキ子」と呼ぶ向きもある。

 いずれにせよ、世間のベッキー叩きもさすがにお腹いっぱいで、「もうこれくらいでいいんじゃない?」クラスの表面張力段階に達している気がしなくもないので、週刊文春サンもそろそろ許してあげて、もっとアマリだとかノノムラ叩きに専念していただきたいものだ。
   

   

ゴメスの日曜俗語館 / 山田ゴメス   


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